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kmath1107@菅理人と雑談するスレ
4461
:
やんやん
◆yanyan72E.
:2012/01/16(月) 22:14:34 ID:???
どんな熟考だって、浅くて早い考えの積み重ねです。
一つの誤った浅くて早い考えの為に、熟考の為の時間を大いに無駄にしたり、
熟考の結論そのものが歪んだりすることはよくあることです。
人の思考はそれに対する批判的思考を受け入れることによって
改善することが多いです。批判を受け入れることと自分で考えないことは
イコールではないですよね。
自分で自分を批判するよりも他人に批判してもらった方がそれは容易です。
自分が知らないけれども熟考に有用な知識を教えてもらうこともあります。
そうすることで時間の無駄や誤りを減らしたり、
より熟考された文章の内容を強化することができます。
まわりからのノイズが欲しくない場合には
ちょっとこの問題を一人でじっくり考えさせてくれませんか?
といえばいいだけのことです。
もちろん最初から最後まで一人で熟考する方法を否定する
訳ではないです。一概に言うことは難しいことです。
例えば何を追求するのか?「真理」とは何か、
そもそも不誠実な議論をする人が紛れ込む場合など、
コンセンサスがあまりにバラバラな場合はいろいろ支障をきたします。
匿名掲示板の議論がまず収束しないし、まともな結論が出なかったりするのが
極端な例です。
分野によるのだろうけれども、
真理追求の多くの現場では、ホワイトボードや黒板を前にして
将棋の早指しのような議論が重ねられた結果として
熟考された論文が出ていることを、そのサイトの方は知らないのだろうか?
論文のAcknowledgementには、共著ほどの貢献ではないにしても、
有益な議論の相手をしてくれた人の名前が列挙されていることも。
素粒子理論では、サイテーションに対して謝辞テーションなんて言葉を
作って、共著にならなくても謝辞に名前が載る人をチェックしている人も
いるぐらいです。自分もAcknowledgementに誰が載ってるかをよく見ます。
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