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やめりゅ〜 【※旧「活動の愚痴BBS」より転載】

65春田の蛙:2005/06/17(金) 17:26:01
>64 きょうこさん
大変遅くなって、すみません。
なるほど…しかし本当にきょうこさんは分かり易く読む側に訴える文章をお書きになりますね。

とても勇気の要る内容を、いくつも本当にありがとうございます。
きょうこさんはこのBBSにとって、今や欠かせない人材です。これからもよろしくお願いします。m(_ _)m

読ませて頂いていてふと考えたのは、そこに『完全な救い』を求めれば求めるほど、返って『本当の救い』からは離れていってしまう皮肉さです。
神の救いが真に万能ならば、この世に不幸な者が絶えないのは何故か?
この問いに、最も完璧かつ無慈悲に答えているのが、ご紹介の例だとも言えます。

仏教とて同じです。心の苦しみから逃れる術をそこに求めて、結局逃れ得たのは『他者の不幸に心痛める』苦しさからだけ。
「死相が良かったから天界に行った」だの「今の不幸は宿業だから、宿命転換に頑張りなさい」だの、
不幸に苦しむ本人が、そうした考えを支えに現実と闘う事は否定しませんが、他人の不幸を見てそれを安易に割り切るのは、単に心が麻痺してるだけです。

仏教を中心とした宗教解説で名高いひろさちやさんなんか、こんな事を本に書いてますよ。「ガン患者には宗教心がない」「要するに「宗教オンチ」がガンになりやすいのです」って。
まぁ、ガンも本人の自業自得だと信じていれば、『自分がガンにならない限り』は、さぞや心安らかに世の中が見渡せる事でしょう。

大乗仏教での菩薩とは、仏になれるにも関わらず、他者が救われるまでは敢えて成仏を拒む存在です。
そうした考えが生まれた背景には、涅槃の境地を、世に溢れる苦しみや不幸にも心動かされない事だと、錯覚した人達が居たからかもしれませんね。
そういう意味では、日蓮という人はまぎれもない菩薩の一人だったと思います。

マインド・コントロールからの解放という事も、よく同様に誤解されている気がします。
それはカルトに縛られた人生から自由になる事ではあっても、人として悩み苦しむ事から解放される事ではありません。
むしろ、マインド・コントロールによって麻痺していた心が、そんな悩み苦しみと再び向き合ってしまう事でもあります。

だから世の中の他の多くの人と同様に、マインド・コントロールから解放されても悩みは尽きませんし、心も痛みます。
『四六時中いつも穏やかな気持ちでいられなければ、マインド・コントロールから解放された事にならない』なんて事はありません。

ましてマインド・コントロールから解放される過程の心は、赤ちゃんの肌のように敏感で傷付き易いものです。
時がそれを解決してくれるまで、みんなでちょっとずつ、独りでは辛い事を背負い合う
――此所が、そんなありふれた場所のひとつになれたらと願っています。


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