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◎◎質問!マインド・コントロールって何?◎◎

13春田の蛙:2005/04/15(金) 04:03:28
さてさて、余り重たい話ばかりでは気が滅入りますね。
信仰とは、心を軽くする事でもあるのですから。
日蓮の教えの中から、ひとつその例を挙げてみましょうか。

『折伏』と『摂受』についてはご存じですね。創価学会にいらした方にとっては、釈迦に説法でしょう。
一応、ROMの方も視野に入れて簡単に述べておきますと、
『折伏』は破折調伏の略で、相手の非を厳しく指摘し正しい教えを受け入れさせる事、
『摂受』は摂引容受の略で、相手の長所を育てつつ緩やかに教えを説く事です。
これについて、日蓮さんは良い事を言っています。

> それ『摂受』『折伏』と申す法門は水火のごとし。火は水をいとう。水は火をにくむ。
> 『摂受』の者は『折伏』をわらう。『折伏』の者は『摂受』をかなしむ。
> 無智悪人の国土に充満の時は『摂受』を前(さき)とす。安楽行品のごとし。
> 邪智謗法の者多き時は『折伏』を前とす。常不軽品のごとし。
> (中略)…末法に『摂受』『折伏』あるべし。所謂(いわゆる)悪国・破法の両国あるべきゆえなり。
> 日本国の当世は悪国か破法の国かとしるべし。

これは日蓮が、「いかに諫暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひ捨てず」――つまりどれだけ厳しく言っても自分の弟子たちが、
周囲の状況も考えず『摂受』か『折伏』の一方だけに頑迷にこだわるだろうから、
「かれが邪難をふせぐ」――私の門弟たちの思い込みによる、本人や周りの被る災いをふせぐために記しておく、として書かれた内容です。
彼の主著のひとつである「開目抄」に載っています。

『摂受』と『折伏』は相反する法門で、さながら水と火のようなものである。
だから『摂受』を用いる者は『折伏』を乱暴だと嘲るし、『折伏』を好む者は『摂受』を「それでは何も変わらない」と悲観的に見る。

しかし、これらは国の有り様によって使い分けるべきなのだ。
仏教自体が知られていないか廃れてしまい、悪人ばかりの国なら『摂受』を用いるべきだし、
仏教は広く行われていてもその解釈がバラバラで、権力に利用されているような事態なら『折伏』を用いるべきである。

末法と言ってもこの二つの場合が考えられるのだから、日本国の現在の状況がどちらなのかを、まず考慮するべきなのだ。

14春田の蛙:2005/04/15(金) 04:06:14
日蓮の生まれた時代は、仏教が盛んでした。
だからいきなり仏教議論に入っても――それは今の私たちにとって経済や社会情勢などと同じ常識的な話題ですから、話はすぐに通じます。

仏教は広く行われていても、それが正しく信仰されていない。あまつさえ政治に悪用さえされている。
だから自分は『折伏』をするのだと日蓮は主張しています。

しかし同じ末法の国でも、仏教自体があまり盛んでない無宗教の国で、
人の心も荒んでいるところに仏教議論など持ち出しても、上手くいくはずがないではないか。
だからそういう場合には正しい教えなど押し付けず、
悪口を慎み周りに親切にするなりして、「宗教してる人も悪くないなぁ」と仏教自体を理解してもらうのが先だろう。
現在日本がどちらの末法なのか、まずそれを考えろというのが日蓮の指摘です。

いかがですか?私のような念仏者でも、この日蓮の主張には気持ちが軽くなります。

だって鎌倉時代なら不自然ではないでしょうが、今時四六時中ブツブツ念仏唱えてたら不気味じゃないですか。(笑)

それよりも、「念仏とか宗教信じてる人も、別に付き合いにくい訳じゃない普通の人なんだな」と理解してもらう方が、よっぽど仏教のためにもなる。
そう考える方が、遥かに現代を楽に生きられますよね。

頭からこれこれだと信じ込まずに、まずはどんな教えが説かれているのかを、自分の心に引き当てて考える事。
それが信仰の第一歩、入門の入り口です。

15こだま:2005/04/15(金) 04:28:52
またもや、ほぼ同時に別スレ書き込みしてました(笑)

>頭からこれこれだと信じ込まずに、まずはどんな教えが説かれているのかを、自分の心に引き当てて考える事。
>それが信仰の第一歩、入門の入り口です。

ひとつお聞きしてもいいですか?↑は、今自分が信じているものをとりあえずクリアにして、信仰というものを考えてみるということでしょうかね?
それとも信じているものは、それはそれとして置いといて、他にどんな教えが説かれているのか、先入観なしに、自分の身に当てはめてかんがえてみるということでしょうか?

信仰者としてすごい決意に立たなければならないような気がして、学会活動云々のことよりも難しいことのように思えるのです。

16春田の蛙:2005/04/17(日) 01:29:13
>こだまさん
>またもや、ほぼ同時に別スレ書き込みしてました(笑)

あはは、ホントですね。
実は内容が内容だけに書き込む前にアレコレ悩みまして、
遅くなったので投稿後すぐに寝ちゃったんですよ。
だから同時に書いてたのには翌日気付きました。(笑)

>ひとつお聞きしてもいいですか?↑は、今自分が信じているものをとりあえずクリアにして、信仰というものを考えてみるということでしょうかね?
>それとも信じているものは、それはそれとして置いといて、他にどんな教えが説かれているのか、先入観なしに、自分の身に当てはめてかんがえてみるということでしょうか?

実はこの質問の真意を計りかねています。
こだまさんが仰りたいのは、「自分の信仰について考えれば良いのか、
それとも素直な気持ちで他の宗教にも接しろと言われているのか、分からない」という意味でしょうか。

私が申し上げたかったのは、信仰とはどんな宗教であれ、自分自身を疎外して成り立つものでは無いという事です。

乱暴な喩えをするならば、ふた口教という宗教があったとしますね。「二つ口がある人間は救われる」というのが、その教えだとします。

いくらそう言われても、大抵の人間には無縁の教えではないでしょうか。
四っ目教でも良いですよ。六っ耳教でも。
これに対して一つ口教とか二つ目教とか双耳教などがあれば、
教えを理屈でアレコレ考える前に、自分の姿を鏡に写してから信仰を定めると思います。

しかしながら、心は姿形ほどはっきりは捉えられません。
だからつい、我が身我が心を棚あげして考えてしまうんです。そして教えに迷う。
自分という存在を無視して考えても、教えという『枠』に自分を無理矢理押し込めるのは、しんどいだけです。

要は自分に合ったサイズの服を探せば良いのですが、そのためには、まず『あなた自身』を自分で知らねばなりません。
これが、言うなれば教えを求める苦しさでしょう。
そして服だって、様々な服を見るのは悪い事ではありません。
他の人の着こなしが参考になる事もあるでしょう。
自分はボタンを掛け違えてないか、鏡に写して確認するのは、とても大切な事です。

17春田の蛙:2005/04/17(日) 01:33:41
やがて着心地が良く動き易く、周囲からも自然に見える、自分にぴったりの服を身に付けて安心する。
こういう人を、信仰の定まった人と言います。
サイズの違う服を勧めても、けっして着てはもらえないでしょう。
それがいくら高価なブランド物であっても、その人にとっては服としての価値は無いからです。

>信仰者としてすごい決意に立たなければならないような気がして、学会活動云々のことよりも難しいことのように思えるのです。

その通りだと思います。
だからね…きょうこさんは苦しまれたんだと思いますよ。

こだまさんの後ろには、まだ後戻り出来る道がある。
けれど、ご一家で脱会されたきょうこさんはどうだったでしょうか?
きょうこさんは、否応なく信仰の問題と、正面から向き合わざるを得なかったんだと思います。

創価学会破門の経緯については、ネットでさえ色々と調べられます。
でもそれで、『悪いのは創価学会の方だ』と結論したとして、こだまさんの『心』の問題にも結論は出るんでしょうか。

日蓮正宗にも、『あなたの救い』は無いかもしれませんよ?
破門問題でどちらが正しいかという事と、あなたにふさわしい救いを見つける事は別の問題です。
日蓮の教えを信じるなら、日蓮が何を教えていたかを、こだまさん自身がつかまえてみせる他ありません。

信仰とは個人のものです。だからある意味では、とても孤独です。
しかしだからといって、他の人と同じ服に無理矢理入って二人羽織をやっても、窮屈で苦しいだけだと私は思います。

18こだま:2005/04/18(月) 17:27:51
春田の蛙さん

こちらのスレでも、お世話になっております。
実はわたし、ちょっと混乱してきてしまったんで、少し整理してもいいですか。

そもそも私の頭の中で、自分の信仰している法華経と、それを広めてきたと自負する学会に対する恩義みたいなものがごちゃ混ぜになっている。ということからお話が始まったんですよね。
そして蛙さんが、かつてネットで学会の組織に対して疑問を持たれた方にお話下さったことをご紹介頂きましたよね。

>>その組織の有り様に不審を抱いたなら、まずその気持ちから突き詰めてみて下さい。
>> 『どう改善するか』ではなく『何故こうなったのか』を。
>> だって、仏法は因果の道理のはずですから、創価学会がオカシな組織なら、まずはその>>根本を明らかにするべきでしょう。

私はこのお話を伺って、学会がオカシイ組織あるとすれば、それは宗門問題が起こり始めた、昭和50年あたりなのかなと思いました。それまでは、勧誘の仕方には大きな問題があったにせよ、組織自体を日蓮と同格とするかのような暴挙はなかったと。

蛙さんは、宗門との関係云々ではなく、もっと根本的なところに『何故こうなったのか』という原因があるということをおっしゃっているんでしょうかね?

>要は自分に合ったサイズの服を探せば良いのですが、そのためには、まず『あなた自身』>を自分で知らねばなりません。
>これが、言うなれば教えを求める苦しさでしょう。
>そして服だって、様々な服を見るのは悪い事ではありません。

わかりやすい例を出して頂きありがとうございます。私、理解力がないもので、この例をもとにこの先お話してもいいですか?
私は、物心ついたときには学会にいましたから、自分に合ったサイズの服を自分で探した訳ではありません。自分で探すという苦労なしに服をまとってしまった訳です。ただまったく盲目であったわけではなく、その服を着た自分というものも自分なりに見つめてきたつもりです。ことあるごとに、この服は素晴らしい、素敵だ、あなたに、とっても似合ってると言われ、満足感もありました。組織に嫌気を感じた私というのは、その服を着た私の行動ひとつひとつにも注文をつけられることが嫌になったからです。冒頭の私の疑問というのは、たまたま着せられた服は私に合ってると思う。だけど、それを着せてくれた人のいうことは聞きたくない。私に服を着せてくれた人には感謝すべきか?ということだと思うのです。

私がした質問、これ↓わかりにくいですね、すみません。
>>ひとつお聞きしてもいいですか?↑は、今自分が信じているものをとりあえずクリアにし>>て、信仰というものを考えてみるということでしょうかね?
>>それとも信じているものは、それはそれとして置いといて、他にどんな教えが説かれて>>いるのか、先入観なしに、自分の身に当てはめてかんがえてみるということでしょうか?

先程の服の例でいくと、
①今わたしが着てる服はサイズが合ってないから、とりあえずそれを脱いでみて、自分にあった服を一から探し直す、ということか。もしくは、②今わたしが着てる服は着たままで、他にどんな服があるのか見てみる、ということか、どちらかな?という意味でした。これも意味不明ですかね(笑)

わたしは、①はしんどいなと思いました。自分はこの服着てても嫌な気はしないし、自分を見つめなおして、どんな服がいいのか考え、膨大な服の中から選びなおすのは、面倒くさいと思いました。これって身勝手ですかね?
私の理解不足で、蛙さんの意図するところと私の話がかみ合ってなかったら教えて下さい。
ご面倒おかけいたします。

19春田の蛙:2005/04/18(月) 23:46:50
>こだまさん
すみません。科学雑談スレでのきょうこさんの書き込みを拝見して、反省してました。
私が申し上げたかったのもああした内容だったのですが、私は返って混乱させてしまいました。

本当に申し訳なく思います。
こだまさんのお立場に寄り添う気持ちが欠けていたのだと、恥ずかしく思っています。
これは私の落ち度です。本当にすみませんでした。

反省して、もう一度じっくりと考えてみました。最初の『組織への感謝』の件なのですが、
私は「ありがとう」と感じた気持ちが、自然に言葉や態度に表れてしまうのが『感謝』なんだと思います。

「感謝すべき」だから感謝しようと努力して、気持ちを作り上げるなら『感謝』ではないと思うのです。
自然に起こる気持ちが先であって、言葉や考えは後なのではないでしょうか。

本当に感謝の気持ちがあれば、その気持ちを抑える方が苦しいと思います。
たとえ相手から拒否されても、感謝を伝えずにはいられません。
逆に本当は好悪入り混じった複雑な事を、純粋に感謝しろと言われるのも苦しい事です。
相手から感謝を求められれば、息苦しさを感じるでしょう。

だから自然で良いのだと思います。
こだまさん自身の気持ちを、正直にゆっくりと感じてみて下さい。

また、後々気持ちが変わっても構わないと思います。
今は感謝してると思ってても、色々整理がつくに連れて『やっぱり組織には感謝出来ない』と感じるのも自然だし、
今は感謝する気持ちになれず、心が落ち着くに連れて『あれも良い経験だった。反面教師かも知れないが感謝しよう』と感じる事もあるのではないでしょうか。

20春田の蛙:2005/04/18(月) 23:50:09
法華経という服は、創価学会が作った訳ではありません。
あなたに服を与えてくれた親御さんが、たまたま評判の良くない店でそれを買ってきたとして、
あなたが服を気に入っているなら何の問題があるのでしょう。服自体に罪はないと思います。

私が申し上げたかったのは、そのままの服でいるのも服を替えるのもこだまさんの自由であって、どちらにせよ罪悪感を感じないで欲しい。
あなたの気持ちをよく見つめて、あなた自身が楽でいられる事を大切にして欲しいという事なのです。

そして、それは自分自身の気持ちを見つめないと分からない事だから、そこには孤独や苦しさがあると思ったのです。

そもそもいずれの服も、それを作った人は売るのではなく、
タダで配って大勢の困っている人に着てもらいたかったのではないでしょうか。心を少しでも暖めるために。
ですから遠い昔に心を込めて服を作った人たちの気持ちに思いを寄せれば、
その事に対しては『私に似合う服を作っていてくれてありがとう』と、普通の自然な感謝の気持ちが表れるように思うのです。

どうでしょうか?もし納得出来なければ、そう正直に書いて下さいね。
ゆっくりひとつずつ、気持ちの訴えに耳を澄ましながら、一緒に考えていきましょう。

創価学会の問題の根本も、この服の喩えに表せそうな気がするので、私なりにまとめてみます。少しお時間を頂けますか?

21こだま:2005/04/19(火) 01:58:15
春田の蛙さん

これだけは申し上げておきますが、蛙さんに落ち度なんてないですよ。
いつもいつも、わたしの気持ちに寄り添って考えて下さり、いくら感謝しても足りないくらいなんです。なんでこんなにあったかいんだろうって不思議なくらいなんです。
わたしの理解力不足なところもあり、何度も同じこと聞いてしまったり、勘違いして捉えてたりすることがありまして、じれったい思いをさせてしまってたらわたしこそ申し訳ないです。
でも、どうか懲りずにこれからもお話頂けたらうれしいです。
蛙さんから頂いたお話、これからじっくり読んでみます。また考えが出てきたら、お言葉に甘えて正直に、書き込みさせていただきますね。

服の喩え、楽しみにしていますね。お時間なんて私はたっぷりありますので、いつでも結構です。科学雑談スレでもたっぷりお話頂いているのに、重ねてお願いしてしまって申し訳ないです。ほんとにゆっくりでいいですからね。

22こだま:2005/04/20(水) 02:20:46
春田の蛙さん

そもそも私自身が、信仰の話を持ち出しておいて、変な話でなんですが、今の私は法華経への信仰のことまで考えるのは何だか重荷みたいです。
すみません、自分で話し始めたのに、こんなこと言って。それで、18の終わりに「めんどくさい」とかいう発言になってしまいました。

19、20のお話はホントにすんなり心に入ってきました。

>私は「ありがとう」と感じた気持ちが、自然に言葉や態度に表れてしまうのが『感謝』なんだと思います。

私もそう思います。私にとって今は、自分の心の声を正直に聞いてあげる時期だなって思います。
今まで、いろんな意味で自分を抑えて生きてきた分、なかなか本当の自分が何を思ってるのか感じられなくなってるんですよね。「こうあるべき」とか「これだったら誰にも恥ずかしくない」っていう考えの小人さんが、本当の自分を打ち消しちゃうというか。

>だから自然で良いのだと思います。
>こだまさん自身の気持ちを、正直にゆっくりと感じてみて下さい。

ありがとうございます。安心して、自分の心の声を聞き続けてみます。
今までって、「これが正しい道よ、絶対幸せになるわよ」って、いわば保証つきの人生だったんですよね。
自分の気持ちを見つめるって大変なこともありますが、それでこそ、私らしい人生が歩めるのかもしれません。
蛙さんが「コーヒーブレイク」でお話してくださったように、ですね。

実は、きのう月曜日の会合を休んで、また落ち込みたくなかったので、今日は友達とごはんを食べました。未活動歴6年くらいの子です。今の状況を話したら、「活動、堂々と休んだほうがいいよ。こだまさんの人生にとって貴重な休み時間だと思うから。私も何年も「これでいいのか」とか悩んできて最近ようやく吹っ切れたけど、もっと休み時間をエンジョイすればよかったって悔やまれるんだ」と話してくれました。
貴重な毎日、クヨクヨと後ろばかり振り返ってたら、もったいないですよね。
「自分が楽でいられることを大切に」していきます。
またこちらで、いろんな気持ちを出しちゃうと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

23春田の蛙:2005/04/20(水) 04:24:27
>こだまさん
>今の私は法華経への信仰のことまで考えるのは何だか重荷みたいです。

その事を認めて、正直に気持ちを話せるのは大きな進歩だと思いますよ。
あなたの、自分に対する誠実さを誇って良いと思います。

私も、誰より自分に対して正直でありたいと思っています。
『信仰を突き詰めるより休養が一番だ』と、再三ここでも他サイトでも述べておきながら、大前提を失念して話を進めてしまいました。
読み返して、「あ、こりゃこだまさんが混乱して当たり前だ。俺が悪い」と思いました。
すみませんでした。暖かい励ましに感謝しています。

>すみません、自分で話し始めたのに、こんなこと言って。それで、18の終わりに「めんどくさい」とかいう発言になってしまいました。

それで良いんです。構わないんです。
「めんどくさい」とか「嫌だ」とか、それはあなたの心が訴える悲鳴なんですから。
それを素直に受けとめて、肯定してあげて下さい。

>19、20のお話はホントにすんなり心に入ってきました。

ありがとうございます。失敗を取り返せてホッとしました。(笑)
まぁ今までも、こんな失敗を繰り返しつつ育ててもらってきた訳なんですが。(*^_^*)
だから、こうして私を話相手に選んで下さる方には、感謝してるんですよ。
こだまさんにもきょうこさんにも、本当に感謝しています。

>私にとって今は、自分の心の声を正直に聞いてあげる時期だなって思います。

そう思います。そう素直に思えた事が、とても大切な一歩ですね。

24春田の蛙:2005/04/20(水) 04:27:10
>今まで、いろんな意味で自分を抑えて生きてきた分、なかなか本当の自分が何を思ってるのか感じられなくなってるんですよね。
>「こうあるべき」とか「これだったら誰にも恥ずかしくない」っていう考えの小人さんが、本当の自分を打ち消しちゃうというか。

うん、そうだと思います。実はマインド・コントロール云々を離れた相談でも、よく問題になる事なんですよ。
ついカウンセラーやセラピストの意思や期待に応えようとしてしまう。『出来の良いクライアント』で居ようとしてしまうんですね。

こだまさんの仰る『小人さん』を、心理学のある分野では『ビリーフ』と名付けているんですが、
そうもっともらしい名前で解説しつつ、自分もその罠にハマってるのが心理学者やセラピストだと言えます。(笑)

だから自然で居るというのはとても難しい事。出来て当たり前の事ではないんです。
それが少しずつ出来るようになっているのは、すごい事なんですよ。

>安心して、自分の心の声を聞き続けてみます。
>今までって、「これが正しい道よ、絶対幸せになるわよ」って、いわば保証つきの人生だったんですよね。

実は、大抵の人が何らかの『保証つきの人生』を信じてます。
根拠は学歴だったり経済力だったり社会保障に対する信頼だったり色々ですが、
何らかの理由でそれが『保証にならない』と気付いた時、『代わりの保証』を提供してくれるモノのひとつがカルトです。

だから『組織のお陰でこれこれを乗り切れた』って主張される方は、特に一世の方には多いでしょ?
組織の価値観が理解出来ない人から批判されれば、益々意固地になる。
当たり前なんです。少なくとも批判する多くの人が寄りかかってる保証が『保証にならない』と気付いている分、自分は真理に近いというエリート意識がありますから。

