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皇室の危機・小室圭騒動
8
:
ぶらでぃ
:2019/04/26(金) 02:59:43
(続き↓)
■「衆愚」ではない
>国民の多くは衆愚
「衆愚」と言うのは、無駄な誤解を生むだけだと思う。
国民の多くは、学校や家庭や企業環境のムラ的な影響に形成された、
生活環境や、小局的な体験や感性や視野に依拠して、
過剰に断罪的な判断や関心を、無闇に展開適用する傾向にある。
こう言った国民の多くは、賢かったり、善良だったり、働き者だったりする。
一日中、仕事でがんばって、仲間と遊び、家族と時間を過ごした、善良の市民。
そう言った市民が、騒殺黙殺に加担する。
衆愚ではないが、
根本的な方法論の問題があると思う。
■問題の理解
先輩・後輩、お互い様、何様、ボケ・ツッコミ、
身分と実存の混同、過剰な自己責任論、過剰な風貌統制、
こう言った日常的要素が、日常の秩序に寄与しつつ、
容易に誤謬や暴発に陥っている印象。
これらは学校教育に始まる、
家庭や企業環境の悪影響に依拠していると思う。
これら要素を分析して、
それぞれの由来を特定して、見直す必要がある。
一部は、たとえば、薩摩藩や、明治の軍隊文化によるものもあろう。
現代人は、時代錯誤や「昔」に対して否定的な割りには、
或る時代に起因や形成された慣習的な制約の、
「時代性・歴史性」についてきわめて関心や思慮が低い。
自分に都合の良い現状基準は、「変わらず」善であり、
都合の悪いものについては、「変わるもんだ」と言う。
後手後手。
具体的に考えたい。
たとえば、先輩・後輩は時系列上の事実以外に意味は無い。
その言葉を使う必要さえない。
すべての成人とも、年上年下であろうが、仮定上、敬意がベース。
年上に対しては加齢による一般的な苦労と知恵が敬意のベースであり、
年下に対しては一般的な挑戦、使命や、今後の苦労が敬意のベース。
相互的であるべき。
本質に依拠して、先ず、日本の学校文化を抜本的に見直すべき。/
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