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漢文翻訳スレッド
34
:
えちぜん
:2004/11/30(火) 02:21
(移行対象 投稿日: 2004/10/10(日) 02:18)
>何劭の最終官位はなんなのか? 私としては「司空」であったと想像します。
>根拠としては、
>恵帝紀 98頁 己卯、以梁王肜爲太宰、領司徒
> 99頁 五月乙 酉、侍中太宰領司徒梁王肜薨
>とあり、司馬肜は司徒兼任ということになっているようです。
「司徒」に着目すると、司徒は永康元(300)年四月に何劭が就任して、同年九月
丞相と呼び名を変え、司馬肜が就任したとあります。(恵帝紀 96ページ)
ただ、資治通鑑では「肜固辞して受けず」とあります。(2646ページ)
その後、永寧元(301)年趙王倫の簒位を経て、同年六月丞相が廃止され、司徒が
復活し、司馬肜が司徒兼任となります。
何劭は司馬肜より半年ほど早く薨去していますし、司馬肜が司徒兼任
のまま薨去したことを考えると確かに何劭は薨去当時「司徒」ではないですね。
(やはりつまみ食いは駄目ですね。しっかり読まないと。。。(反省))
推測ですが、何劭は薨去した当時、「司徒」でも「司空」でもなかったのかも知れません。
司徒が丞相となると同時に離職し、趙王倫の簒位の間、太宰に任命されるも、趙王倫
の誅殺により自然消滅。。。なのかな。
三公の一つである司空の拝命の記録がなく、資治通鑑では「潁昌康公何穭薨」として
「司空何劭」としていない点など考えているとそんなのもありかなと思ってます。
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