>自分の気持ちを見つめるって大変なこともありますが、それでこそ、私らしい人生が歩めるのかもしれません。
>蛙さんが「コーヒーブレイク」でお話してくださったように、ですね。

焦ることはありませんから、一緒に考えながらゆっくりと歩きましょう。いろんな人と愚痴ったり励まし合ったりしながら、ね。

25春田の蛙:2005/04/20(水) 04:42:04
>実は、きのう月曜日の会合を休んで、また落ち込みたくなかったので、今日は友達とごはんを食べました。未活動歴6年くらいの子です。

おお!それは良い事です。科学雑談スレで書かれていた内容といい、確実に一歩ずつ、こだまさんらしく歩んでいるじゃないですか。

そのお友達も、正直な気持ちを打ち明けた上で、とても良い助言を下さいましたね。
その方が苦しさや辛さの中から御自身で掴んだ経験が、
こだまさんに「貴重な毎日、クヨクヨと後ろばかり振り返ってたらもったいない」と感じる勇気をくれたのでは?と思いました。


>「自分が楽でいられることを大切に」していきます。
>またこちらで、いろんな気持ちを出しちゃうと思いますが、どうぞよろしくお願いします。

どうぞどうぞ、大歓迎です。気持ちというのは、一方的に前進したり何かに勝利したりは出来ないと思いますよ。
行ったり戻ったりしながら、ゆっくりと落ち着くものではないでしょうか。

私は、必ずそういう日が来ると信じています。ですから、慌てたり焦ったりする事なんてないんです。
此方の方こそ、これからも宜しくお願いします。せっかく友達になれたんですから、どうぞ末永く。m(_ _)m

26こだま:2005/04/21(木) 18:59:28
春田の蛙さん

>気持ちというのは、一方的に前進したり何かに勝利したりは出来ないと思いますよ。
>行ったり戻ったりしながら、ゆっくりと落ち着くものではないでしょうか。

ありがとうございます。安心できる言葉をかけて頂き、感謝です。さっそくなんですが、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか?(笑)

ここ1週間ばかり、頭痛、のどの痛み、口の中の荒れなどがなかなか取れなかったので、先週末に、軽い気持ちで心療内科に行ってきました。
うつ病の一歩手前の中程度のうつ症状だと言われました。(ちょっとショックでした。もっと軽いものだとおもっていたので)そこは漢方を処方してくれるところだったので、とりあえず神経不安を抑える薬で症状が治まるか見てみましょう・・・ということになりました。
その後、友達と会ったりして症状も気持ちも落ちつきつつあるのですが、相変わらず気になることがあります。

それは以前にも書きました、メールの件です。
会合に行かないことが重なってきて、先方からくるメールの調子がだんだん強くなってきている気がするのです。
訪問や電話は、一切出ないようにしているのですが、メールだと向こうの言い分がダイレクトに伝わってきて、気になってしまうんですよね。受信拒否しようかとも思いましたが、対抗姿勢があらわになってしまうと思い、今のとこやらずにいます。
無視をしていると「先程の件、××さんにお願いしておきました」と追い討ちが・・・。主人は「結局、お前がいなくても誰かがやって回っていくんだからあんま気にするな」と言いますが、私は気になってしょうがなくなります。××さんにだけは「ご迷惑かけてすみません」ってメールしようかどうしようか迷ったりして。
本来、私の責任だとされていることを表に出されると、つらいですね。でも、あんまり深く考えない方がいいんでしょうかね〜?

もしばったり道で会ったりしたら「実はうつ病なんです」って深刻な顔で打ち明けてみようかな?腹立たしくてつい本音をぶちまけてしまいそうですけど。

27春田の蛙:2005/04/25(月) 20:22:07
すみません。レス遅れました。
ボンヤリした中書いてますので、的外れな内容があったらゴメンナサイ。

>さっそくなんですが、お言葉に甘えてもよろしいでしょうか?(笑)

もちろんです。此所でよければ何なりと。(^-^)

>うつ病の一歩手前の中程度のうつ症状だと言われました。(ちょっとショックでした。もっと軽いものだとおもっていたので)

あ〜やっぱりこだまさんもなってしまいましたか…。この問題から不眠とかうつで悩まれてる方って、本当に多いようです。
私の印象ですが、それでもBBS等では整理された内容というか、
きちんとした書き込みをされようと努めておいでの方が多いように思えて…それが余計に痛ましいというか…。

メールについてですが、メールに限らず文字だけのやりとりだと、言い方で柔らかく逃げたり出来ないから、
イラつきや身勝手な要求はダイレクトに伝わってしまうんですよね。
意外に気持ちの底が透けて見えるというか、誤魔化しの利かない部分が、受けとる方は辛いと思います。

基本的に、私も御主人のご意見に賛成なのですが、

>もしばったり道で会ったりしたら「実はうつ病なんです」って深刻な顔で打ち明けてみようかな?腹立たしくてつい本音をぶちまけてしまいそうですけど。

――それはすごく良い方法かもしれませんよ。
少なくともそういうつもりでいれば、ばったり出会う事を恐れる必要はありませんよね。
感情的になっても、うつ病のせいにすれば角は立ちません。

万一それを『信心』のせいにするような馬鹿がいたら、思うさま罵ってストレスをぶつけてしまいましょう。
うつ病の原因は組織にある訳ですから、あなたに同情しない輩に遠慮は要りません。

こだまさんから乗り込んで文句言う訳じゃなく、うつ病の治療を兼ねた気晴らしの外出先で鉢合わせた結果なら、何が起きようと仕方無いのです。
さらに相手が家まで押し掛けてきたら、御主人に少し症状を水増しして説明してもらい、「そういう事情なので活動は控えさせます」などと話して頂くのはどうでしょうか?

そういうつもりでいれば、外出に神経を使う割合がいくらか減りはしないかと思うのですが。ダメかな?

28こだま:2005/04/27(水) 01:12:11
春田の蛙さん

微熱の方はいかがですかー?微熱ってその名とは裏腹にとってもつらいですよね。しかも長く続いているなんて・・・とても心配です。どうかご無理をされずにしっかり、ゆっくり直してくださいね。
ちなみにこの先に書くことは、いつもの悩み相談ではなく単なる報告ですので、レス不要ですからね。

>ボンヤリした中書いてますので、的外れな内容があったらゴメンナサイ。

こちらこそ、こちらこそ、申し訳ないです。ボンヤリした中なのに、レスまでいただき本当にありがとうございます。すごい的確でビックリしてしまいましたよ。
実は最近、幹部が「会いたい、会いたい」とすごかったんで、「ちゃんと、病気を盾に説明してやろう」と思い、会うことにしたんです。でもいざ会うとなると怖かったのと、話が長くなると思ったので、電話にしました。そこではっきりわかりました。向こうは私の心配はしていない、とにかく早く戦線に戻ってくることだけを要求する、だから私に許可する休息も一時的なものだけなのです。向こうは意識していないと思いますが、私の言葉に、どんどん自分の言葉をかぶせてくるのです。私の話なんて聞いちゃいないんです。私は腹立たしいを超えて、情けない気持ちになりました。でもスッキリしました。私は会合に出ない説明責任を果たした訳だし、向こうがいついつになったら出てくると期待しようが、なんだろうが、もう完全無視です。

でもそうは言っても、外出すると誰かに会うんじゃないかと怖くて、暗くなってから買い物したりゴミ捨てしたりしてたんです。でも蛙さんが、

>少なくともそういうつもりでいれば、ばったり出会う事を恐れる必要はありませんよね。
>感情的になっても、うつ病のせいにすれば角は立ちません。

と、おっしゃってくださったので、とても心が軽くなりました。「そうか、そうだよね!」って感じです。会ったら会ったで、堂々と「病気なんです」(何か文句ある?)といってやります。
こうなったら、うつ病を最大の武器にして自由を謳歌するぞー!ほんとに幸い、私の場合はうつも大したことなくて、夜もグーグー寝てますので、まさに口実のために体が反応してくれてたかの様です。
今は休日も家にいることが多いのですが、読書に没頭してます。それはそれでとても楽しいです。

もうすぐ、5月だというのに、朝晩はまだ少し寒いですよね。どうぞ温かくして、ゆっくり休んでくださいね。

29春田の蛙:2005/04/28(木) 08:24:56
いや、そんな気を遣われなくても大丈夫です。いつもの事なので…ホントにすみません。
あんまり暖かいお見舞いの言葉だったので、本気で申し訳なく思いました。(涙)

>ちなみにこの先に書くことは、いつもの悩み相談ではなく単なる報告ですので、レス不要ですからね。

キッパリ言って頂いたので、お言葉に甘えて読んでそのまま寝てしまいました。(汗)
レスが返せないまま先週末を過ごしてしまったので、実はかなり心配だったんです。

ですからこのご報告を読んで、本当にホッとして熟睡出来ました。

幹部の方とのやりとりを、電話にされたのは正解でしたね。
本当に勇気のいる、相手と自分自身、両方と闘う事だったと思います。

>でもスッキリしました。私は会合に出ない説明責任を果たした訳だし、向こうがいついつになったら出てくると期待しようが、なんだろうが、もう完全無視です。

うん!辛かったし苦しかったけど、だからこそ確信が得られましたね。
私は何もお手伝いは出来なかったけど、あなたのような尊敬出来る友人を持てた事を、誇りに思います。
悩まれ、ご決断され、やりとりをこなし、お気持ちに区切りをつける。
そのお一つお一つに…本当によく頑張った!!と、心から尊敬と称賛を贈りたいです。

>こうなったら、うつ病を最大の武器にして自由を謳歌するぞー!

うんうん♪

>今は休日も家にいることが多いのですが、読書に没頭してます。それはそれでとても楽しいです。

お、それはいいですね。私は普段は漫画ばかりです。(汗)
何かおすすめってありますか?

>もうすぐ、5月だというのに、朝晩はまだ少し寒いですよね。どうぞ温かくして、ゆっくり休んでくださいね。

お心遣いかたじけないです。お言葉通り温かめに、ゆっくり休みますね。
このご報告が、何よりの良薬でしたよ。

30春田の蛙:2005/04/29(金) 12:45:06
訂正というか、自己レス。

> うん!辛かったし苦しかったけど、だからこそ確信が得られましたね。

『確信』なんて言ったら宗教みたいですよね。f^_^;
『はっきりと自分の中で自信を持って判断出来ますね』と、そんな意味を申し上げたかったのですが、ごめんなさい。

きょうこさんが↓で、実に的確に分析下さってますが、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1110729302/81
『確信』と『はっきりした自信』も同じですね。

『確信』なんて言うと、言葉の意味以上に素晴らしい何かだと思わせられますし、それを疑うのは何だか悪い事みたいです。
『はっきりした自信』なら、そんな事はありません。
『確信』がゆらぐのは何だか負けみたいですが、『はっきりした自信』がたまに自信でなくなるのは、単に善良で慎重なだけです。

31こだま:2005/04/29(金) 20:17:44
春田の蛙さん

具合いかがですか?果物でも持ってお見舞いに伺いたい心境です。GWの声を聞いてか、今日は全国的にあったかかったみたいですね。この陽気が、蛙さんの具合の悪さも吹き飛ばしてくれるといいなぁなんて思ってました。

>レスが返せないまま先週末を過ごしてしまったので、実はかなり心配だったんです。

えーっ、すみません。でも、ありがとうございます。ご心配いただいてたおかげでしょうね、今とても穏やかな気持ちでいられるのは。そう、きのう近所の学会員の方と、ばったり会ったんです。向こうから声をかけてきて。私はその人にも「申し訳ない」気持ちでいっぱいだったので会うのが少し怖かったのですが、会ってみたらなんてことはない「ただの優しいおばさん」でした。化け物のように恐がってたのは、妄想でした(笑)こうやって、少しづつでも恐れがなくなっていけばなーなんて思います。

>> うん!辛かったし苦しかったけど、だからこそ確信が得られましたね。
>『確信』なんて言ったら宗教みたいですよね。f^_^;
>『はっきりと自分の中で自信を持って判断出来ますね』と、そんな意味を申し上げたかったのですが、ごめんなさい。

「確信」と言っていただいたときも、私うれしかったです。「はっきりした自信」はたとえ揺らいだっていい、と説明下さってるのもホッとしました。
なにより言葉を慎重に選んで、投げかけてくださってることにびっくりし、すごいなって思いました。ありがとうございました。

>私は普段は漫画ばかりです。(汗)
そうですか、素朴な疑問なんんですけど・・・漫画ってお金かかりませんか?本は図書館で借りられるけど、漫画を家でゆっくり読もうと思ったら買わなきゃですもんね。マンガ喫茶とかなら、存分に楽しめますけどね、なかなか私一人だと足を運べなくて。だから最近、マンガ読んでないなー。

>何かおすすめってありますか?
いや、私本来読書家じゃないんで、特におすすめは・・・。
先週読んだのは、宮部みゆきの模倣犯です。流行った当時は分厚いのは面倒くさくて。でも時間がある今の私にはうってつけでした。そのなかで長年豆腐屋をやってきたおじいちゃんが言った言葉で、心に残ったのがありました。

「あんたら若い人は、よくそういうものの言い方をするね?
自分には何々する資格はないとかさ。自分は何々だと思ってコレコレのことをしてきたけれど、本当はそれは偽りで、自分の心の底にはコレコレしたいシカジカの動機が隠されていたのだから、あれは間違いだったんだ、とかよ
私なんざ、不思議でしょうがないよ。なんでそんなことをする必要がある?

ホントは違ってた。ホントはこうだった。やめなさいよ。あんたがそのとき考えたことが本当のことなんだよ。本当のあんたは、そのときそのときその場にちゃんといるんだよ。  
あんたはいつだって何かやろうとしてきたんだ。あんたの身に降りかかった災難から立ち直るために、何か道がないかって、ずっと探してきたんだ。その一瞬一瞬は、いつだってあんたにとっては正しい方向を向いてたんだよ。だけどちょっと続けて苦しくなると、すぐにそれが間違ってたような気分になって、やっぱりあれはホントじゃなかったって言い始める。まるで、いちいち‘あれは本当のことじゃないです‘って断らないと、誰かに叱られるとでも思ってるみたいだ。誰も叱りゃしないよ。だってあんたの人生はあんたのもんなんだから。過去の災厄だけがあんたのものなんじゃなくて、これから先の人生だってあんたのものなんだ。誰にもお伺いをたてたりせずに、自分のためになることを自由に考えていいんだよ。」

話の中身とはまったく関係ないんだけど、今の自分を励ましてもらえたような気がして、気に入っっちゃいました。

そういえば、蛙さんこの掲示板でのやりとり、携帯でされているんですか?
このまえ「ゆっくり休んでくださいね」なんて書き込んでおいて、その時間が深夜だったことに気づき、申し訳なく思いました。スミマセン・・・

32きょうこ:2005/05/15(日) 01:57:53
マインドコントロールについて、私の全くの私見ですが、まとめてみました。
以前、書かせていただいた事とあわせて、少しでもお役に立てたら、と思います。
が、個人的な意見ですので、つたない部分や解りにくい部分、
見当はずれな事を書いている部分がありましたら、ご指摘いただければと思います。

長いので分割します。



マインド・コントロールの恐怖 を読んで


・・・・・『証明も評価も出来ない』・・・・・
カルト宗教の一番効果的な教義は、
証明も評価も出来ない、という事だそうです。
「仏法は勝負」と、学会員は繰り返し繰り返し叩き込まれます。
何をもって勝ちとし、何をもって負けとするんでしょうか?
「勝ち」や「負け」は、一時的な状態であって、それはその後の行動によって変わっていくのです。
「功徳」も「罰」も、何が功徳で何が罰なのか、自分でどうにでも解釈できます。
(組織内では時々、こじつけで「これは功徳ね!」なんて言っている人を見かけますよね)
功徳には「顕益と冥益」があると教えられます。
顕益=現実に現れる利益 冥益=目には見えないが自身の内に蓄えられる福運 こんな感じでしょうか。
そう、まさに、証明も評価も出来ません。
それを学会活動をすれば福運がつく、功徳が出る、と言い切ってしまうところに、カルトだと言われる所以があるんでしょう。

そもそも、「絶対に幸福になれる」と言う時、その幸福とは何でしょうか?
人が100人いれば100通りの幸福があります。
そして、人によっては同じ環境&同じ状況で、幸福だという人もいれば不幸だという人もいるんです。

信仰を持って得られる幸福は、主体的なものです。
人と比べられるものでも、優劣をつけられるものでも、ガイドラインがあるものでも、ありません。
人に押し付けたり、特定の行動をすれば得られると吹き込むのは、信仰を悪用していると思います。
証明も評価も出来ないので、いくらでも悪用できるのです。
だから信仰を持つ人は、自分でその信仰の証明と評価を、「自分自身に対して」していただきたいと思います。
自分に有効だからあなたにも有効、とは限らない事を忘れずに。

33きょうこ:2005/05/15(日) 02:01:21
つづき

・・・・・『思想コントロール』・・・・・
1)詰め込み言語
カルトでは、詰め込み言語と言われる専門用語で、その人の思想と行動を縛るのだそうです。
私は学会を脱会したので、組織からは「退転」者と言われます。
「退転」というと何か、悪の道へ転げ落ちるような印象を与えます。
でも実際は、「退転」と言われる状況は、行動としては「そのひとの考えが変わった」事にすぎません。
私は「考えが変わった」ので、学会をやめました。
同じように「怨嫉」は、組織の中で使われる場合は、「意見の相違」に過ぎないと思います。
実際に誰かを怨んでいる人に使われるのは稀です。
それは怨嫉だよ、と誰かに指摘されたとします。
そうすると、その人は自分が悪いんだ、と思ってしまいます。
Aと思うのも正しいし、Bと思うのも正しい、というような多様な価値観が共存できる環境には、なりえません。
「折伏」=その人の幸福=平和の実現 と、活動家は思い込まされています。
だから「折伏」の内容がどうであれ、相手がどんなに不愉快であれ、
「折伏してきました!」と言えば組織では「すごいわねぇ〜〜」と賞賛が返ってきます。
少しの例ですが、このように言葉の持つイメージを使って、行動を制限しています。

2)組織に対して批判的な意見や疑問が湧いたら、自分を責めなさいと条件付けられる
「心の師とはなるとも心を師とせざれ」という有名な御書の一節があります。
この文を、組織は、批判的な意見を封じ込める事に使っている場合があります。
「あなたは自分の師になって自分を導きなさい」というのは、良く使えば私はとっても良い言葉だと思います。
でも会員の意見に対して幹部が使うとき、または自分自身の疑問に対して自分で使うとき、
「こう思うのは自分が間違っているのだから、良い方向に導かなきゃ」と思わせられるのだとしたら、すごく危険です。
そこには正しい道の探求はなく、「組織=善 批判意見=悪」と植えつけられた価値観の奴隷になっている自分がいるだけなんです。
批判的な意見が湧いたら、疑問が出てきたら、「じゃあ自分は、正しい事は何だと思うのか?」と思索を自由に進められるのが、良い信仰なのではないでしょうか。

34きょうこ:2005/05/15(日) 02:01:57
思想コントロールの続き

3)確信
私が、若い頃から自分の指針にしてきた、池田名誉会長の指導を紹介します。
「仏法に照らされて起こった事は、すべて最も良い方向に進んでゆく。と『確信』していくとき、広々とした、晴れやかな境涯が開けていくのである。」
これは、幹部が退転したり不幸な事が起こったりして、信心しているのになぜ?と疑問が湧いたときに、その答えとして名誉会長がこう確信していきなさいと言っている指導です。
その出来事の理由や、経緯を追求せずに、その出来事は最善の事なんだと確信しなさい、と言っている。
確かにそうです。悪い状況になっても、信頼していた幹部が学会を辞めてしまっても、良い事なんだ、何か意味があるに違いないと確信し切ってしまえば、本人にとっては晴れやかにもなりましょう。
実際、私も非常に辛い事があって、この指導を読んで、「これで良かったんだ」とその時は思いました。
でも当時、これで良かったと思った私には、学びも向上もなく、それ以上思索する事もなかったのです。
ただ、非常に受け入れがたかったその出来事を、最善の事なんだと受け入れた自分がいただけです。
私は事実を受け入れる事は出来たかもしれないけれど、悲しみは癒されずまだ残っているし、精神的に乗り越えてもいないことに、最近気づきました。
10年以上たちますが、まだ自分の中で解決していないのです。とっても残念です。
「確信しなさい」とは、その出来事についてどうしてなのかと自分で考え、自分で学ぶ道を閉ざしてしまうのです。
そしてその「確信しなさい」とは、「創価学会の正しさを確信しなさい」が必ず裏側にあるのです。
信仰の対象(ご本尊や日蓮聖人の思想)を確信するのは、信仰者として当然かもしれません。
が、創価学会という組織を信仰対象と同等にまで引き上げてしまう、それをごく自然にさりげなくやってしまうのが、恐ろしいと思います。

4)迫害されている
統一協会の教祖は、言うそうです。
「世界の偉大な指導者達は、みな、どれだけ迫害されてきたか?!」と。
信者は、→正しいものは迫害されるのだ、と思い→我々は迫害されているから正しい、となる。
「批判」を「迫害」にすり替えています。
そして迫害されているから正しい、というのは正しいでしょうか?
歴史の中で、正しいと思われるものが迫害されてきたのは、その通りかもしれません。
でも迫害されているものがすべて正しいか?答えは否です。
こんな言葉を、感情を込めて言われたら、人は信じてしまうんです。
「そうだ、我々は正しいのに、理不尽にも迫害されているんだ」って。
批判というものは、耳に痛いです。
出来れば目を向けたくないし、自分のほうが正しいって、誰だって思いたいんです。
それに、迫害されている、なんてちょっとカッコいい響きなんです。
統一教会は、そうやって信者のコントロールをしているようです。
さて、まったく同じ事が言われている団体がありますが…
統一教会はそうだろうけど、創価学会は本当に迫害されている!なんて、まだ思いますか?

