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【ザ・問答】 KK「おしえて、そもさん!!」「説破!」【Q&A】

117ソドムのKK問答その4:2006/01/13(金) 00:55:11 ID:tXNJl7bI
【質問】ソドムのKK問答その4
【属性】理論派アンチ

(反省の原理について)

「反省の原理」の内容は「正しい仏法真理に照らしてきちんと反省し(中略)修正していくことによって想念帯に記された赤字が黒字ならぬ金色の文字に変わっていくのです」「反省修行をして自分自身を改めていき、それが充分なレベルまで行ったならば、その過去が帳消しになるのです」(幸福の法P272)
要するに自分が撒いた悪因縁の種は反省で帳消しに出来るという事。また、反省をすることで悪霊が取れるという事。

これは極めて都合のよい教義である。「打ってさすれば元通り」の世界である。しかし、具体的な反省修行の実践には触れてないので「反省」のつもりが「落ち込み」に陥る可能性も充分ひめており、さらに、「反省すれば許される」という都合の良さから本当の反省が為されず同じ事を繰り返すというのが実情ではないかと思われる。

何せ「想念帯に記された赤字が黒字ならぬ金色の文字に変わっていく」のを確認する術がないのだから。

また、悪因縁が反省によって帳消しにされる例としてアングリマーラの例が挙げられているが、彼は地獄の苦しみをこの世での迫害の苦しみに軽減されただけで罪が無償で帳消しになったわけではない。(幸福の法P273)

これに対して仏教では「懺悔」というものがある。
懺悔とは自らの罪を悔い改めることであるが、これには明確な体験的記述がある。

即ち懺悔とは己の罪を己で知り「こんな自分でも活かされている」という感謝に変わるという境地である。懺悔とは感謝を生み出す元であり、さらに深く仏法にアクセスする行である。
先ほどのアングリマーラの例で言えば、彼は石つぶてで血だらけになり、托鉢に出ても鉢は空っぽであった。それでも彼は修行を続け懺悔に徹した結果「年若き身にて修行の途にあれどみ旨に添わば世をば照らさん」と過去の罪を修行の力に換えて感謝で心を満たし、遂には悟りを得たのである。

さて、衆生を真の信仰を目覚めさせ、幸せに導くのはKKの「消しゴムみたいに罪が消える反省」なのか「罪を前進の力に換える懺悔の力」なのかKK会員にその価値判断を問うてみたい。


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