35きょうこ:2005/05/15(日) 02:02:48
つづき


・・・・・ダブルバインド・・・・・
二重拘束です。
信仰活動は、自分から求めて進んでやるぶんには、充実感もあり幸福感も得られます。
学会の場合、活動する事がそのまま功徳、幸福につながる、という考えなので、
イヤだと思ってもやらなければいけない、
組織も活動家には役職等の責任を与えて活動の現場から離れないようにします。
活動内容に不満があったり、納得のできない時、それでも活動家なら組織活動はしなければいけません。
幸福を求めて信仰をする、だけどその信仰の活動によって幸せが遠ざかる。
さらに幸せを求めて活動に打ち込む、さらに幸せを感じられなくなっていく。
私の個人的な意見ですが、この二重拘束的な生活を毎日していると、心身症などの病気になってしまうのではないでしょうか。
心と体はつながっています。
いくら自分で正しいと思い込んだとしても、本当は心の底で拒絶している事があったら、それは体の不調として現れてきます。
納得できないままに、言われたから活動をするなら、やらない方がいいと思います。



・・・・・終わりに・・・・・
何度も言いますが、信仰は主体的でなければ意味がないと思います。
それを、「幸福」を人質にとって活動をやらせるなんて、ひどいです。
学会員であった私の人生は、「○○をしなければ幸福はない」と思い込まされていた、条件付の人生でした。
生まれながらに条件付けられていた、人生でした。
私は本気で、広宣流布をすれば世界はもっと良くなる、不幸が減ると信じていた時期があります。
でも大人になって現実を見るにつけ、最高の信仰をしているはずの学会員でさえ、そして幹部になればなるほど、
人の気持ちの解らない、自分の名誉欲に飢えた人達がいるのに呆れ果てました。
でも同時に、どんな信仰であれ、それによって自分を向上させて社会に貢献している人達がたくさんいるのも事実です。
信仰は、人によって精神を向上させる良薬にもなり、人によっては精神を縛る鎖にもなります。
どうか精神を縛るものを拒む勇気を、より多くの人に。
と、それが私の願いです。

36まーち:2005/05/16(月) 00:03:13
きょうこさん。はじめまして。
とても分かりやすかったです。ありがとうございます。

春田の蛙さん。
こちらでははじめまして。
と言っても覚えてられないかもしれませんが、「あなた色」で掲示板デビュー
したとき、声をかけていただきました。
いつも興味深くROMしています。お体を大切になされてください。

37春田の蛙:2005/06/17(金) 17:27:04
>36 まーちさん
ええと…まーちゃんさんのお名前で書き込まれていた方でしょうか?
でしたら良く覚えています。ネットでのやりとりに慣れていないとのお話しでしたので、初心者同士よろしくと申し上げましたね。
そう言いつつ、初レス以来あまりよろしくする機会が無くて寂しかった所です。(笑)

書き込み下さって本当にありがとう。ずっとROMってて頂いてたんですね…。
お返事が大変遅くなってしまい、本当にすみません。m(_ _)m

私は無知な上にあまり説明も上手くないので、何か不明な点がありましたら遠慮なくお尋ね下さい。
お返事はお待たせしてしまう場合もありますけど、私に分かる範囲の事は書かせて頂きますので。

…実際ね、書き込みって勇気が要ると思うんですよ。
だから、サイトを御覧頂いた上にこうして書き込みを頂けるのは、本当に嬉しいです。読んで頂くだけでも、有り難い事ですから。

もし良かったら、これからも気の向いた時は書き込みにいらして下さいね。『役に立つ事を書こう』なんて気負う必要はありませんから。
BBSに雑談が増えれば賑やかになって私も嬉しいですし、皆さんも喜ばれると思います。

そして、そんな会話の『楽しさ』が、マインド・コントロールに限らずあらゆる悩み事からの回復には、とても大切です。
以下にも書かせて頂いた事ですが、問題を直視し、それを解決するまではと自分を抑えて暮らしていれば、むしろ長くその問題に囚われてしまいます。

http://kibounokaze.hp.infoseek.co.jp/cult4.html

身体だって柔軟体操でほぐさなければ、激しい運動には耐えられません。心もそれと同じなんですよ。(^-^)

38まーち:2005/06/20(月) 12:26:09
春田の蛙さん、こんにちわ。

覚えていてくださったんですね。その通りです。元まーちゃんです。
いつも温かいお言葉、ありがとうございます。

私は、心理学に関心があり、独学ですがそれらに関する書籍などを読んでいま
す。MCについても聞いてはいましたが、それがどんなものなのかは、認識が甘
かったと思います。
 別れた彼女が「やめたら不幸になる」と言ったことがあります。
その時は、よく意味が理解できませんでした。その後、仏罰の話などを知りま
したが、それでも、いまひとつピンときませんでした。
 もちろん、仏罰論がその人に与える影響は大きいとは思いますが、ただそれ
だけで仏罰が起こるということを信じられるのだろうか、という疑問がありま
した。
それを信じさせる何かが、教義や指導の中にさりげなくちりばめられているの
ではないか、と考えていました。

それで、きょうこさんのレスを読んで納得しました。

春田の蛙さんの文章は、とても分かりやすいです。
また、気づいたことや質問等が出てきたときは、書き込ませていただきます。
お体の方は大丈夫ですか。ご自愛ください。

39きょうこ:2005/06/21(火) 14:07:03
学会員以外の方に向けて
会員の状況を説明してみようと思います。


Aという道と Bという道があります。
どちらも一般に使われている公道です。

私たちは、Aは良い道、Bは悪い道だと教えられます。
Aを通るとイイ事があるよって。
Bを通ると悪い事があるよって。
Aは「功徳・歓喜・幸福・世界平和・正義」などの言葉で飾られています。
Bは「罰・不幸・魔・地獄」などの言葉で飾られています。
ひとり、ふたりが言うのなら、信じないかもしれません。
でも、色々なたくさんの人達が、同じように言うんです。

それを聞いた私たちは、
Aは良い道・Bは悪い道だというイメージを強く刻まれます。
繰り返し、繰り返し、みなが言うのを聞いていると、
それが当たり前の事の様に思えてきます。
理由はわからなくても、みな、
Bは通りたくなくなるでしょう。
なんとなく嫌な印象を与えられているんですから。
それでみんなAに誘導されていきます。
Bで事故があったとします。
みな「ほら!だからBは通らない方がいいって言ったでしょう?」
と言い合います。
そうやって、イメージは強化されていきます。
2世・3世なら、なおさらです。
物事の判断がつかないうちから、そうやって刷り込まれているんですから。
何年も。何十年も。

Aに信憑性を持たせるために、
Aには一見難しい教義がついています。
Aを通り、Aの道を補強するために活動すると、
表彰され、賞賛され、肩書きがつき、とにかく絶賛されます。
Aの道をもっと広く強固にするために
寄付が集められます。
「供養」と名前のついた寄付です。

本当はAもBも、普通の公道です。
どちらも、花が咲いている場所もあるし、
事故が起きる事もあります。
でも学会員から見ると、
Bを通った方が楽かなぁと思うような時でも
なんとなくBには悪い印象があり、
結局安心なAから離れられません。
理屈じゃなく。
Aから離れられない人は、もっと安心したいがために、
Aは良い道だという理由を考え、自分を納得させて、
仲間を増やそうとします。
遠目に、Bを普通に歩いている人達を見ながら、
「なんであの人たち、普通に歩いてるのかしら」
という疑問がわくと、
「あの人たちは真実を知らないからよ」
「今は平気かもしれないけど、
 あの先には悪い事が待っているんだから。」
と、疑問は抹殺されます。


人間って、与えられた情報によって
いくらでもコントロールできるんですね。
何かきっかけがない限り、
正しい情報とか、偶然Bを歩いちゃった時になんでもなかったとか、
Aですごく嫌な事があったとか、
何かそういうきっかけがない限り、
Aを離れるのは難しいかもしれません。
「ここは絶対に、絶対に安全な道ですよ」と言ってくれる人がいる道は
他にありませんし。



>まーちさん
はじめまして。感想ありがとうございます。
とっても励まされました。

40春田の蛙:2005/06/21(火) 18:55:48
>38 まーちさん
お返事頂き、本当にありがとうございます。かなりレスを遅らせてしまいましたし、
呆れてもうご覧になっておられないんじゃないかと、実は心配でした。(^_^;)

>いつも温かいお言葉、ありがとうございます。

それは此方こそです。暖かいお見舞いと励ましを本当にありがとうございます。
これからも、遊びにいらして下さいね。
ちなみに、私の知識も全部独学です。だからあんまり大した事は書けません。(笑)

心理学は、未だ産声をあげたばかりの未熟な学問です。
だから、いい加減な内容も沢山まかりとおっています。
ですから――心理学に限った話ではありませんが、書物を読む時はそれを疑う視点も忘れないで下さい。
自分は『騙される人間』だと自覚する事。
そうすれば、道を間違えてもそのまま遭難する可能性は、ぐっと少なくなると思います。

ま、私みたいに『自分はバカだ』と認めて、『それのどこが悪い』と開き直るのが一番です。(笑)

> 別れた彼女が「やめたら不幸になる」と言ったことがあります。
>その時は、よく意味が理解できませんでした。

そうですか…辛い恋愛を経験なさったんですね。
以前、こちらによくお越し下さってた永田半蔵さんも、同様のご経験をお持ちでした。
仮に双方が学会員だったとしても、片方が疑問に目覚めたりした場合は修羅場だろうと思います。
マインド・コントロールが間に挟まるばかりに、本当に純粋な気持ちが伝わらない…悲劇ですね。

>その後、仏罰の話などを知りま
>したが、それでも、いまひとつピンときませんでした。

私も、マインド・コントロール関連の本は随分前から読んではいたのですが、腑に落ちるようになるまで何年もかかりましたよ。
ですから焦らず、雑談なども交えながら、一緒にゆっくり学びましょう。
ここにはきょうこさんが、本当に貴重な意見を寄せて下さってますから、参考になると思います。

私も手が空いたら、他スレで中断したままになっている脳関連の話題を書き込むつもりです。
きょうこさんやこだまさんにも話題にお付き合い頂いてますので、よければそちらも覗いてみて下さいね。

41春田の蛙:2005/06/21(火) 18:57:58
>39 きょうこさん
これは…本当に分かりやすい説明ですね。感服しました。
うーん、私もこういう風に書ければ、もっと言いたい事が伝わるんだろうになぁ…。

>学会員以外の方に向けて
>会員の状況を説明してみようと思います。

こうした解説は、本当に貴重で有難いです。
まーちさんも仰っておいででしたが、外部の人がこの問題にぶちあたった時の戸惑いに対し、
手掛かりを与えてくれる分かりやすい表現は、本当に少ない気がします。

ひとつには、たとえ内部にいた事がある方でも、マインド・コントロールという観点で
きちんとご自身の体験を整理なさろうとしている方は、未だ少ないからでしょう。
だから組織からは離れネットでその体験を語っていても、
どうしても内容は、異常な選挙活動や幹部の非常識発言の話が主になります。

もちろん、それは仕方ない事なんですが、外部の視点からは
その現象の異常さは分かっても、何故そんな事態にまで到っているのかは分かりません。
それで結局、学会員という人間像そのものや彼らが頼みとする法華経・日蓮への偏見が生まれてしまう。
本当の問題は、創価学会の組織自体にこそあるというのに。

きょうこさんが分かりやすく解説されてる通りで、結果として学会員が歩いているやり方がいくら異常に見えても、
そこを歩くようにさせられた背景には、誰もが陥りがちなありふれた人間の性質があるのです。
ナチスのユダヤ人虐殺と根っこは同じです。
あれだって、ごく普通の市民が狂ったような時流に乗せられていった結果です。

ですから、先のイラク日本人人質事件で自作自演説に乗っかった方々や、ゆとり教育批判のマスコミキャンペーンに頷いた人、
ネットの嫌韓カキコで影響受けて在日差別の感情持った人達には、誰一人創価学会員をバカにする資格はありません。

組織と自分を同一視している学会員は、たしかに組織への批判に対して意地になります。
しかし、例えば自分が博識だと自負し、それを顕示し称賛される事で自分を確認しているような人は、
他人から知識の間違いを指摘されると自分を見失います。
自分と知識の価値を同一視しているからです。

学会組織と自分を同一視するのは一見異常な事ですが、実はそれを笑えない人は世の中に大勢居るんですよ。
そうした視点から見れば、カルト問題はあらゆる人にとって、けして対岸の火事ではないんです。

42きょうこ:2005/06/23(木) 16:59:38
>春田の蛙さん
お褒めの言葉、ありがたく頂戴いたします(^ー^)
自分の身に何が起こったのか、
知りたい気持ちから、色々考えてみています。
蛙さんも他の皆さんも、ご指摘があったら遠慮なく!
自信は全然ないのです。


>ナチスのユダヤ人虐殺と根っこは同じです。
すごく同感です。
組織の問題に悩みはじめた頃、「夜と霧」を読みました。
何年かに1度、読みたくなるんです、この本。

それまで一般市民で虐げられていた人ほど
ナチス独裁体制になって体制側の管理職に就いちゃったりすると
強制収容所の収容者に対して残虐になったってありました。
これと似たような事は、質の違いはあれ
ありがちな事だと思いました。

43ロン:2005/06/24(金) 02:06:38
始めまして。
春田の蛙さんに2chでご紹介を頂きまして、
初めて投稿させていただきます。
(2chでは別のコテハンです・・)

生まれたときから創価学会という宗教団体に所属しており
いわゆる(2世)です。
付属の中学・高校をでていて、周りの親戚なども含めて
強信者の多い家庭で育ちました。
中学・高校のころから漠然と違和感を感じており大学は自分の意思で
一般の大学に進みましたが、活動は続けており、いま少しずつ
距離を置いて客観的に創価学会という団体を見つめなおそうと
努力しているところです。

掲示板を拝見させていただいた感想ですが
こだまさんの状況が数年前の私の状況と酷似しており
とても他人事とは思えませんでした。(悩みや体調も含めて)
しかしこの掲示板で少しずつ心の中が整理されてきているご様子で
本当に良いことだと思います。

学会では「がんばれ」「もう一歩限界を打ち破れ」といった
うつ病患者には言ってはならない励ましのことばばかりが目に付きます。
こだまさんが活動に縛られず、自分の意思で自分を守る行動に
出ていることはとても良いと思います。

私の場合は、彼女が精神の医療に携わっていることもありとても
助けられました。
また夜回り先生といわれる水谷しゅう先生が、追い詰められた子供たちに
「いいんだよ」といいつづけて立ち直らせていく話も
自分の価値観を変えていく上でとても参考になりました。

39:きょうこさんの投稿はとても的を得ていて分かりやすかったです。
これからもご教授お願いいたします。

私はマインドコントロールについて、何も専門知識を持っておりませんし
えらそうなことはいえませんが、今後自分の経験の範囲内でお話やご相談が
できればと考えています。

どうぞよろしくお願いいたします。

夜遅いのでこの辺で失礼させて頂きます。

44春田の蛙:2005/06/24(金) 16:27:13
>43 ロンさん
早速のご来訪かたじけないです。
ご覧下さった上、こんなに丁寧な書き込みまで頂けるとは思いませんでした。
本当にありがとうございます。m(_ _)m

>学会では「がんばれ」「もう一歩限界を打ち破れ」といった
>うつ病患者には言ってはならない励ましのことばばかりが目に付きます。

私が、2chに書き込み始めた当時から問題になっている事ですね…。
あの頃は内部アンチの方でさえ、何故それがいけないのか
ピンと来ない方が多かったように思います(あくまで当時の議論からの印象ですが)。
それに比べれば、個人としては『それはよくない』と理解されてる方は、
各種批判の影響もあり、少しずつ増えておられるんでしょう。
組織の本音としては、相も変わらずだと思いますが。(嘆息)

>中学・高校のころから漠然と違和感を感じており
>大学は自分の意思で一般の大学に進みました

その選択を尊敬します。きょうこさんも書いておられますが、やはり外部と何らかの繋がりを
持っている事が、命綱になる場合があるんじゃないでしょうか。
ロンさんの彼女のお力、きっととても大きかったと思います。

私も、夜回り先生は読みました。あそこに書かれている現実は、
それを背負うのが子供であるだけに、とても辛いですね…。

世の中の現実に目をつぶって『全ては本人の受取り方次第』などと言ったり、
自分では責任も負えない功徳や罰を断言するのは、卑怯で臆病な手段だと思います。
日蓮自身は、そんな世の中の現実をこそ憂い、救いの道を模索したはずなのですが、
創価学会は(日蓮風に言えば)その文上のみ都合良く利用して、文底の心を圧殺しています。

>私はマインドコントロールについて、何も専門知識を持っておりませんし
>えらそうなことはいえませんが、今後自分の経験の範囲内で
>お話やご相談ができればと考えています。

大歓迎です。どうかお気軽な気持ちでご参加下さいね。
私も無学ですから、あまり大した内容も書けませんし。(汗)

夜回り先生を読まれた時のお気持ちも、良かったら詳しく聞かせて下さいね。
こだまさんも>>31で「模倣犯」の中の台詞から、大変印象的な内容をご紹介下さってますが、
こわばった心をほぐすヒントは、そんな風に色々な所にあるものだと思いますから。

45きょうこ:2005/06/25(土) 22:19:27
ロンさん、はじめまして。
大変なご苦労がおありだったんですね…
そして現在の精神的葛藤も、
お察しいたします。

そして、びっくりしちゃったんですけど、
「ご教授」なんてとんでもない!
わたしだってまだまだ素人ですし、
皆様と共に勉強していきたいって思っています。
心もまだまだリハビリ中です。

そんなこんなですが、どうぞよろしくお願いいたします(^ー^)

46まーち:2005/07/08(金) 11:01:45
みなさん、こんにちわ。

自分は『騙される人間』だと自覚すること。そうだと思います。
きょうこさんの道に例えたお話、今回もとても分かりやすかったです。
最近あった出来事で、知り合いが駐車場に車があるか確認に行って、そこに
車は無かったのに、ゴミが置いてあったのを見て、ゴミがあるのを車があると
思い込んでしまった、と言うことがありました。

人間って、自分の思い込みで認知してしまうんだな、と思ったものです。
見たい物だけ見る、知りたいものだけ知る、という脳の働きがあるのですね。

毎日毎日、こちらが正しいと言われ続ければ、そう思い込んでしまいます。
私も、わずか半年ばかりでしたが、「今は良くてもいずれは福運が落ちる」
とか聞いて、そうなのかな〜と半信半疑になりました。
半年ばかりの私でそうなのですから、生まれてからずっとそう聞いている
方たちのそれは大変なものなのだろうと思います。

47きょうこ:2005/07/09(土) 19:49:59
まーちさん、こんにちは(^ー^)
感想、ありがとうございます

>自分は『騙される人間』だと自覚すること。
本当に、そうですよね…
マインドコントロールの事や、認知の事を
少しずつ学ばせていただいてから、
以前の私はなんて傲慢だったんだろう、って思いました。
人間の能力を過信してました。
春田の蛙さんのサイトに出会えて、良かったです。

>福運が落ちる
うぐっ!って感じでした(笑)
私はこれ、本当に身についちゃってるので、
今でもしばしば、ふとした拍子に不安になります。
「今はいいけど、これからだんだん悪くなるのかなぁ〜」って。
そう思った後にすぐ、バカバカしい、って
自分に突っ込むんですけど。
もうきっと、一生引きずると思います。

スティーブン・ハッサン氏の本に、
海外の例が載ってました。
SGI(本には日蓮正宗って書いてあったかな…)を退会した人が、
その後、自分が癌に侵されていると思い込んでしまったらしいです。
実際は体に異常がないのに。
退会したら××だぞ!って言われた事が、
こんな形で現れてしまったんですよね。

まーちさんが、どっぷり浸かる前に正しい情報を得て、
本当に良かったと思います。

48まーち:2005/07/10(日) 21:16:49
きょうこさん、こんばんわ。

私の場合、家族も親族も特定の宗教に熱心ではありませんでした。友人・知人
にもそういう人は皆無でしたし出会った人にも恵まれていました。
また、仕事上の関係で心理学の勉強もしていますが、そのおかげで、自分の気
持ちに正直に生きることの大切さを知りました。また、いかにそう生きること
が難しいかも…。

ですから、入会を勧められていて悩んでいたとき、自分自身の気持ちを見つめ
直す作業ができました。
「本当にやりたいのか、彼女と別れたくないからか、悪いことが起きるという
恐怖からか」
そして、自分の心の整理をしたのです。

きょうこさんは確か2世の方でしたよね。私とは違い生まれたときから教義とか
信仰に関わることが多かったと思うのですが、どうして、これはおかしいと気
づかれたのでしょうか。そのきっかけとなった出来事などがあるのでしょうか。
もし、差し支えなければお聞かせいただければと思います。

49きょうこ:2005/07/11(月) 23:37:47
まーちさん、こんばんは。

>自分の気持ちに正直に生きることの大切さを知りました。
>また、いかにそう生きることが難しいかも…。
これ、本当に共感いたします。
自分に嘘をついてしまうことが、いかに多いか。
何かあったときに、立ち止まって自分を見つめなおす心の余裕って
大切ですよね。


私がおかしいと気づいたきっかけは。

下地としては、私は幸せではなかったんだと思います。
ずっと。
頭の中では、「私は最高の仏法に巡り合えてしあわせだ」って
確かに思っているんですよ。
けど、本当には、幸せじゃなかった。
その事を無意識に感じていたんだと思います。

子供が出来て、それをより感じるようになりました。
母親が幸せじゃないと、子供も幸せじゃないんだって気づいて。
自分が子供の時、母の辛そうな顔が一番イヤでしたから。

そういう下地があって、
私は真剣に自分を救う道を模索していました。
もう本当に、辛い事ばかりだったし。

あとは実際に目にする、他の会員さんの人間性とか、
活動に対する疑問とか、
具体的な一つ一つの事が重なっていった結果だと思います。
私は信仰者だって思いがありましたし、
名誉会長の指導にしろ、日蓮聖人の御書にしろ、
その内容と実際の組織のありようがかけ離れてるのが
もう気づかない振りは出来ないくらいだったんです。

具体的な事例を書きたいのですが、詳しく書けないことがたくさんあって。
ご了承くださいませ(笑)
でも、ひどいと思うことは本当にたくさんあるんです。
よく耐えたなぁ〜って思いますよ。自分で。

実際、幹部の方と話してみると、本音は矛盾を感じていらっしゃるし、
学会というものに対して負の感情も持ってるんです。
んで、それを真に受けて私は、
「そっかぁ、改善しなきゃなぁ〜」とか思うわけです。
でも次の日に会合で会ってみると、
その同じ人が、同じ口で、「学会の正義を語りぬきましょう!!」とか
やってるんですよ。
そういう中で、精神的にも辛くなってきますし、
若い頃は疑問に思うこと自体が怖かったんですけど、
(批判的な事を思うのは堕落だって言われますから)
やっぱり大人になって、批判する事自体の怖さが薄れてきたんだと思います。

あと、どこかにも書きましたが、
友達に恵まれた事が大きかったと思います。
学会とは関係ない、外部の友人です。
私は個人主義的でしたし、
折伏も選挙の票取りも、あんまりやらなかった。
活動すれば功徳がある、って言われても、
私は功徳なんかいらなかったんです。

私の人生、恵まれたのは友達だけです(笑)
それはネットでも同じです。
本当に良い情報とか良い方々に恵まれました。

すいません、長くなりました(;´▽`A``
なんていうか、こうして掲示板に書いたりしていると、
苦しいんですよね…
自分の追っていたものが、幻だったんだって証明しているわけですから。
でも、書かずにいられないんです。
だって、こんなの間違ってるもの。
(蛙さん、場所をお借りして好き勝手言ってます。
 すいません(ノ_・。)

まーちさんのように、賢明にならないと騙されてしまう世の中です。
気を抜くと、人間に対して絶望してる自分に気づいちゃったりするんですけど、
家族や、大切な友達が住んでいる世界ですから、
少しでも大切に出来たら、って思います。

50まーち:2005/07/12(火) 23:02:52
きょうこさん、こんばんわ。(^^

>頭の中では、「私は最高の仏法に巡り合えてしあわせだ」って
確かに思っているんですよ。
けど、本当には、幸せじゃなかった。
その事を無意識に感じていたんだと思います。

ちょっとした言葉の端々、何気ない仕種にその人の無意識の世界を感じる時っ
てありますよね。
おそらくたいていの人は、確信が持てなくてもなんとなく感じていると思いま
す。それを感じるから「ちょっと待てよ」となるのだと思います。

>子供が出来て、それをより感じるようになりました。
母親が幸せじゃないと、子供も幸せじゃないんだって気づいて。
自分が子供の時、母の辛そうな顔が一番イヤでしたから

その通りだと思います。母親の笑顔が子供にとっての一番の元気の源だと思い
ます。親が子供のために犠牲になっているのは、実は子供にとって辛いことだ
と思います。

>友達に恵まれた事が大きかったと思います。
学会とは関係ない、外部の友人です。

やはりそうでしたか。キーポイントは外部との接点なのですね。
しかし、外部と交わることは「魔の働き」のような指導もあるようですから、
きっかけをつかむのは難しいといえば難しい。

>なんていうか、こうして掲示板に書いたりしていると、
苦しいんですよね…
自分の追っていたものが、幻だったんだって証明しているわけですから。
でも、書かずにいられないんです。

そうですね。自分の過去を否定するようで辛い作業だと思います。
そこを突き抜ければ、見えてくる世界もまた違ってくると思います。
でも、また疑問にぶち当たる。螺旋階段のように、同じことをグルグルと繰り
返しているようで、少しずつ上昇しているようなものなのかもしれません。

>気を抜くと、人間に対して絶望してる自分に気づいちゃったりするんですけど、
家族や、大切な友達が住んでいる世界ですから、
少しでも大切に出来たら、って思います。

そうですね。身の回りのできるところからでも、大切にしていきたいですね。

蛙さん、私も感謝しています。m(_ _)m

51きょうこ:2005/07/15(金) 19:09:29
みなさん、こんにちは。
ブログ、作りました(;_;)
蛙さんや皆さんに育てていただいたお陰で…
本当にありがとうございます。

こだまさん、もしお時間が出来たらで良いので、
これを見ていたらブログのメアドからメール下さいませんか?
良かったらで結構ですので。

http://blog.goo.ne.jp/mind_control_k/
です。
皆様、よろしくお願いいたします。

52きょうこ:2005/07/15(金) 19:14:27
まーちさん、レスありがとうございます。

>キーポイントは外部との接点なのですね
そう思います。

ですから、学会に限らず、
他のカルト宗教でも、追い詰めるような事は逆効果だと思うんです。
外の世界も大丈夫なんだ、って
じっくりと中の人たちにわからせてあげた方が、
時間はかかりますが有効だと、最近思うようになりました。

53こだま:2005/07/15(金) 22:27:34
きょうこさん
ブログ開設、おめでとうございまーす!!
先ほど早速、おじゃまさせていただきました。まずはすごく読みやすくて驚きました。ブログって字が小さくて疲れちゃうんですけど、そんなことなくて。デザインもとってもクールで素敵でした。
なんて、外見ばっかり誉めてますが、内容も「さすがっ」でした。もう、すごい勢いで一気に読んでしまったんですが、実は読みながら少し泣けてきました。「きょうこさん強いな・・・」って改めて感じました。今はまだコメント不可でしたけど、きっと心無い人からの「為にする中傷」なんかも覚悟の上なんだろうな、って。私、パソコン音痴なんでよくわからないんですけど、ブログ立ち上げて自分の意見を発信するのって、すごく勇気がいると思うんです。しかもネットの世界って匿名だからこその暴言が飛び交うし、「自分が特定されてしまうのでは?」という不安もつきまといますし・・・(私が知識不足なだけかな?)
だから、きょうこさんの勇気に感動です。そしてつい、いつもの私の悪い癖で「それにひきかえ私は・・・(落)」なーんて落ち込みそうになってしまったんですが、あわてて自分の考えを訂正しました。「いやいや、いつか、遠い先かも知れないけれど、どんな形かわからないけれど、私なりの今の経験が誰かのために少しでも役に立てたらいいな。いやそうなる!」って思い直しました。すごく勇気づけられた気持ちです。

>こだまさん、もしお時間が出来たらで良いので、
>これを見ていたらブログのメアドからメール下さいませんか?

ごめんなさい。ブログのメアドってどこらへんにありましたでしょうか?(恥)見つけられなくて・・・。
ぜひメール送らせてください。

54きょうこ:2005/07/15(金) 23:51:43
>ブログって字が小さくて疲れちゃうんですけど、
同感です!
本当はもう少し大きな文字が、私的にはいいんですけど…
デザインと文字の大きさがピッタリいいのが見つからず。

ところで、メアドは、
「はじめましての言葉」という記事の、
一番最後に書いてあります(^ー^)

取り急ぎ、お返事しました。
(これで、書けなかったことがこだまさんに話せるぅ!)

55まーち:2005/07/16(土) 10:21:15
きょうこさん、こんにちわ。

ブログ、開設されたのですね。一通り読ませていただきました。
とてもすっきりとまとめられていると思いました。

自分の過去を掘り返す作業は、とても辛い作業だと思います。
でもそれ以上に、気づいたが故に、同じ境遇の人に知らせたいという想いが
こみ上げてくるのでしょうね。

私もMCについて勉強してみます。
どうぞ、ご自分のペースで進められてください。応援しています。(^^)

56春田の蛙:2005/08/18(木) 20:01:07
いやはやご無沙汰してしまって…きょうこさんやまーちさんやこだまさんが、BBSを使って下さってて助かりました。
留守しててもサイトが寂しくならなくて良かったです。o(^-^)o

ですので、お礼を申し上げるのはこちらの方ですよ。私なんかに感謝する必要なんてナイナイ。(笑)

それよりブログの開設お疲れ様でした。>きょうこさん
きょうこさんのブログや書き込みを読んでて、私の説明に欠けてた点があった事に気付きました。
その辺りを含めて、幾つか書いて置こうと思います。

A:
> (聖書に「狭き門」という言葉があるが)日本人にとって「狭き門」とは
> (1)「だれにでも知られ、みなが入りたがるが、多くの人が入れないで門外に残るという意味」であるが、
> (2)「だれにでも知られ、広い道が通じ、みなが殺到するのは『広き門』である」

B:
> 言葉のすりかえによる歪曲(ペテン)である。
> (1)の文と(2)の文が共通しているのは、出だしの「だれにでも知られ」だけである。
> これで同じような「ムード」にしておいて、あとはむしろ反対の事を言っている。
> (1)は「みんなが入りたがるが、多くの人が門外に残る」ような門のことであり、(2)は「広い道が通じ、みなが殺到する」門である。
> これなら(2)が「広き門」で(1)が「狭き門」なのは当たり前である。「日本人は(1)を狭き門と思っているが
> それはむしろ広き門である」という反論にはならない。(こんな論法で得意がる山本七平氏は)幼稚な人だ。

これは、現在はカルト問題の研究で有名な浅見定雄さんが、山本七平氏の著書「日本人とユダヤ人」を批判した内容からの引用です。
Aが山本七平氏、Bが浅見定雄さん。批判はさらに以下のように続きます。

> 聖書の「狭き門」は「それを見いだす者が少ない」と書かれているのは本当である(マタイ福音書7章14節)。
> しかしこれは、マタイ福音書の教えの意味を【本格的に考えるとき注意すればよいこと】で、
> 「狭き門」という表現自体は、今では欧米人と話すときでも、七平さんのいう「日本人」的意味でどしどし使ってかまわない。
> 「東大の門は日本の学生には狭き門です」でよろしい。チャップリンの『モダン・タイムス』の冒頭のシーンを見て、
> 「何て狭い門だろう!」ととなりのアメリカ人に耳打ちしてもよろしい。ちゃんとうなづいてもらえる。

57春田の蛙:2005/08/18(木) 20:05:04
> 【ひとつの表現がその出典の元の意味からずれる例はざらである。仏教用語などにもいっぱいある。
> しかしそれも、一人歩きしだせば、もう独立の権利を獲得する】のである。
> ついでながら言っておくと、聖書はなにも「狭き門」ばかり説いているわけではない。
> 現に「狭き門」のたった4節先には、こういう教えも書いてある。
> 「すべて求めるものは得、たずねる者は見出し、門を叩く者はあけてもらえるからである」。広き門の教えだ。【文脈抜きの一般論には、何の意味もない】。
――浅見定雄著「にせユダヤ人と日本人」朝日文庫より引用。【】記号と()内の補足文は引用者が追加。

ちなみに著書のタイトルが「にせユダヤ人と日本人」になっているのは、山本七平氏が当初ユダヤ人を騙り、
「ユダヤ人差別はユダヤ人の自業自得」だの「ナチスのユダヤ人虐殺は残虐行為ではない」といった内容の本を出版したからです。
こうした内容を、ユダヤ人を名乗ってでっちあげる神経は私には理解出来ませんが、
しかし肝心のユダヤに関する記述が間違いだらけな上、
ヘブル語やコイネー語はおろか英語に関する説明さえデタラメだったため、この詐欺は露見してしまいました。

しかしながら、今もって山本七平氏の信奉者は絶えません。
この詐欺を知ってさえ、「彼の述べる日本人論は正しい」とデタラメを擁護し、
元々の発端を知らない若い人に山本氏の言う事を信じさせようとする人もいました。
多分、本当の姿を知らずに彼の日本人論を何となく受け入れている方は、沢山居ると思います。

この図式は、丁度創価学会の問題を知って尚、「それでも名誉会長の教えは正しいんだ」と強弁して、
過去の折伏大行進や言論妨害事件を知らない人に、創価学会を盲信させようとするのと同じです。
つまり、こういう事はマインド・コントロール抜きでも、一度信じたり誉めたりした行為の間違いを受け入れたくない心理として、一般社会でも起きる訳です。

マインド・コントロールの問題も、本質は程度の問題です。例えば児童虐待を考える時、
その物差しの片方に死亡という痛ましい事件が、少し真ん中寄りに毎日痣が絶えない子供達がいるとします。
物差しの反対側の端には、幸せな子供達が居るでしょう。
しかし、完全に物差しの片方の幸せな「極」に乗ってる子供なんて居るでしょうか?

58春田の蛙:2005/08/18(木) 20:05:53
だから、片方の端に近い子供を持つ『良いお母さん』にも、
「一度くらい感情が抑えられずに子供を叩いたりした事はありませんか」と聞けば、
反対側の端に近い子供を、叩いたりネグレクトしているお母さんの、抱える問題を察する事が出来る。
しかし、現実には明らかな虐待とそうでない事例とでは、やはり程度が異なると思います。

マインド・コントロールの場合も、根底や原理には日常陥りがちな問題の延長があるでしょう。しかし普通とは程度が全く異なる。
どこの「普通の家庭」が、創価学会のように激しく選挙や活動に追い立てられたりしていますか?
浅見定雄さんは創価学会について、↓のように述べられています。

http://www.toride.org/asami/cult.htm

昨今流行りのアダルト・チルドレンの問題も、本当は破綻しているとは言えない親子関係にまで当てはめて、
いわば医源性の病理を生み出しているケースはあると思います。
もちろん熱心な活動家の親御さんに苦しんだ二世三世さんの場合は、「普通の家庭」とは呼べない場合が多いのは明らかだと思いますが、
普通の人が「私もアダルト・チルドレンだった」と言った場合、必ずしも学会の二世三世さんと分かり合える中身とは限らないでしょう。

さて冒頭引用した浅見定雄さんの批判ですが、聖書の専門家――そこで用いられる教えの定義を本職とされる――浅見博士の方が、言葉の弾力性を現実的に述べられ、
ずぶの素人である山本七平氏の方は、聖書では「本来こういう意味」だと、定義に教条的にこだわっています。

つまるところ、浅見さんにとっては聖書の語句など常識であって、今更とりたてて述べるような知識ではない、
しかし山本氏にとっては物珍しい知識であって、どうしてもこだわって見せてポーズを取りたい。
私たち素人が何か新しい知識を知った時、その興奮から陥りがちな態度のひとつだと思います。

浅見定雄さんの指摘通り、聖書の語句を文脈抜きに切り出してきて一般化しても、あまり意味はありません。
カルトの教えも、よくこうした形を取っており、それが教条的態度とカルトに都合良い拡張、
そしてそれこそが「本来正しい姿だ」といった強弁と、一般社会にまで強制する事の正当化へと繋がります。
これも原理としては普通に陥る心理の罠であり、しかしそれによって正当化されるカルトの行為が、あまりに常識の程度から外れている訳です。

59春田の蛙:2005/08/18(木) 20:12:06
ですが、そこでせっかく専門家の方が全体的な視点から概念を解説下さっても、私たち素人はつい、エキセントリックな解釈で理解を妨げてしまいます。
そこには山本七平氏を例に説明した、「無知ゆえの知識への興奮」があるように思えます。

カルトにも、様々なタイプがあります。例えばTM(超越瞑想)の場合、関わったほとんどの人はTMの瞑想法を本で読んだり実行しているのがせいぜいで、
まさか自分が単なるリラックスのひとつとして利用しているものが、破壊的カルトに繋がっているとは思いもしないでしょう。
TMの被害は実際に参加しようと、メンバーに連絡をとったり出掛けて行ったりするところから始まります。
つまり本は勧誘のための撒き餌で、引き寄せられた被害者と実際に接触した時から、マインド・コントロールは始まると言えるでしょう。
オウム真理教にも、同様のパターンで入会した人がいます。

私は詳しくありませんが、浅見定雄さんが幸福の科学の問題性は厳しく批判しながらも、
当初「マインド・コントロールの要素は薄いのではないか」と述べられていたのは、出版物によって興味を持たせる入り口は同じでも、実際に接触してから先のやり方がTMやオウムとは異なっていたのかも知れませんね。

マインド・コントロールではなくても、特定の考えや立場に入れ込むあまり、周囲に強く勧めたり、矛盾を指摘されたり批判されると腹を立てる人は居ます。
最近では、小林よしのり氏の著作などに代表される国粋主義的考えに囚われた人達が、これに当たると思います。

「自分達は白黒に分けられた世界の白い側にいる」と与えられた価値観を信じこんで、対立する考えの人は洗脳されていると捉え、
世の中にこの価値観を広めなければ日本がダメになるなどと焦るのは、折伏の心理と変わりありません。

60春田の蛙:2005/08/18(木) 20:18:09
一応参考に…

小林よしのり「戦争論」133ページ
> 南京戦の時、英国の砲艦レディバード号が日本軍の砲撃で撃沈される事件が起こった。
> なぜこんな誤爆が起こったかと言えば、レディバード号の船上には、なんと脱出する軍服姿の支那兵をぎっしり乗せていたからである。
> (中略)米国のパネー号もまるでいやがらせのようにそんな戦場を航行していて誤爆され…

「トンデモ本の世界R」より山本弘氏の指摘
> このたった1ページの中に、実に多くの間違いがある。レディバード号は確かに誤って砲撃されたが、沈んではいない。
> レディバード号に中国兵が乗っていた事実もない。(中略)
> また、パネー号は南京在住の米国人保護のために活動中で、事件が起きた1937年12月12日には、
> 戦火を逃れて揚子江を遡り、南京の上流52kmの地点に投鋲していたのである。「いやがらせのように」「戦場を航行」していたわけではない(中略)
> こんなデタラメを根拠に、中国人を「ルール無視」「国際法違反」と非難するのだからたまらない。
> そもそも「ルール無視」をうんぬんするなら、正式な宣戦布告もなしに南京まで攻めて行ったこと自体、問題なのだが。

「戦争論」の内容は大体↑こんなものですが、さらに戦史に興味がおありの方は、↓こちらがおすすめです。

戦史研究所
http://homepage1.nifty.com/SENSHI/

61留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/02/19(日) 11:16:33
>>58
>昨今流行りのアダルト・チルドレンの問題も、本当は破綻しているとは言えない親子関係にまで当てはめて、
いわば医源性の病理を生み出しているケースはあると思います。

春田の蛙さん、こんにちわ。
みなさま、お邪魔しまっす。
留守番は、最近「ラベリング」の問題について考えております。
ちょっとスレ違いか。

少年犯罪なんかの話で。
少年が、若気の至りでとか一時の気の迷いとかで
悪い事をして
その一回の事で周りのみんなから「あいつは犯罪者だ」って見られてしまって。
「悪い奴」のラベルを貼られてしまうって。
まぁやった事に関して程度の差はあるでしょうけど。
そういうレッテルと貼られてしまうと、本人に立ち直る気持ちがあったとしても
また打ちのめされてどんどんレッテルどおりの道を進んでしまうっていうことがあるらしいんです。


創価問題が語られる時も、色々ありますね。
「学会員」「非会員」「アンチ」「シンパ」「2世や3世」「AC」
「脱会者」「バリ活」
とかなんとか。

本当は、そういう言葉でひとくくりに出来る人なんていないですよね。
だってみんな違う人間だし。

そういう風に
それぞれみんな違う人間に、ラベルを貼ってしまう傲慢さに
新たな問題が生まれているような気がしてます。

このスレで良かったのかわからないですけど。
自分もたまにはレスしてみたくなっちゃったんで。
にゃはははは。

62留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/02/28(火) 23:07:55
そいから〜
コントロールについて。

コントロールって!
心理学的には、相手の意思を無視して、自分の思い通りにさせてしまうこと。
この させる ってのが味噌みたいですね。

日常生活でよく見かける光景。
「どうして俺をこんな気分にさせるんだ?!」
「わたしを怒らせないでよ」
ありますよね〜。自分もたくさん思い当たるなぁ。
これは「させられてる」と思ってるわけですよね。
ついでに、相手を責める言葉で、相手の罪悪感を刺激してる。
「こんな気分」になったのも、「怒った」のも、実は自分で勝手にそうなってるのに。
そしてこの言葉の裏には、「だからわたしの気分を良くするような言動をしなさいよっ」と
相手をコントロールしようとする心理が隠れてます。

自分以外の誰かの言動で左右されてしまうのは、その人に依存しているってこと。
自分の状態が、いつも他の誰かの言動によって決まっちゃうんですからね!!
自分の意思じゃなくて、他の誰かの意思でいつも自分の感情が決まっちゃう。
それじゃ〜毎日が辛くなっちゃうのも当たり前ですよね。
だからカルトな団体で、自分の思い通りにみんなをコントロールしようとする人といつも接していると
毎日が辛いし不安だし。
誰かにOKをもらっていないときは、いつも不安になっちゃうんですね。
不安だと逆に、OKをもらうために、嫌なのに誰かの言うことをきいちゃったりして。
結局コントロールされちゃったりして。

自分も今じゃこんなことを言えるようになったけど
以前は依存症体質でした。
少しずつ、体質改善してるところです。


そうは言っても、どこかの団体の会員さんが押しかけてきて、辛抱できん!って人。
コントロールされそうだぁ!っていう人。
対処法を教えちゃいます。
○会員「絶対にしあわせになる仏法なのよ!」
あなた「○○さんは、その信仰でしあわせになると思っていらっしゃるんですね」
○会員「そうなのよ〜!一緒にやってみない?」
あなた「○○さんは、僕がその団体に入ることを望んでいらっしゃるんですね」
○会員「そうよ。どんな悩みにも負けなくなるわよ」
あなた「そうですか。○○さんは、その信仰でどんな悩みにも負けなくなると思っていらっしゃるんですね」
え〜w 相手が根負けするまで、これを続けてください
気づく人は気づくでしょうが、これはある会話の手法のパクリです。
「○○さんは」を主語にすることで、自分が会話のトピックに巻き込まれずに済みます。

あなた「でも僕は入りません」
○会員「どうして?少しやってみて、ダメならやめてもいいのよ?」
あなた「○○さんは、僕が入らないのはどうしてかな〜と思っていらっしゃるんですね。
     僕は、入りたくないので、入りません」

ポイントは、できるならばにこやかに。
それが難しくても、なるべく柔らかい口調で。
相手に討論をしかけたりすると、相手は余計に燃えちゃったりしますからねw



春田の蛙さんは冬眠中でしょうか。
いい夢見てるといいですが。
コナンの新作、面白いかな〜。

63留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/03/04(土) 09:00:33
言語化するっていうことは、意識化するっていうことと、おんなじ。
命名「新皮質世界」
だからネットは、自分の意識の世界が表現されたもので、やりすぎると自意識過剰になっちゃうのも無理はない、っていうか当たり前のことだと思う。

>>68 は、自分の親の事かいたんだけど、自分のことだと思った方がいらしたようで。
今まで気づかなかった。
他のサイト、見てないもんで。


春田の蛙さんに迷惑がかかっちゃいけないから、書いておきます。

64留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/03/04(土) 09:02:59
↑間違えたw

>>68  じゃなくて、 >>62 ですた。

65春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:08:37
ども、留守番さん♪
すみません、冬眠中でした。(^^ゞ
でもでも、気兼ねしないで思った事はドンドン書いてね〜。

>留守番は、最近「ラベリング」の問題について考えております。
>ちょっとスレ違いか。

んにゃ、そんな事はないです。立派にスレに関係してます。
実は私も、この間から似たような事を、違う切り口から考えてたところでした。

それから犯罪って事で言うと、実はずいぶん前にsalamさんとメールで、
留守番さんの指摘されてる事にも関係しそうな点で、少し話し合った事があるんです。
指摘されている
>それぞれみんな違う人間に、ラベルを貼ってしまう傲慢さ
にも関係するかと思うのですが、遺伝による先天的な犯罪気質みたいな形で、
犯罪を犯した者にレッテルを貼る、その事の危険性や社会法益について。

以下が、その一部の引用です。
公開については、もうずいぶん前にご許可を頂いたにも関わらず、
せっかくのご厚意を延び延びにさせてしまっていた事、salamさんには深くお詫びします。(深々)

66春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:10:02
以下メール引用。

>salamさん
>実は今の学校の同級生と飲みに行ってたとき、死刑制度について話が及んだ事があり
>ます。
>そのとき、法曹を目指す人たちが思った以上に簡単に人を割り切って考えてる事に
>少々驚かされました。
>俺は心理学が学問としていかに生まれたてて試行錯誤の段階で危ういものかを説明し
>つつ、
>試験紙によって出た傾向など同じ人が一年でまるで違う結果が出る事などしょっちゅ
>うなのだから、
>人間は生まれつきで一生が決まるわけがない、とかなり力説してしまいました(汗。

>刑法の刑罰は当然ながら、人の矯正を主目的の一つにしてるはずなのですが、
>彼らはどうも単なる社会からの隔絶期間あるいは見せしめによる犯罪抑制の機能にし
>か目がいってないようでした。
>そのような話の後で書いたメールでしたので、蛙さんはどのように思っているのかな
>と思い聞いてみたかったんです。

>心理学は所詮統計の積み重ねだと思ってるのですが、そうであれば全体の中での傾向が測定できるに
>すぎないはずです(△△ならば○○な事が多いetc)。であれば、刑法の「1人の無実が混ざっている100人は
>全員無罪とすべきである」という疑わしきは罰せずの精神からも「犯罪者とは■■だから」と切り捨てる考えは
>持っていてはいけないと思うんです。社会法益を考えてもあくまで「罪に相当な罰」を考えるだけでよいわけで、
>それ以上の予見的社会的危険性などを考えてはいけないかと。
>これは、精神治療を受けている患者などに対する見方にも繋がっていると思うのですが・・・。

>もちろん、責任能力を測るに心理学を使うなというのではないですが。
>ただの心証などよりは、臨床医の個別診断の方がいいのですが、それでもそれは「まだマシ」レベルに過ぎないと思いますけど・・・。

>ところで、生物学的に見て、個体レベルの性格の差ってどこまで遺伝だということが判ってるものなんでしょうね?
>測定する質問紙や臨床診断がまだまだ確定的でない以上、そもそも信頼できる結果が測定できるものなのか・・・。

67春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:10:56
メール引用続き。

>春田の蛙
>例えば、ハンチントン舞踏病や脆弱X症候群は原因遺伝子が特定されています。
>ハンチントン舞踏病は体が勝手に踊るように動いてしまう病気で、
>知能障害や怠惰・なげやり・無責任といった性格変化を伴い、
>イライラや幻聴、誰かに追われているといった妄想に悩まされるといいます。
>脆弱X症候群は、知恵遅れの方に数%みられる症状です。

>しかしながら原因遺伝子が特定されたといっても、
>その遺伝子の本来の働きや、どうして症状に結びつくのか等は明らかではありません。
>さらに人間の遺伝分析は実際には複雑であり、
>その遺伝子異常が「必ず(浸透度)」「はっきりと(表現度)」現れるとは限らない。
>遺伝的リスクを持っていても、環境や生活習慣が良好なら発病しない場合もあるし、
>逆に環境や生活習慣が劣悪だと、遺伝的にはふつうであっても発病する場合はある訳です。

>にも関わらず、原因遺伝子の特定だけが進み、
>そのデータが一般に利用され始めれば、新たな差別を生みます。
>履歴書や見合いの釣書に「家系の遺伝的リスク」なんて書く欄が生まれたら
>…そんな未来はゾッとしませんか?


>salamさん
>なるほど。例えば風邪はセキがでる。だからといってセキが出たら風邪であるとは思わない。
>日常会話で「おや、風邪かい?」なんて言っても、本気でそう考えて聞いてるわけではないですもんね。
>にも関わらず、原因遺伝子だけで判断されるようになると・・・・嫌な風潮ですね。

68春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:12:06
salamさんが↑で指摘されておられる
>心理学は所詮統計の積み重ねだと思ってるのですが、そうであれば全体の中での傾向が測定できるに
>すぎないはずです(△△ならば○○な事が多いetc)。
とのご意見、さらにメールで述べておられた以下のご指摘は正に達見です。

>仮に制度が高い方法で測定できてるとしても、それは現時点の一点ですから素因が多すぎて、先天的なものか後天的なものかなど
>いったいどうやって判別できるんでしょうか。ちょっと疑問なんですよね。
>ただ単に測定結果から原因遺伝子を突き止めて因果関係を認めようとすると、とんでもない間違いを起こしそうですよね。

何故ならば、これはつまり、関連性(AとBに繋がりがある事)と、
そのメカニズムを解き明かす事(Aが如何にBを引き起こすか)は、別の問題であるという事だからです。
確かに調査結果を峻別する、この例ですと得られたデータから後天的要素を排除する手法は、
かなり洗練されたやり方が考えられてもいます。

しかし統計的手法とは、関連性を証明するやり方であっても、そこからメカニズムを読み解く手法では無い。
むしろ、そうだからこそ統計的手法には、それ自体に独立し厳然とした客観性があるのであって、
その価値はその欠点と表裏であると言えましょう。

んー例えばですね、コレラという病気がありますね。コレラは激しい水様下痢を引き起こします。
これによる脱水症状が主な死因になる訳ですが、大体4〜5リットルの水分が
1日に失われ、その量を計って同量の水分を輸液してやれば、患者は助かります。

ですから、この輸液とコレラの治癒には関連性があります。
しかし、そのメカニズムについては長い間誤った説が信じられていました。

かつては、腸粘膜がただれて剥げ、剥き出しになった血管から多量の水分がしみだすと考えられていました。
しかし、その後患者の腸粘膜には異常が見られない事が確認され、下痢は腸液の異常分泌であって、
それには消化管ホルモンが関わっているらしい事が分かってきています。

この例に、先に挙げた統計的手法の心理学への応用を当てはめてみましょう。
統計的手法でデータを集めれば、下痢とコレラの症状の関連性は分かり、輸液による治療を考える事が出来るでしょう。

69春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:16:53
しかし、コレラがそれをどうやって引き起こすかのメカニズムは分かりません。
そして、メカニズムの分からないまま、統計的手法を裏付けに治療ベースに乗せる事は可能です。(現にコレラは治ってきました)

さらに、コレラのメカニズムについて独創的かつ本当らしい説明を、誰かが思い付いたとします。
しかし、いくらそれがもっともらしく確かな根拠の理論に見えても、
統計的調査のデータがそれに対して否定的なら、やはり信頼性に欠けるでしょう。

つまり、解き明かされたメカニズムが、実際の現象と本当に関連性があるのか、あるいは解き明かすべきメカニズムが
どこに存在するのか、それを指し示す杖になるのが統計的手法と言えると思います。
その結果をもって、あたかも全ての解明がなされたかの如く思い込むのは、単なる錯覚です。

話はややズレますが、人間の体内現象は非常に複雑です。ですから、薬の作用なども単純には言い切れません。
そこで、体内で起きる事は一応全てをブラックボックスと考えて、そこへの入力と出力、
つまり投薬とその結果に統計的有意が見られるか否かだけから、従来考えられていた投薬効果の真偽を見るやり方が、近年盛んです。

これは心理学において、かつて盛んだった行動主義と同種のやり方とも言えるかもしれません。
前者は医学の限界から仕方なく、後者は当時これこそが科学的手法と考えられていたという違いはありますが。

しかしいずれにせよ、その結果はマスコミやマスコミお抱えの御用学者によって、ある事が科学的に証明された、
あるいは正しいとされていた事が科学的に否定されたと、単純化され過剰な反応を招きかねないやり方で伝えられる事があります。
これもまた、新たな常識を作り出す事による一種のレッテル貼りに繋がる事が多いでしょう。
この問題については、文化人類学という側面からも、後に考えてみたいと思います。

いずれにせよ、遺伝病の場合でさえ
>その遺伝子異常が「必ず(浸透度)」「はっきりと(表現度)」現れるとは限らない。
訳ですから、自分の中にその原因がある事を必要以上に怖れるよりも、それが苦になりにくい環境を如何に手に入れるか、
カルトの場合は活動の休止や脱会に加え、その後の生活においてカルト時代を必要以上に負い目に思わない事、
そうした中で培われた自分の人格を、長短両面ある個性と考えて過剰に卑下しない事が大切だと思います。

70春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:21:56
それには本人の自覚もさる事ながら、やはり一人でも理解者を見付け、自分を丸ごとうけとめて、
ゆっくりとした成長を焦らず待つ姿勢が、自身と周囲の双方に必要なのではないでしょうか?

私が思うには、留守番さんも危惧されてる通り、周りがそうした姿勢とは逆のレッテルや雰囲気を作ってる内に、
本人も自画像の同一性を、自らそこに求めてしまって、他人の目に写る自分は所詮そのようなものだ、
それが自分なんだとがんじがらめになり、個性は個性とした上で如何に生きるか、
犯罪や反社会的行為に繋がらない具体的な方法というか、間違いは間違いとして、
以降の人生を如何に生きるか、それを見失わせてしまう弊害があるように思うのです。

もちろん、個々の犯罪を見て「これは許せない」とか「反省の態度が見られない」とか言うのとは別の話ですよ。
例えばカルトのメンバーの場合だって、組織をはっきり批判し、けれど色々理由があって抜けられない人が、
「私もそれに荷担してる面はあるよね…」とこぼすのと、
カルト被害者にさえ自分の信仰を盾に配慮を求める、無神経な人の愚痴に対してでは、私なら反対の言葉を掛けたくなります。

前者には、「あなたが責任を感じ過ぎる事はないよ」って言うし、
後者には「他人に配慮を求める前に、自分が他人への配慮を学んだら?」と手厳しくなります。
前者には責任を感じるなと言い、後者には無責任になるなって言ってる訳ですが、
言葉はあくまで、それを交わす両者の関係性の中に意味を持つものですから、
その言葉単独に、他に影響を受けない不変の核があって、どの文脈でも変わらず用いる事が出来ると考え、
判で押したように同じ発言をするのが、一貫した態度であるとは、私は思いません。

むしろ、そのように「教え」を生きた現実から切り離した高みに据えている事が、
常に目の前の現実より教えを優先して、メンバーが似通った反応を返すカルトの特徴であると思います。
相手の話を真摯に読み取り、互いが話し合っている議題に則した文脈で言葉を用いて、
誤解の無いように努める事が、本当に一貫した、誠実な態度と呼べるのではないでしょうか。

71春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:37:19
ではさらに、留守番さんの指摘と同種の問題を、文化人類学的な視点の中にも見てみましょう。

放送大学講義「文化人類学研究/文化多様性への扉」より
> (近代人類学における本質主義的な民族誌の見方は)科学的な動物分類のように、地球上のあらゆる人間が、
> 民族集団という均質なカテゴリーに分類可能であるかのような印象を定着させてきた訳です。
> 近代人類学の民族誌というのは、オリエンタリズムの他者化を、更に緻密に展開しながら、
> 地球上から『他者』を駆逐していく実践だったと言えるでしょう。


人間を民族集団というカテゴリーに分類して、ある動物種の特徴を科学的に捉えるように、特定の民族を理解する。
これは、元をただせばプラトンのイデア論にも遡る事が出来る、西洋の基本的な論理のひとつでしょう。

例えば雑多な猫の背景に、本質的な「純粋猫」とでもいうべきモデルを見る。
個々の猫の特徴は、この場合いわば「雑音」であって、目の前の実体よりも、架空の「純粋猫」――即ち物事の本質である
イデアこそが、本当に存在している実体で、現実世界の雑多な猫は、猫のイデアの様々な影だと捉える訳です。

これを人間に当てはめて、各々の属する民族の本質――文化や伝統というイデアを取り出すような理解の仕方が、
近代人類学における本質主義的な民族誌の見方だと思います。


> こうした、内部において均質で、外部において異質な民族集団というカテゴリーは、
> アメリカの人類学者であるアンダーソンが指摘した近代国民国家と同様に、
> 欧米の植民地支配の過程で、多様な人々を画一的に支配するために
> 作り出されてきたカテゴリーである事が明らかにされてきました。
> 捉えどころのない多様な人々を、均一なカテゴリーに一義的に囲い込み、
> そのカテゴリーから抜け出せないようにしてしまう。
> そうすれば、支配し管理するのに都合が良い。
> これこそが、近代に特有な支配の装置と言われる「同一性の政治」です。


この問題を、この講義では分かり易く学校のクラス分けに喩えていました。
例えばズボンやスカートの丈を規定した規則があったとします。
これを守らせるためには毎朝校門に立ち、監視し懲罰を与える方法もありますね。

72春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:38:20
しかし、こういうのはどうでしょうか?
例えばあなたが属するのが一年D組として、D組には規則を守り他のクラスの模範となってきた、優れた伝統がある。
D組の一員であれば、こうした先輩達の伝統を思い、栄えあるその一員に属した事を誇りに思わなければならない。

そのように教え諭して、例えば隣の一年C組を、そのような伝統を持たない劣ったクラスとして、比較対象にするのです。
暴力で抑えつけるのではなく、ひとり一人が内面から、主体的に伝統あるクラスに
同一性(アイデンティティ)を感じ、自ら率先してその一員たらんするようと仕向ける。
これが支配の手段である「同一性の政治」と言えます。

前者の手法を洗脳、後者の主体的自発性を即すやり方をマインド・コントロールに対応させれば、
もちろんこの問題とマインド・コントロールの問題は些か異なりますが、
暴力的な洗脳よりマインド・コントロールの方が、狡猾で解け難いとよく指摘される理由は、分かりやすいでしょう。

破壊的カルトが、何故近代特有の病理という側面を持つのか?
それはカルトに用いられる支配の方法のいくつかが、近代特有のこうした政治支配のやり方の合わせ鏡である事からも、
両者の発展は他の近代特有の問題と同じく、リンクして進んできた問題であるからだと推察されるでしょう。


> 一年D組を自民族、一年C組をオリエントあるいは他民族、ズボンとスカートの規則を文化とすれば、
> この例はそのまま、本質主義的な民族誌の仕組みになる訳です。
> 実際には、クラス分けは学校の先生が何らかの基準に従って行う事ですから、別に自然な事でも何でもありません。
> ある人が一年D組に属するのか、あるいはC組に所属するかというのは、恣意的な事でしかありません。

> しかし、ある種の規則つまり文化を、特別な意味を持つ伝統として内面化させる事によって、
> D組に所属する事が主体的な意味合いをおびていくようになる訳です。
> さらに、そういった規則を守らない学生さんは、逸脱者としての烙印が押され、
> その伝統を持つ事のない一年C組は劣等クラスとして差別されるようになります。

> あるいはその伝統を持つD組のある学生さんが、隣のクラスの劣等生を憂慮し、
> 善意から隣のクラスに、その素晴らしい伝統を教えようとするかもしれません。

73春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:39:32
【引用続き】
> あるいは、隣のクラスは劣等なのだから、我々は一年C組に対して
> 何をしても良いんだ、という考えが生まれるかもしれません。
> こういったものこそが、植民地主義的な威圧と呼ばれるものです。

> また逆に隣のクラスの一年C組は、そういった一年D組のやり方に、これはもう差別ですから非常に腹を立て、
> ズボンとスカートの長さを決める規則に喜んで従う一年D組の学生さんなど学生としての資質に欠けている、
> そうした規則を持たない自分たち一年C組こそ、学生として優れていると言い出すかもしれません。
> こうなると、二つのクラスの間で悪口の言い合いになるでしょう。
> この悪口の言い合いがエスカレートすれば、喧嘩になりかねません。
> これが民族の間の出来事となれば、民族紛争となる訳です。


このような「同一性の政治」に基づき、植民地的な支配の為、
あるいはそれへの反発や抵抗という目的の為に、歴史や伝統が発明されていく。
このような問題が、ポストモダニズムに基づく人類学からは指摘されてきました。
それらは元来自然なものではなく、人工的なカテゴリーに過ぎないとして脱構築された訳です。

例えば――今時こんな言い方に騙されるのは余程おめでたい人だと思いますが、
「日本古来の武士道」なんて言い方が、「発明された伝統」の典型例ですね。
創価学会を例にとるなら、「御書根本」がまさに当てはまるでしょう。

詳しくはいずれBBSでも扱いたいと思うのですが、日蓮仏法にこそ確かに鎌倉時代からの伝統はありますが、
実は「御書根本」には昭和に入ってからの歴史しか無いのです(発明者は創価学会ではありませんが)。

74春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 12:45:13
しかし、こうした「伝統の発明」論には、支配される側の精神的よりどころ、
つまり支配への抵抗の過程で再発見された、古い文化や伝統をも切り崩すものだという批判が起きました。

文化や伝統を宗教や信仰に、対立を創価学会に関するアンチやシンパといった図式に置き換えれば、
宗教や信仰、あるいは創価学会の考えと一見対立して見える伝統や文化に対する冷静な指摘が、
双方どちら側からも反発を招き易く、下世話な言い方をするなら「どっちの味方だ?」
といった感情を引き起こし易いのが、分かると思います。

ポストモダン人類学の指摘の問題は、結局のところ伝統や文化といったものの脱構築にとどまり、事の大元である「同一性の政治」への批判が出来ていない点であると言われます。
ですから破壊的カルトの問題においても、信者を主体的に、非常識な言動や活動に駆り立てるマインド・コントロールの問題をおいて、
宗教や信仰の脱構築を批判の柱とするのは、発展的なやり方ではないと私は思います。

仮にそれらが脱構築出来たとしても、問題が生み出された大元が内面で整理出来なければ、
新たな文化や伝統や信仰にあたる何かを求め、あてない旅に被害者を駆り立てるだけではないでしょうか?

その行き着く先が、異なるそれら(宗教、伝統等)への依存ならばまだしも、
自らが取り返しのつかない落伍者であるとの、誤ったレッテルへ落ち着いてしまう結果を、私は何よりも恐れます。

75春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/08(水) 15:49:10
あ、それから私が大量の投稿で流しちゃったから追記しとくけど(汗)、
留守番さんの>>62も大変適切です。ぜひぜひ皆さん参考にされてくださいね。

>>63
>言語化するっていうことは、意識化するっていうことと、おんなじ。
>命名「新皮質世界」

留守番さんは巧い言い回しするなぁ。
確かにそうだし、その行き過ぎが良くないってのにも同感です。
私も自分を見失いかけてる人には「自分を大切に」って言うけど、
自分しか見えなくなってる人は、「自分」じゃなくもう少し「周りの中の自分」を見た方が良いでしょうね。
世界に自分が振り回される事はあっても、自分を中心に世界が回る事なんてないんだから。

あ、ちなみにこれ見て「う…自分気を付けよう」とか思う人は大丈夫だよ。
ホントに自分しか見えなくなったら、そんな反省が心に入る余地ないから(例:勧誘してくる時の創価さんw)。

ネットって事で言うなら、私みたいな役立たずでさえ、お礼言われたり感心されたりってよくあるからさ。
ついその気になって、何か自分がスゴいコテハンって言うか、
そんなカンチガイを肥大化させて自爆してった人、2chにもよく居たものな。
頻繁に書いてた頃、私もバカだから気を付けなきゃって、良く思ったものです。(汗)

>他のサイト、見てないもんで。

こういう隅っこで細々やってるサイトが好きなのね♪
でも、何か照れてしまいます。(*^_^*)
これからも宜しくね、留守番さん!

76留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/03/11(土) 09:12:30
春田の蛙さん

salamさんはニュートラルなストロークがしびれちゃうし、春田の蛙さんは問題を見えにくくしている壁をとっぱらって、繊細かつダイナミックな論で視界をババンと広げてくださって、お二人とも憧れなんですよね〜自分。
同じ土俵にあがれるようになるには、あと100年くらいかかりそうなんで、留守番は応援にまわりますw

なんか、すごく勉強になって、もうめちゃくちゃ色々感じた事があったんですけど、みなさんの邪魔にならないように一個だけ感じたこと書きます。

>>70
これは、本当ーに共感しました。
大概の人は、人生の中で、もう潰れちゃいそうに辛い時期ってあると思うんですね。カルト問題だけじゃなくって、生きてれば必ず。
そういう時に、周りの理解が得られなかったり、無神経なこと言われたり、新たな傷を負っちゃうと立ち直りに余計に時間がかかりますよね。
きっとみんな、辛い時期を乗り越えられさえすれば、なんとか自分で歩いていけるようになるのだから、見守る姿勢は本当に大事だと思います。
その大事な時期に、丸ごと受けとめてくれる理解者がいるかどうか、これは大きいです。
自分のこと振り返っても、全部投げ出したくなっちゃうような凹時期に、嘆きも愚痴も、全部そのまま受けとめてくれた人がいたから、今こうして元気なわけだし。
その元気になった過程だって、すごく色々なことがあって時間もたくさんかかったんだし。
そのこまごましたひとつひとつを、見守ってくださった方がいたから今の自分があるんだし。
きっとこれからも、そうだと思うんです。
自分はいつも「ありがとう、ありがとう」って、そればっかり言ってるんだけど、でもそう言える相手がいるってことは、自分にとって財産です。

あーなんか話がそれちゃったけれど、とにかく、自分にも人にも「これから」を考えていけるようになりたいし、「これから」を共に見てくれる誰かがみんなに在ればいいなぁと願っています。
過去の色んな問題に対して、どうしてだったのかなって春田の蛙さんが教えてくださってるのだって、「これから」のためなんですよね。(御書根本の話、楽しみなんだよなぁ)
まぁ生き物は、その日の気温や体調や、朝食に何を食べたかなんてことにこそ、本当は一番影響を受けているのかもしれないから、上手くいかないことがあってもそれがライブっていうことなんじゃー!ってことですねw


ここは避難所だから、楽しいことも勉強になることもたくさんある避難所だから、みなさんが居心地がいい場所になればいいなと願っておる次第です。(冬眠してもいい場所なんですよね〜春田の蛙さん。自分も含め、ただ眠りにくる人も多いとか…w)


それから、 >>74 もとっても賛成!!
自分に当てはめて平たく言ってしまうなら、せっかく息もたえだえに出てきた家に、わざわざ戻ってその構造やら材質の成分やらを調べる事で一生が終わってしまったら、と思うとゾッとします。家は、そこに住んでいる人がリフォームすればいいし、使いやすいものはそのまま大切に使っても構わないんだし。って感じでしょうか。ちょっと違うかな。

最後に、「レッテル」は大概、人から貼られるもんですよね。(自分で貼る人は滅多にいないと思うんだけど。)
どうしてその人が、それを自分に「貼る」のか?っていうのは、その貼った人自身の中に問題があったりしてちゃんと心理的な理由があるわけです。だから、貼られた側はあんまり気にしないで、ペランと剥がしちゃっても大丈夫なんだと思います。>ALL


>これからも宜しくね、留守番さん!
こちらこそ、こちらこそ、よろしくお願いいたします。
では。ぼーっと待って留守番しているのが、とっても好きな留守番でしたっ。

77春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/13(月) 15:07:32
……留守番さん、私のこと誉め過ぎ。(汗)


>お二人とも憧れなんですよね〜自分。

でもね、salamさんだって最初からニュートラルじゃなかったそうだよ? ↓の>630に、そう書いておられますから。

http://makimo.to/2ch/society_koumei/1050/1050727370.html

で、↑の>672が名無しの頃の私。
私だって、始めはそりゃ激しい罵倒を書きましたよ。
私やsalamさんの今の姿勢を作ったとしたら、それは活動の断り方や脱会について悩んだり、
苦しい気持ちを打ち明けてくれ、向き合ってくれた誠意ある二世三世さん達なんじゃないかなぁ。

salamさんはさ、↑のスレに限らずきちんと本音と向き合った誠実な書き込みをされてて、
実は私は昔、salamさんの書き込みのログを保存して、2chに参加する時の手本にしてました。(^^;
でね、そんなsalamさんと留守番さんには、実は私から見て信頼出来る共通点があるんです。

私とsalamさんは、例えば政治や戦争、憲法に対する立場などが、たまたま似ています。
けれど、単に似てるからsalamさんが好きな訳ではないんです。

仮に、そうした話題や紹介したメールでのやりとりで、私がsalamさんとは逆の主張をしたとします。
その時、私が如何に言葉巧みに知識をひけらかして、もしsalamさんを論破したとしても、
誤魔化しでは結局、この人の良心と信念を最後までは崩せないだろう。そういう人だと思うから、私は全幅の信頼を彼に寄せています。

同じように、もし私が詭弁で何かを言いくるめようとしたら、きっと留守番さんは納得してくれません。
一時的には「そうかなぁ……???」と思ってもね。
だから、留守番さんをほんとうに心から信頼出来るんです。

議論の勝ち負けと、ほんとうの事実とは無関係であるにも関わらず、その時その場での勝ち負けに納得して、
勝った側の主張を安易に信じてしまい、それ以上考えるのを辞めてしまう。そういう人は沢山居ます。
しかし、かつて「朝まで生テレビ」で、幸福の科学とオウム真理教が討論した時、
ディベートの技術に長けた会員を抱えて議論に勝ったオウム真理教は、正しい宗教だったでしょうか?
あの討論での勝利をテレビで観て、オウムに興味を持ち入会した人は、結構居ると聞きました。

78春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/13(月) 15:08:46
どんな理屈をつけても、悪い事は悪い。
そんなのは当たり前の事です。
私は、それがどうして悪いのか、何故そうなってしまったかを説明してるだけです。
けれど、理由や理屈はともかくとして、これは悪いんじゃないか?何か間違ってるんじゃないか…と思うから、
カルトの二世三世さんは苦しむし、活動から離れたり脱会したりもするのだと思います。

それが、ホントに組織の言う通り悪い事でないなら、そう信じ切れたらどれだけ楽か、
けれども悪い事は悪いと分かるから、余計に苦しむし辛いのだとも思います。
そんな、外からはけして触れたり汚したり出来ない、儚くも気高い輝きを、
まるで捨てるべき弱さや醜さのように言うから、私はカルトやそれに類するものがイヤなんです。

>同じ土俵にあがれるようになるには、あと100年くらいかかりそうなんで、留守番は応援にまわりますw

周りから見たら、私もsalamさんも留守番さんも、大差ないと思うなぁ。
私も時々、自分の無知や未熟さが嫌になるけど、「バカで何が悪い」と開き直って書いてますよ、いつも。(汗)

ずっと後になって、自分の書いたもの読み返すとズーーン…と落ち込むけど、意外に周りは気にしてないらしいのが不思議で、でもきっとそんなもんなんでしょうね。

だから、邪魔になるなんてとんでもなくて、書きたいなぁと思ったら遠慮なくそうしてくれた方が、私だけじゃなく皆さん嬉しいと思いますよ。

少なくとも私は、留守番さんのレスが嬉しかったし、とても勇気づけられました。
内容のあちこちで、「その通りだよなぁ」とも思いましたよ。(^^
御書根本の話も、楽しみだって言ってもらえて、色々ふっきれました。

>まぁ生き物は、その日の気温や体調や、朝食に何を食べたかなんてことにこそ、本当は一番影響を受けているのかもしれないから、

そう!これ、ほんとうにその通りだと思います。
だって人間も動物だもん、どこまでいったって。(^^

>過去の色んな問題に対して、どうしてだったのかなって春田の蛙さんが教えてくださってるのだって、「これから」のためなんですよね。

留守番さんは家の話に喩えて書いてくれたけど、ホントにそうなのよ。
欠陥住宅売られたら、建築士の資格取って構造計算のプロにならなきゃ、文句言う資格もないの? そりゃ違うでしょう、と。

79春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/03/13(月) 15:10:39
【続き】
気になるなら、家の検査はやっといてあげるから、その分の手間を引っ越し先での生活や、
リフォーム後の未来を考える時間に充てて欲しいなってのが、できれば希望なんです。
背くらべの傷を付けた思い出の柱があるなら、それはそのまま使ったって良い訳なんだから。

前に、此所に来てくれてたニコさんやシリアルさんにも言ったけどさ、得意な人が得意なことやれば良いんですよ。
不得手な事に、義務感にかられて手を出した挙げ句、「分からない…自分は駄目だ」なんて落ち込む必要無いんです。

ネットじゃ、そんな事分からないから良いけど、私料理とか家事は全然出来ないもの。
世の中私みたいな人ばかりだったら、人類は絶滅しますよ。
人間なんて掃いて捨てるほど居るから、たまに私みたいなのが居るくらいなら許せるけど。(笑)

でね、多分私は出来上がって食べる時の事しか考えられないから、料理作る根気が無いんだろうと思うのね。
準備とか調理って、結果を味わう為の苦痛にしか、思えないんです。

何かを調べて理解して、他人が味わっても美味しく思える程度まで仕上げて説明するのも、それと同じだと思います。
調べたり考えたりが、結果を味わう為の苦痛でしかないなら、学問は身に付きません。
手を抜けるところは抜くでしょうから、そこをあえて手間掛けてしまうのが性格の人に、敵わないのは当たり前で。
仕方ないから盛り付けだけ真似て、「どうだ同じぐらい美味いだろ」って口に突っ込まれても、不味いものは不味いんです。

こんな事の得手不得手は、単に個性の違いであって、人間自体の良し悪しでも、出来不出来でもないんですよ。
料理出来ないからって、美味い不味いを料理人に言う資格が無いなんて、そんな事はありません。
対等に口利いて良いんです。そもそも人間は対等なんだから。

……いや、そうじゃないと私ももっと勉強したり、料理だって作れなきゃならなくなるから、困るんですけどね。(笑)

>自分はいつも「ありがとう、ありがとう」って、そればっかり言ってるんだけど、でもそう言える相手がいるってことは、自分にとって財産です。

相手にとってこそ、そんな留守番さんの思いが支えだと思います。
ひょっとしたら、自分が辛いから、他の人にちょっとだけ肩を貸す事で、ようやく歩いてるのかもしれませんよ、その方も。(^^;

80留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/03/15(水) 08:07:11
>http://makimo.to/2ch/society_koumei/1050/1050727370.html
>で、↑の>672が名無しの頃の私。
すごい!w
春田の蛙さんが、おたまじゃくしだった頃のレスですね。
自分もちょっと、salamさんのログで勉強しなきゃだわ。

>だから、留守番さんをほんとうに心から信頼出来るんです。
わぁ…なんか、すごい宝物を頂いてしまいました…
箱に入れて、持って帰ろー♪
んで、春田の蛙さんに頂いた思いやりをみんなに分けます。
それが一番、春田の蛙さんが喜んでくれることだろうから。



>それが、ホントに組織の言う通り悪い事でないなら、そう信じ切れたらどれだけ楽か、
>けれども悪い事は悪いと分かるから、余計に苦しむし辛いのだとも思います。
>そんな、外からはけして触れたり汚したり出来ない、儚くも気高い輝きを、
>まるで捨てるべき弱さや醜さのように言うから、私はカルトやそれに類するものがイヤなんです。

うん、わたしも同感です。
良心があるから、2世・3世さんは苦しむんですよね。
だとしたら、その「辛さ、苦しさ」は、人間的な強さから来ているのかもしれませんよね。だって本当に弱い人は、悪いことを見ないふりしちゃったりするもんですし。ちゃんと悪いことと向き合うだけの強さはあるってことですね。
その強さのベクトルを違う方向に向ければ、生きる強さにもなろうってもんですだ。わたしが見知っている2世さん達も、ホントみなさん、がんばりやさんですよ。

それで、自分、すごく気になってることがあるんです。
最近、リアルでの色々なかかわりの中で感じるのは、「辛い」と言っている人を見下して、下に見ちゃう人がたくさんいるっていうことなんですけど。
「自分が助けてあげないと、この人はダメになっちゃう」みたいな。
「あなたは、一人では立てない弱い人だから、わたしが支えなきゃ」みたいな。
助け合いっていうのは、両者の間に尊敬の気持ちがあって初めて支えあえるものだと思うんですけど。でもそれが一歩間違うと、もたれ合わないと生きていけない関係(俗に言う依存と共依存)になっちゃう。

依存させて支配するっていう関係が高じると、家庭内暴力やストーカーなんかの暴力に発展しちゃうし。「俺がいねーとおまえさんは生きていけないんだぜっ」なんて。カルトの組織にだって、こういう関係はよく見られますよね。

相手の生きる力を、信じて引き出すのが、本当の助け合いだと、いつも肝に銘じてます。
そういう姿勢が、仕事やプライベートも含め、今の自分をすごく助けてくれてます。
それは春田の蛙さんの姿からも、学んだことです。自分が蛙さんを尊敬している理由です。



>ひょっとしたら、自分が辛いから、他の人にちょっとだけ肩を貸す事で、ようやく歩いてるのかもしれませんよ、その方も。(^^;
そうだとしたら、きっと自分もその方と同じです。他のたくさんの方も、たぶん同じだと思う。
ずーっと心理を学んできて、ようやっと解ってきたのは、「みんな同じなんだ」ってことでした。
心のあり方は、個人差があってそれぞれ違うんでしょうけど、「心の動き方」(=心理)はホントみんな同じですよね。どんな立場の人も、どんな環境の人も。

(余談ですけどねw どんなに社会的に立場が上で、バリッとスーツをキメてる人でも、緊張してお腹が痛くなったり、嫌なことを無理にしてればウツになったりもするんですよねー。それが実感としてわかってきて、なんかホッとしちゃってる自分が可愛いかもw)

んで、自分を支える方法が、他の人に肩を貸すことなんだとしたら、それは「すげーかっちょいい」と思うのです。
なんか世の中には、自暴自棄になって、自分や他人を破壊する方向に行く人もたくさんいるのを見てきて、
そういう簡単な方向へ行かずにちゃんと歩こうとしてる人は、やっぱり偉いよなぁーと、しみじみ思う、今日この頃なのでした。



蛙さんとここでお話できて、良かったです!
ホント、ありがとうでした。
また、何かあったら、報告に来ますぜ。

81留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/03/31(金) 11:34:47
http://kibounokaze.hp.infoseek.co.jp/cult4.html

これ、再び読ませていただいて、とても納得できました。

退会者&非活の方で、
ある状況やある人物に対して恐怖感や不安を感じる、
っていう方は読んで見られるといいかもです。

82留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/06/23(金) 14:09:34
皆様へ

ネットで、公開で、自分自身のトラウマを開くのは、
大変に危険な事だと自覚してください。
精神的に、とても不安定になります。


自分も潰れそうになったから解りますが、
人間には、「パーソナルスペース」といって、
安全に自分の思ったことを発言できる場所が必要です。
そして、ネットはあまり、安全な場所とは言えない場合も多くあります。

リアルに相談できる人が見つからない場合、ネットで相談するにしても、
自分自身で自己判断し、情緒的に危ないと思ったら
信頼できる人を見つけ、メールや鍵のかかる掲示板等で相談されるのが一番いいです。

匿名とはいえ、自信のトラウマを書き綴るのは、
自分の傷を常に見つめ続ける事で
それは心の回復を遅らせることにつながることもあるのです。


また、支援者も、以下の事に充分留意し、取り組んでいただけたらと思います。

http://www.jstss.org/topic/treatment/treatment_23.html

支援者が安定する事は、被害者を守ることでもあります。

83春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/26(月) 03:43:24
>>82 留守番さん

その通りです。一言半句同感です。

無論、留守番さんもネットで愚痴をこぼすなと仰ってる訳ではありませんよ。>all
ただ、トラウマやマインド・コントロールの後遺症は、ふとした時に蘇るフラッシュバックが、最も辛い事のひとつです。
忘れようとしても蘇るのに、わざわざ毎日たぐりよせては、それを見つめるのでは逆効果もいいところで、
ネットでの発言やサイト・ブログの運営は、プラスの面と同時に、
そうした事を促進するマイナス面もあるという事が、留守番さんの仰りたい事だと思います。

支援者という観点からも補足するなら、支援者が自分自身に余裕がない場合、
自分とは異なる体験に対して、必要以上にイラつきます。攻撃的な気持ちにもなります。
ですから、ネットで他者と関わる場合は、まず自分自身の気持ちの安定に、気を配る事は大切だと思います。

そうでなければ、自身に余裕が無い訳ですから、ひたすら自分の感情を訴え、それを受け入れない相手に対しては腹が立ちます。
本来、両者のどちらも悪くはないのに、すれ違いから仇のように憎み、傷付けあう。これは悲劇です。

私は、結婚詐欺に合われた方が、犯人のみならずひとしきり異性や人間そのものへの不信をぶちまけるのを、
正論で封じるような事はしたくありません。
しかし、その不信は感情論です。客観性を備えた論理ではありません。

確かにその人が癒される過程では必要な事です。
しかしぶちまけ終われば、やがて時が自然に癒しもするものを、部外者が煽って利用し、
挙句に自分の偏った思想や信条を押し付けるような振る舞いがあれば、それは間違っています。

ネットでの好意など、使い捨てればそれで良いのです。
少なくともプロのカウンセラーの場合、回復後に恩着せがましく付きまとったりしたら、職業倫理に反します。
合わないと思ったら、一時は救いになった場所でも、遠慮なく距離を置くべきでしょう。
少なくとも、当サイトにおいては、そうした利用は大歓迎です。

必要になったら、また遠慮なく使って下されば良いのですが、それを恩に着る必要などありません。
癒されかけて去る人を、仲間に引き戻すような振る舞いは、けしてあってはならないと思います。

84春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2006/06/26(月) 03:44:40
【続き】

自分自身の世話を優先し、そのゆとりで他者へも接する。無理ならば堂々と休む。
自己犠牲と他者への(限界を超えた)奉仕を美徳とする価値観とは、相入れないかもしれませんが、
自分自身への寛容こそが、中身こそ違え同じ生きる苦しみへの共感と、
本当の意味での他者への寛容にも、繋がるのではないかと思います。

むしろ、「こんなに頑張っている」との思いが、
そんな自分を受け入れない他者への不寛容へ繋がるケースも、またあるのではないでしょうか。
ネットで助言の真似事をしている身ならば、尚更自戒しておく事と、私も常々意識しています。

留守番さん。重要な指摘をありがとうございました。

85留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/06/26(月) 20:05:53
すいません(;´▽`A``
留守番している間に家の中を散らかすこどもと一緒ですね、自分。
言葉足らずで、こうして蛙さんの仕事を増やす自分ですが
蛙さんがおっしゃってくださったこと、そのとおりの事を言いたかったのです。
(でかける前に急いで書いたら、字も間違えちゃった。すみません)

86留守番 ◆UlmatWmWgA:2006/06/26(月) 20:37:08
わたしがネットにやってきた時、
蛙さんは
わたしがどんな人間だとか、どんな思想を持ってるとか、
そういうことを見て助けてくれたんじゃなくて
ただ、
血が出てるから絆創膏をくださった。
ただ、それだけだった。
それがわたしが必要としている事だったから。

支援って、そういうことだと思います。
わたしは、そういうことを、蛙さんから学びました。

何も難しいことじゃなくて
木天蓼さんみたいに、凹んでるこどもに、気を配って声をかけてあげる事だって
日常生活で出来る、立派な支援だと思います。
たぶんみんなが、生活の中で普通に示している
小さな思いやりが
時に人を生き返らせたりするものだと思います。

喉が渇いている人には、コップ1杯の水が必要で
人々は、水をもらって生き返って
また自分の生活に戻っていく。
ネットのよさは、そういうところだとわたしは感じています。

時に笑いだったり、時に新しい視点だったり、
時に励ましあいだったり、時に愚痴の吐き出しあいだったり。
ネットができるのは、それ以上のことではないけれど
でもそれ以下でも決してない。
逆に、それ以上を求めると、新たな哀しみが生まれてしまう。

癒されたら、きっと自分に合った信仰や思想や生き方が
自然に見つかるでしょう。
その人がこれから歩く道を、他者が勝手に作ってしまっては
ひとつの道だけ押し付けるカルトと一緒になってしまう。

だから被害者が癒えるまでは、充分に休める環境を作ってあげて欲しい。
元気な人は何でもやればいいけれど
疲れている人がいたら、周りの人は、その人がゆっくり休めるように
配慮して欲しい。
そう思います。
癒えた後、他の人を支援しようが、別の道に進もうが、その本人が決めればいいんじゃないでしょうか?


二次受傷しないためにも、させないためにも、
わたしも気をつけていかなきゃって思います。

そうならないためには
「支援」と「自分の思想や信念の啓蒙」をセットにしないというのが
いいのかもって、今、思っています。
そういう意味では、2chの脱会スレは良心的だと思います。

87殿舎男@秋葉系:2006/07/14(金) 02:04:33
なるほど

88事態:2006/12/26(火) 23:47:44

□ 抜 粋 宗 教 掲 示 板

ttp://space.geocities.jp/mindmanipulate/syuukyou.html

いろいろまとめてみました。

89ハヌマーン:2008/02/25(月) 11:54:53
ネット雑談スレからこちらに来ました。

みなさま。春田の蛙さま。
ご指摘&お言葉ありがとうございます。
お言葉を受け止め今後の自分に活かしたいと思います。
ありがとうございます。

自分について考える機会になりました。
私がネットに登場すること。それによる周りへの影響。
私が二度と絶対にまた同じ罪を犯さないと言い切る自信もなくて。
なので。今後このスレッド、この掲示板、雑談掲示板に出入りすることを期限を決めずにやめることにしました。

そして。その理由であればもちろん、ここだけではなく、
今後は他のブログや掲示板などへの自分の出入りについても考えていきたいと思います。
私が自分のブログで発言していくことについても、その有無から見直し、考え直していきたいと思います。

これは「開き直り」や「拒絶」ではありません。
私なりの想いであること。
どうかご了解いただければと思います。

【続きます】

90ハヌマーン:2008/02/25(月) 12:08:35
―――――

すみません、もう時間がなくなったので、またあとで書きにきます。

言い訳がましいですが、現在パソコンが不調で、先ほど携帯からみなさんの言葉を読ませていただきました。
打ち込むのも時間がかかり、空き時間のなかで書き込むと、途切れてしまいました。すみません。
携帯からだと≫みたいな引用を使うのが(私が)できなくて、正確を欠く文章かと思います。
すみません。

前回書き込んだあと、インフルエンザで倒れたままの職員に代わり急遽海外出張となり、帰ってきたら持っていった自分のパソコンが不調で今は修理点検に出してます。
海外だったので携帯もウェブできませんでした。
なので携帯からブログ操作できないハヌマーンブログもそのままになってました。

「チャンスあたえたのに」と思われるのは、今の私の立場ではそう言われるのもわかります。
本当にただの言い訳ですが、事情を一応お伝えしました。
では、ひとまず。

91ちぃちぃ:2008/02/25(月) 14:46:37
今後のことは、ハヌさんが決めることだと思うから、私からは私の気持ちだけ書きますね。

ハヌさんのブログ、楽しみにしていました。
ゆっくり更新でもいいから、読みたかった。
それと、うちのブログにこれからもハヌさんに遊びに来てもらえたら私は嬉しいですし歓迎いたします。

急な海外出張お疲れ様でした。ということは、ハヌさんはインフルエンザには感染しなかったのですね。安心しました。色々大変でしたね。

92ハヌマーン:2008/02/27(水) 00:44:23
書き込みが大変遅れて申し訳ありません。

★T.Rさん
今回のT.Rさんのお感じになったこと。読ませていただいて、私なりに(そう思ったのですね…)と伝わりました。
書き込んでくださったからこそ、ですよね…。ありがとうございます。
『実は様子を見てました』というあたりも、(そうだったのかあ)とわかって。(お互いに見合って見合ってソローリソロリしてたんだなあ。)と思いました。
その辺りを私からもT.Rさんにきちんとお伝えしたいと思います。

そのためにまず、春田の蛙さんからご指摘があった『ハヌマーンさんに予断がある』点について。
それはありません。例えば以前のことで私がT.Rさんを未だに怨みに思ってるとか、そういったネガティブ感情や攻撃的な感情は、本当にありません。
【続く】

93ハヌマーン:2008/02/27(水) 00:45:06
【続き】
ちょっと以前の話に戻ることになります。
信仰スレでT.Rさんから厳しいお言葉を頂いた時は(怖いよぅ。)という感想でした。それで「逃げる」ために「拒否」という返事をしました。このことは確か私は信仰スレで後日説明を書いたと思います。合わせて『(ああ。そんなにそこまで怖い人じゃないんだ。イジメられないのか。よかった。)と思い直してます。』といった内容を書きました。
で、お返事が特になく(あうっ。もしや許してもらえなかったかなっ。怖がった分かなりキッパリ拒否したしなあ。あうあう。)と思ってました。
そしてネット雑談スレの「しでかした書き込み」に戻ります。

しでかした書き込みを書いた時、私はT.Rさんにネタ振りした春田の蛙さんにも向けて、お二人に向けて書き込んだつもりです。なので『T.Rさんへ』と一行目に書いてないはずです。複数に向けたからです。
じゃあなんでT.Rさんに向けて断り書きをしたの?と思われるでしょうね。
それが先ほどの(あうっ。許してもらえなかったのかなっ。)に繋がります。
【続く】

94ハヌマーン:2008/02/27(水) 00:45:54
【続き】
しでかした書き込みをする前にネット雑談スレを少し前から読んだんです。そこで春田の蛙さんがT.Rさんに向けて「ハヌマーンさんの書き込みを読んで欲しい」というような書き込みがありその返事でT.Rさんが『読みましたがそれが何か?』と書いてあるのを見ました。
(ぎゃうっ。これはもしやかなーり私が声かけることって迷惑かしら。)と思ったのです。その時は。
それで(二人に向けて書くとはいえ…T.Rさんに声をかけて迷惑かなあ…私確かにあの時キッパリ冷たい態度しちゃったしなあ…)と思ってT.Rさんに向けて断り書きをしました。
◆いまこうして書いているのは【自分の罪を認めないため】とか【自分の罪を正当化するため】とか【T.Rさんを攻撃するため】とか【自分の罪を軽くするため】ではありません。【反省しない/したくない】という意味でもありません。【私の罪は罪であること】それを揺るがすつもりはありません。【自分の中身を掻き出して相手に伝えよう】としている私なりの表現です。

【続く】

95ハヌマーン:2008/02/27(水) 00:51:52
【続き】
本当にすみません。ここまで書いたんですが、また時間がなくなったので、明日以降また書きます。
一気に全部書く時間がとれる時にしようかとも思ったのですが、それだとなかなか書き込めなくなるし、
トンズラしたと思われないためには少しでも書いて行こうと思います。
途中だと「で?この話はどこにどうつながるわけ?」などなど、先が見えない場合もあるかと思います。
まるで読み手に配慮してない書き込み方ですが、すみません。
このあと、T.Rさん宛てに書いたら、春田の蛙さん宛て、かわうそ1号さん宛て、終りの言葉、と書く予定でおります。
本当にすみません。今夜はひとまずこれにて失礼いたします。

#ちぃちぃさん
私宛の書き込みありがとうございます。
お返事は必ずします。
まず先に書くことが終わってから、にさせてください。
優先順位としては後になってしまいますが、ご了承ください。
ごめんなさい。ありがとう、ありがとう。
【続く】

96ハヌマーン:2008/02/29(金) 21:21:45
【続き】
私がT.Rさんに「迷惑かけたくないな」と思っていたことと、しでかした書き込みをしたこと、この関連性について。

ご指摘のあった点。
1)元ネタ知らないなら調べればよい。
2)もし書くとしたらせめて「なんかびっくりしちゃったんですけど、それって元ネタとかあるんですかあ?」くらいで書けばよい。
3)こうした「笑い」に今回のような「介入」をすることは『失礼』なこと。
4)ハヌマーンさんの中にも『誤解された自分を挽回しようとする気持ち』があったからではないか。

4)ですが、これは言われて考えてみたんですが、違うような気がしてます。
・信頼している春田の蛙さんの掲示板であること。→私を誤解している人たちの中に飛びこんで書き込むという意識はなかった。→どちらかというと書き込みしやすい方の場所であった。
・(先ほども書いた通り)T.Rさんには「誤解されている」という意識より「これ以上迷惑かけたくない」と思っていた。
(だからといってああいう書き方をしてよかったなどと言うつもりはありません。クドイですが罪の正当化や軽減のためではなく、説明途中に必要なために書いております)

私が断り書きとして書いた内容は、きっと過去の「ハヌマーンが他人に迷惑かけた場面」で言われたことある言葉だったのだと思いました。過去の言葉が投影された。意識化されないまま書いたのだろう。(意識化されてたら書かないですよね…汗)
と、私なりに内観してみました。
【続く】

97ハヌマーン:2008/02/29(金) 21:22:23
【続き】
次に1)と3)に関すること。「笑い」について、と、先ほども少し触れました「二人に向けて書いた」ことについて。
モンティ・パイソンの存在は知ってます。一話ごと詳しくは知りませんでした。
イギリスでも当時も今も物議をかもしてますし、必ずしもみんなでウェルカムされているわけではないことも。
モンティ・パイソンのリーダーさんは自分たちに対する様々な批判も耳を傾け、その度に返事してきたことも聞いたことあるし、その中で「自分たちの笑いがリスクを伴っていることは承知している」という姿勢を持ち、番組のあとには例えば笑いに利用した身障者に対して謝ったりしていたこととか聞いたことあります。
「笑い」と「リスクへのフォローアップ」。このバランスが必要だとわかってやっていたんだろうなあ。
と私なりに感じています。
妊婦が登場するシーンとしては、リーダーさんがゲイと(今で言うところの性同一性障害)公表していたからこそ「生物学上の性別」と「生まれた後の性別」について皮肉る意味もあった…という見方があることは今回調べてわかりました。

なぜハヌマーンさんは調べずに発言したのか?
断り書きと同じく、書き込んだ当初の私には意識化されてはなかったものの、「何か」があるから「しでかした」と考えて、この問いにも自分で内観しました。
私の「悲しくなった」こととは、元ネタ(=今回はモンティ・パイソン)の「笑いそのもの」についてはさほど重要ではなかったんでしょう。
「元ネタがなんであれ」、「そうしたポイントで笑い合う人に対して」、「悲しいと思った」ということだったのだ、と。
◆繰り返し間に挟みますが、こうして書いているのは【自分の罪を認めないため】とか【自分の罪を正当化するため】とか【自分の罪を軽くするため】ではありません。【反省しない/したくない】という意味でもありません。

【続く】

98ハヌマーン:2008/02/29(金) 21:23:54
【続き】
「そうしたポイントで笑い合う人に対して」「悲しいと思った」という点。ここから考えても私があのスレに対して、あの場所に対して、あそこにいた人たちに対して、誤解を解こうという気持ちで動いたというより「安心感」だったかと思います。
だからといってやっていいことではありません。安心感といえば良い言い方ですが、悪い面として「これくらい大丈夫」と気の緩みがあったということです。

「私はあなたたちの話を聞いてこう思った」
つい、安心して自分の感想を素直にそのまま言っても大丈夫かのように、勘違いしたわけです。
何でも素直ならいいってもんじゃ、ありません。
これは私のブログを読んでいた春田の蛙さんならお気付きかもしれませんが、私は創価の友人さんにも思ったまま素直に直球過ぎる質問をしては相手を戸惑わせていました。私にはそういう特徴があります。
【続く】

99ハヌマーン:2008/02/29(金) 21:24:34
【続き】
T.Rさんが書いていた『読む側の自己責任』という言葉が、私には一番ズドーンと来ました。
その通りですよね。
他人がどこで笑いを感じようが、自分と笑いのポイントがちがかろうが、どう笑いを利用しようが、そこに「私には理解できない。」と感じても【伝える】必要はないんですよね。
私が親近感持ってる人/持とうとした人が「自分と違う感覚だった場面」に遭遇したからと言って、わざわざ自分の思いを【書く】必要はないわけです。
それを伝えることが、親しくなりたい人と関わる方法のひとつにする人間なんです、私は。そんなことを出張の最中にも自分について考えながら、気がつきました。

そういう私にT.Rさんが「わかりあえない」とおっしゃるのは、その通りだと思います。
何番目かの書き込みでも書きましたが、やっぱりあそこではどんなに元ネタを知ったとしても、仮に知っていたとしても、春田の蛙さんやT.Rさんと同じ感覚で笑うことはできないでしょう。
その意味では、そう、「わかりあえない」ということなんでしょう。
それぞれ違いはあるわけで、そのときに『自己責任』として「かわいく質問してみる」とか「何も発言しない」とか他にも選択肢はあるなかで、「自分の感じたことを伝えよう」という選択をするのが「ハヌマーンさん」という人間であり、「春田の蛙さんのスレ目的にその選択はそぐわないことなのだ」と思わなかったのが「ハヌマーンさん」という人間なのです。
【続く】

100ハヌマーン:2008/02/29(金) 21:25:13
【続き】
私は自分で言うのも何ですが、他人を嫌いになることは滅多にないので「春田の蛙さんやT.Rさんとわかりあえない部分もあるな」と思っても、それが全てに引きずらないし、今回のことで今後もう関わりたくないわっとか思いません。
T.Rさんを傷付けたことは本当に悪かったと思っています。T.Rさんが「もうハヌマーンさんに関わりたくない」と思うならそれは本当に被害者としては当然の気持ちだとわかります。
私は他人に(それが世間一般では正論と言われる内容だろうと)「こうしなさい」と伝えるタイプではありません。
その上加害者であるのですから「これからももしよかったらよろしく」など甘ったれたことを言うつもりはありません。
むしろ「私が書き込むとハヌマーンさんが書き込みにくくなるから」と配慮していただいたことが、私には感謝です。
そんなT.Rさんの気持ちを無視するような判断ですが、私なりに考えてやはり私が春田の蛙さんの掲示板全てに出入りすることの方がおかしいと考えました。
ですから、私の思いとしてはT.Rさんには戻ってきていただけるとよいなあ…というところです。
【続く】

次に春田の蛙さんへの言葉になります。
また明日か明後日になりますが必ず書きます。

101ハヌマーン:2008/03/02(日) 14:16:54
★春田の蛙さま
私は春田の蛙さんから一番最初にご指摘とご指導をいただいたとき、私なりに本気で謝っていたつもりです。「本当に謝っているのか?」と聞き返されたこと、「場合によっては泥沼も覚悟」と言われたことは、私にとっては衝撃的でした。
「どう書けば伝わるだろうか。」自分の文章能力について、【伝える】ということについて、考える機会になりました。
と、同時に
「ハヌマーンさん」が春田の蛙さんからどのような人物だと映っているのか。「わかってもらえている部分がある」と思い過ぎてはいけない。ハヌマーンさんや、気を緩めすぎなんじゃないかい?
と振り返る機会になりました。
そしてそういったことも含めて、私自身について考える機会にもなりました。今回の件だけでなく、広い意味でも、ありがとうございます。

「あなたに耳の痛いことを書くことになる」「場合によっては泥沼も覚悟」などから春田の蛙さんの決意…という表現が適切かわかりませんがそれなりの考えの重さ…といいますか、それを感じて、『いったいどんなことを言われるのだろう。私の気がついてない私の内面とか、きっとスゴイこと指摘されるのかもしれない。』と私も身を引き締めてお言葉を伺おうと、携帯の前で正座してアクセスしました。(←本当)
そういった心構えだったからか、実際に書かれていた内容を読んだときの最初の感想は「あれ?そんな優しくていいの?」でした。
・いままでハヌマーンさんは間違いをしてこなかったじゃないか。
と書いてくださったことは、ありがたいと感じております。
春田の蛙さんの「ハヌマーンさん」への認識とか期待値とかそういった面で優しさを感じました。(春田の蛙さんにとってそれが優しさのつもりなのかはわかりませんが、私がそう感じたので「優しさ」と表現させていただきます)
【続く】

102ハヌマーン:2008/03/02(日) 14:17:23
【続き】
ハヌマーンさんが「これまで間違いがなかった」と春田の蛙さんから見えていたとしたら、それはハヌマーンさんを取り巻く周りの人たちのおかげだと思います。
「ハヌマーンさん」は「私が思う私」だけでなく「他人が思う私」でも存在しています。『自己認知』と『他者認知』の両面を持って「ハヌマーンさん」です。
先ほどT.Rさんあてにも書いたように、私は実際はその程度の人間です。これまでハヌマーンとして登場してから間違いがなかったのか?と振り返ると、『どうなんだろうな。アレとかコレとかも「間違い」になってたんじゃないかな。』と思うものもありました。きっと…例えばそこのブログの管理人さんだったり、例えば私に返事をしてくれた相手の人だったりのおかげで、間違いじゃないようになっていたんだろう。そう思いました。
・事情があって今回は間違いを犯したんだ。
と、言ってくださるのは(優しいなぁ…)と思いました。
先ほども書いたように、私は、事情がなくてもこういう態度を示す人間なんだと思います。「そういう人間」なんです。

そう考えたら、冒頭で書いたように「ハヌマーンさんが誰かと関わること(自分のブログ以外の場所で書き込みをすること)」についてやめる方向で検討していこう。期限など決めて誤魔化すのではなく。そういう結論につながりました。
自分のブログについて結論を出していないのは、
・訪問者の皆さんには「読むだけ」という権利もあるのだからそれは残した方がいいだろうか?
・そもそも「ハヌマーンさん」ができたのは「創価学会のことで苦しくなる自分を守る/楽にするため」であり、「自分のため」にはブログは必要なんじゃないか?しかしそれで誰かを傷つけるようなことがあってはならない。他の方法があるならそれでもいいではないか?
こんなあたりがまだ整理できてないからです。
私のブログが続いている場合には、今までどおり見に来てもらえたら嬉しいです。今回の私の決断は、繰り返しますが「開き直り」でもなく「拒絶」でもありません。

メールについて。
謝罪の途中で「もっと詳しく謝罪を書いたものを、メールで送ってみよう」などと更に罪を重ねる言動を起こすのは、ひとえに「メールアドレスを交換しているから」という状況から自分に甘えが出るからだと思いました。もともとは理由があってメールのやりとりが始まったとはいえ、私にはこういう甘えを生み出す構造は良くないと思いました。
メールのやりとりがあってもきちんと振舞えるなら構わないと思うんです。メールを持つことそのものを良くないのだと言うつもりはありません。
そういう理由から、春田の蛙さんとやりとりしたメールアカウントは削除することに決めました。
あの…これは「あなたとメールのやりとりしたくないわーん!ふーんだ。」とかいうような意味ではないです。自己管理できないので管理そのものを放棄したい。そういう考えの元だということをご理解いただけると幸いです。
【続く】

103ハヌマーン:2008/03/02(日) 14:17:54
【続き】
★名無し1号 改め かわうそ1号さま
私のブログのコメントにてお知らせくださり、またお言葉をくださり、ありがとうございます。お手数おかけしました。
T.Rさんを傷つけたことも、春田の蛙さんにゲンナリさせたり交通整理としてお手を煩わせたことももちろんですが、かわうそ1号さんを巻き込むというか…配慮させてしまう状況を作り上げたことにも申し訳なく思います。
創価さんの友人ができたことで私は悩んだり考えたりつらくなったりしていますが、ハヌマーンとしてネットに登場していわゆる「内部アンチ」と呼ばれる人たちや「脱会者」さんたちに出会えたことは、とても助けになりました。私にとってかわうそ1号さんはその中の貴重なお一人です。
春田の蛙さん宛にも書いた通り、「拒絶」のつもりはありません。もしも私がブログを続けていた場合には「創価学会をこんな風に見ている人間もいるんだな」とか「同じ学会員の中でこんな風に考えている人がいるんだな」とか、まぁ、なんでもいいのですが、利用できる時には使ってください。

★その他ネット雑談スレを見ているみなさま
「あのスレの流れをどう戻せるだろうか。謝り続けるだけで大丈夫だろうか?」とかその後不在となってしまい「私が即レスできなくて、あのスレいったいどうなっているだろう」とか気になっていました。ネット環境復活して見に行ったとき他のみなさまのお力で雑談に戻っているのを見て、ホッとするとともにお詫びと感謝の気持ちも同時にブワーっと出ました。

■結びの言葉
今後、今回の件についてやハヌマーン宛のお言葉がありましたら、以下の理由で次のような提案をさせていただけたらと思っております。(コメント催促の意味ではありません)
理由1:
私が「ここで人と関わることをやめる」と決めたこと。
理由2:
理由1によりこの書き込みを最後にこのスレにも出入りしなくなるので、もしもどなたかが書き込まれてもハヌマーンが目にすることがないため。
理由3:
私としてはこれ以上春田の蛙さんの場所を利用し迷惑をかけたくないと思っている。
提案:
ハヌマーンさんのブログ(http://hanumat.seesaa.net/)にてお願いできたらと思っております。
(私が決定/指示する権利や立場ではないのであくまでも提案です)
※URLは以前のものと異なっていますが、「本移転」するために確保していた「仮移転先」のURLになります。これまでのブログ(http://hanumaan.blog.drecom.jp)もそのまま残っています。
【続く】

104ハヌマーン:2008/03/02(日) 14:18:13
【続き】
===
#ちぃちぃさん
お返事遅れまして申し訳ありません。
現在のところ「ハヌマーンさんのブログ」について「閉鎖」や「削除」とは決定していません。「検討する」と決めた段階です。
また数週間前に告知していた「本移転」についても「保留」としました。
もともと「本移転」でも今のドリコムのブログの記事とコメントはすべて残して引っ越すつもりでした。それはそれで「ハヌマーンさんとみんなの軌跡」であると考えているので。
みなさんからのコメントはいただきながらも、その作業を進めようと考えていたのですが、
こちらでの流れも考慮すると今後のすべてのコメントは本移転先として確保しておいたseesaaにて行うのがよいかと判断しました。
ちぃちぃさんのブログについて、ちぃちぃさんのお気持ちをいただきまして、ありがとうございます。そう言っていただけるなら、閲覧しにうかがいたいと思います。ありがとうございます。
===

以上です。

ハヌマーン

105春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/03/04(火) 13:39:32
さて、ホントはこの書き込みにレスをするのは気が重いというか、ぶっちゃけ「いい加減ウンザリ」なんですが(苦笑)、
無視するには頂いた内容が長文過ぎるので、要点を絞って簡潔にレスをします(細かいツッコミは山ほどありますが当面は無視)。


そのいち。

>>103
>(私が決定/指示する権利や立場ではないのであくまでも提案です)

では、提案を「私が」呑む必要はありませんね。提案は全面的に却下します。

これだけの長文を、しかも数日に渡って書き散らしておきながら、同時に「この掲示板での」それへの反応を拒むのは単なる自分勝手です。

自分の言いたいことだけは書こう、でも後始末はやらない……
そんな我が侭を「今の」あなたはずっと続けており、またそれを周囲に押し付け押し通しています。
それは許しません。「相手に対する」非礼の極みです。

――周囲の差しのべる手は振り払い、周りの声には耳を貸さず、あくまで自己の価値観に殉じようとなさる。
いくら綺麗な言葉で飾り、建前では謙虚を装っていても、それは幼稚な我が侭です。付き合う気はありません。
よって、ハヌマーンさんに対する私の意見は「ここに」書きます。また、以下のご希望には添えません。お断りします。

>>102
>私のブログが続いている場合には、今までどおり見に来てもらえたら嬉しいです。

あなたが私の掲示板に来ないのに、私があなたのブログに「行ってあげる」必要はないと思います。一方的に甘えないで下さい。

>今回の私の決断は、繰り返しますが「開き直り」でもなく「拒絶」でもありません。

私は、典型的な開き直り」であり「拒絶」だと思います。

今回の一連のあなたの対応について、私は不審を通り越して嫌悪さえ抱いています。
よって「私個人は」「問題が起きたこの掲示板において」「ハヌマーンさんへのそれが払拭されない限り」、以降あなたのブログに一切関わりたくありません。

……確か、他の方からの私宛てのコメントも、あなたのブログで未返信のまま放置されていたと思います。
その方に対しては、私は敬意を感じこそすれ全く含むところはありませんので、せっかくのコメントにお返事出来なかったのは申し訳ないと感じています。

ですから、これはハヌマーンさんから、その方に事情をご説明なさって下さい。
最低限の「あなたが果たすべき責任」として、宜しくお願いします。m(__)m

106春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/03/04(火) 14:22:52
そのに

>モンティ・パイソン関連

今更>>97>>98のようなことを書いても、単なる後出しの「言い訳」です。
また、あれだけはっきりT.Rさんに対して「クレーム」を付けておいて、それを単なる「感想」と強弁するのにも呆れました。

大抵の場合「言葉狩り」の元凶になるようなクレームは、「いかがなものか」「個人的には不愉快」といった物言いを「対外的」にはするものです。
ハヌマーンさんに言わせれば、これら「世間一般にはクレームと見なされる言い方」も、「クレームではない」ことになるのでしょうね。

現実にはもっとバカバカしいことに、『そう感じて不愉快になる人も居るのではないか?』と先回りした心配が起きます。
つまりそんな「予想」から、言葉狩りに繋がることが、実際多くあります(これを『自主規制』と言います)。

そして、誰だって後ろ指を差されるよりも、差す側に回りたいものです。「裁かれる」より「裁きたい」のが人間です。
そんな「悪役より正義の味方になりたい」という『善意』が、こうしたことを蔓延させます。
ネットでも、たまに得意気に「『子供』は差別用語なんだよ」とか教えたがる、そんなバカがいるでしょう?

従って私が『管理人として』怖れるのは、ハヌマーンさんが最初に『クレーム付けて喧嘩売った』だけでなく、
後々まで『謝罪にかこつけて自己の価値観を強弁なさった』ことで、掲示板に微妙な遠慮
――つまり『自主規制』が生まれることです。これを何よりも危惧しています。

これを払拭するには、私自身も「ハヌマーンさんが不愉快に感じるだろうネタ」を率先して、恐れず振っていくことかなと思います。
皆さんにばかり『遠慮なくどうぞ』なんて、上から目線で威張ってちゃいけませんものね。
ちょっと体調が勝れないので、なかなかすぐには難しいかも知れませんが、出来る限り頑張っちゃおかなっと思います。(笑)

107春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/03/04(火) 15:31:41
そのさん

>『謝罪』と『後始末』について

本当にハヌマーンさんが「悪かった」と感じて、その償いや後始末をなさりたいなら、
それがハヌマーンさんにとって「楽しいかどうか?」は関係ないはずです。

「何をおかしいと感じるか」「笑えるか」「面白いか」は、「価値観の相違」であって、
本来「善悪」の問題でもなければ「正しい・間違ってる」と決着がつく話でもありません。
しかるに、「自分にとって」楽しかったり面白いことを、「善」や「正しさ」と結びつけてしまう。無理解や争いの根源の一つがこれです。

すなわち、↑これは『エゴ』なのです。

エゴは、確かに『素の自分』でもありますが、これをどこでも押し通せるようには、世の中は出来ていません。
『自分にとっては』面白くない話に相槌を打ったり、『付き合いのために』話題の内容をこっそり調べたり……みんなやっていることですよね。

まして『謝罪のための』償い・後始末なら、そのくらいやって当然です。ですが今回ハヌマーンさんは、
最後まで『それが自分にとって楽しいことか否か』を優先されました。それは『償い』でも『謝罪』でもありません。

周りに合わせて『笑い合う』ことも、自分にとっては不愉快なテーマを『理解する努力』もしなかった。
それは結局、その『価値観』を『自分自身』と結びつけてしまっていて、
一時的にでも価値観を撤回するのは『自分を否定することだ』と感じているからです。
しかしそのエゴを捨てないで、『謝罪を伝える方法』などありはしません。

何故なら、非がありながら『己れの価値観を撤回しない』のは、それでも『相手の価値観を認めることは出来ない』と、
あくまで食い下がっていることになるからです。これは相手の価値観と、自分にとってのそれを対等に見なしていない振る舞いです。

相手からすれば――あなたにそのつもりがなくても――上から見下ろしながら、『過ち』だと裁いているのと同じです。

……これが『謝る』態度ですか? 自己の価値観を説明しながらの振る舞いの、どこに『謝罪の気持ち』がありますか?

謝罪するなら、償うならば、自己の価値観なんて邪魔なゴミクズは一時的にでも殺しなさい。
まして、長々と自己の価値観を演説なさるなど論外です。

108春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/03/04(火) 15:37:12
>>107続き】

――私が、何故「誘導先」にこのスレを選んだか分かりますか?
あなたのそういう姿勢が透けて見えていたからです。
↑の価値観を、「創価学会は正しい」と置き換えてご覧なさい。

そう。だから困ったタイプの学会員は、一時的にでもそれが撤回出来ないのです。
何故ならその価値観を撤回するのは、同時に『自分を殺す』ことだからです。

それでつい「迷惑行為は謝るけど、だからといって学会を否定しないで欲しい」と言ったり、
迷惑行為の被害者に、わざわざ創価の「価値観」を理解してもらおうなどと期待して、返って相手の逆鱗に触れるのですよ。

――私は最初に「エゴは、確かに『素の自分』でもありますが、これをどこでも押し通せるようには、世の中は出来ていません。」と申しましたね。
しかし『自分自身』を「組織」や「教祖」や「特定の価値観」に売り渡す代償として、
それと自らの限りない一体感を得て、しかもそれが『正しい』と太鼓判を押してもらえる。それがカルトです。

つまり言い換えれば、カルトは「エゴをどこでも押し通せる・押し通して良いと保証する」、そんな万能の(偽)免許を発行してくれるのです。
自らの価値観を、どこでも誰にでも押し通せたら、貫けたらそりゃ幸せでしょう。
そして、それを心地よいと感じるのも、確かに『素の自分』であることに変わりはありません。

そうした『心の暗黒面』に付け入るから、周りからは「変わった」と幾ら言われても、本人は「これが本当の自分なんだ」と固執するし、
間違いに気付いたら気付いたで、今度は過剰に『自分自身』に対する自信を無くしてしまうんです。
そして、この「過剰に『自分自身』に対する自信を無くして」いる時期に、次のカルトに誘われてフラフラっとなったり、
この時期に支えたり慰めてくれた相手を、再び過度に崇めたり依存しちゃったりするんですね。

……こうしたことは何もカルトの中だけで起きる訳ではありません。
『人間』である以上、私たち全てがこうした罠には陥りますし、カルトとは無関係な場でも、似たようなことは起きるのです。

――以上が、今回の問題の「誘導先」に、このスレを選んだ理由です。ハヌマーンさんの対応を見る限りは、それで正解だったように思いますよ?

109春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/03/04(火) 16:25:23
一点補足。というか愚痴。(汗)

>>108
> この時期に支えたり慰めてくれた相手を、再び過度に崇めたり依存しちゃったりするんですね。

↑これ、例えば恋愛や結婚で救われたり上手くいってる方は、自分に当てはめないで下さいね。
むしろどんどんパートナーを「素敵な人♪」と思っちゃって下さい。そのほうが上手くいきますし、そういうノロケは大歓迎です。(^^;

……私が言いたかったのは、単にネットでちょっと声掛けてもらったとか、少し親切にされただけの相手、リアルでも単なる友達関係の場合ね。
――つまりネットなら『私みたいな』相手に対しては、遠慮せず対等に接しましょう、と。
……つうか、勝手にこっちを天使だか菩薩だかマリア様みたいに持ち上げておいて、
挙げ句に期待が裏切られたからと騒がれるのは、ぶっちゃけ『迷惑ですよ』ということです。(苦笑)

いやもうね、『蛙さんなら全て分かってくれると思った』『受け止めてくれる』
『言わなくても気持ちを分かってくれる』って、今まで 耳 に タ コ なんです。←泣き言
リアルでもネットでも、何度同じこと言われたことか……しかもそう言った人は 全 員 後から後足で砂けっとばして去ってったからねぇ。

いい加減、こっちも辛いですよホント……ハヌマーンさんは、その中でも特に早かったけど。一ヶ月以内に手のひら返されたのは新記録だわ。(笑)

110春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/03/06(木) 18:13:46
さいご

>>102
>そういう理由から、春田の蛙さんとやりとりしたメールアカウントは削除することに決めました。

とのことなので、これまでのやりとりから今回の件に関係する重要な点のみ、頂いたメール内容には詳細に触れない範囲で、お返事をここに書きます。

――ハヌマーンさん。あなたキヨさんのブログでも同じことをなさるところでしたよね?

……確かに、キヨさんのブログではバリ学会員さんが暴れていらっしゃいましたし、それに便乗したと見られるオカシなコメントも散見されました。
そうしたコメントの内容について、ハヌマーンさんが『これはおかしい』とお感じになること自体には、最初にお返事した通り、私も同意見です。

しかし、あなたが私にメールをなさった時点では、すでに騒ぎは収まっていました。
そしてキヨさんはせっかく希望の職種につかれ、忙しい日々とのご報告のあったばかりです。
今現在の、あちらのブログをよくご覧なさい。皆さん、キヨさんのリアルにきちんと配慮されています。

――そして、私の掲示板です。私はその直前の揉め事への対応で、正直疲れ切っていました。それはハヌマーンさん、あなたの件です。

ですから、それで他のお返事や対応がすっかり遅れてしまっていましたが、
他の皆さんは、『蛙さんも疲れてるんだろうなぁ』と気を遣って待って下さってました。

……どちらの件でも、『そんなことより「私」の「おかしい」と思う気持ちが大切だ』と突っ走った、
あるいは突っ走ろうとなさった(キヨさんのブログでは未遂でしたからね)のは、ハヌマーンさんだけです。

そして、なら『相手も』ハヌマーンさんに対して「おかしい」と感じる気持ちを最優先して良いはずです。
なのに自分のことには、出張や仕事や自分のペースといった『個人の事情』を持ち出される。
なら、ハヌマーンさんも『相手の事情』に配慮しなさい。
それをしないなら、自分も、相手の『おかしい』には最後まで向き合いなさい。

『相手の事情』には一切斟酌せずに、自分の「おかしい」を場をわきまえずぶつけ、
あるいはぶつけようとしておいて、自分が「おかしい」と言われると、今度は自分の『個人の事情』を優先する。

結論:「今の」ハヌマーンさんは『自分のことしか見えていない』我利我利亡者です。
私があなたに対して『自分を分かってもらいたい、誤解されたくない』と、それしか考えてないと指摘したのは、そういうことです。

111春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/03/06(木) 18:17:01
>>110続き】

そして、↓は以前のあなた自身の主張です。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1195748863/21
>どうやら私は【発言する場所をわきまえない、わからない人】【他の訪問者に配慮ができない人】のようですから。
>そのようにfreeさんに認定され、放棄宣言BBSで【ハヌマーンさんってトラブルメーカー】と訪問者たちから思われるように運営協力者に書かれた人間ですからねぇ。

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/5753/1195748863/41
>そうですね。さきほど私は「失望した」と書きましたが、もうひとつ私の感情を発見しました。
>「悔しい」のです。
>ハヌマーンさんが怒りに任せてあれあれさんに書き込んだと思いますか?
>ハヌマーンさんが他の訪問者のことを考えずに書き込んだと思いますか?

……まず最初に思うのは、別に当時のfreeさんの対応を許せとは言いませんが、自分の非を指摘されると
途端にパニックになるのは、あなたもfreeさんも変わらないように私には見えます。
機会があったら、その点だけは自らを省みて、freeさんに「私も同じでした」とお伝えになったほうが良いと思いますよ。
もちろん、ハヌマーンさんは大変酷いことをされたのですから、それで和解しろなどと無茶苦茶は言いませんが。

……「今の」あなたは、自分の感情に任せて、他の訪問者のことを考えずに書き込む人です。
【発言する場所をわきまえない、わからない人】【他の訪問者に配慮ができない人】です。

そして、以前のハヌマーンさんは『そういう人ではありませんでした』。
あなた自身がそう言っていますし、私もそう思いますし、あなたに『対等に』手を差しのべた他の皆さんもそう判断なさるでしょう。

『周りのおかげ』などと綺麗事で『今の』自分を誤魔化さないことです。
『あなたが』以前はそういうことをしなかった――あなた自身がそう↑主張しています――、
それを『今は』やってしまっているし、やろうとしてしまってただけです。

……私は、そういう『事実』を単に指摘しただけであって、『好意』や『優しさ』から書いた訳ではありません。
勝手に脳内で都合よく解釈されて、自己弁護に使われるのは迷惑です。以上です。

112春田の蛙 ◆j/aD5mpE9Y:2008/03/06(木) 18:21:44
>ALL

私は今回ハヌマーンさんに厳しく書きましたが、しかしハヌマーンさんに好意を持っていらっしゃる方は、
出来ればこれまで通り彼女に手を差しのべてあげて欲しいと思います。
これは、本音でそう願っています。

……人間というのは、私も含めて、とても身勝手な生き物です。
自分を認め、ある意味甘やかしてもらわなければ、過ちも認めることが出来ない。
これは良い・悪いの問題ではなくて、『自分を』相手や周りに受け入れてもらえてると感じることで、
やっとホントの意味で自分の非も『自分で』受け入れられるのは、大多数の人間の普通の姿です。

……もちろん、世の中はそれだけでは、その非に「被害や迷惑を受けた側」にとって不公平でしょう。
こういう時、私たち一人ひとりは「北風」か「太陽」のどちらかの立場しか選べません。
どちらも世の中には必要な立場ですが、私も含めて一人ひとりは、必要な立場の全部を自分だけで担える訳ではありません。

その意味では、無力だとも思います。
ですから、大切なのは「その一つの立場」だけで良しとせずに、
むしろ自分と異なる立場を選べる能力のある人と、力を合わせてことにあたる。
そういう姿勢を互いに大切にすることだと思います。

私は今回、経緯から考えて「北風」とならざるを得ません。ですから、「太陽」となれる皆さんは、
この件で北風の私をフォローなさろうとはせず、むしろハヌマーンさんにとっての太陽であって頂きたいと願っています。

そして、もちろんネタや雑談スレでは楽しくやりましょう!
色々とご迷惑やご心配をお掛けしたと思いますが、今後も宜しくお願い致します。(深々)


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