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漢文翻訳スレッド
29
:
suite
:2004/11/30(火) 01:52
(移行対象 投稿日: 2004/10/08(金) 08:18)
前に任ぜられた官を追贈されることについて、進展がありましたので、ご報告いたします。
何曾傳に、息子の何劭の記事として、
「永康初、遷司徒。趙王倫簒位、以劭爲太宰。【略】永寧元年(301)薨、贈司徒」
とあります。
しかし、何劭の官職に関しては不明瞭な点がいくつかあり、例えば司徒に昇進する際の記述でも、
恵帝紀永康元年(300)夏四月の条
「丁酉、以梁肜爲太宰、左光祿大夫何劭爲司徒、右光祿大夫劉寔爲司空」
何曾傳
「惠帝即位、初建東宮、太子年幼、欲令親萬機、故盛選六傅、以劭爲太子太師、通省尚書事。
後轉特進、累遷尚書左僕射。劭博學、善屬文、陳説近代事、若指諸掌。永康初、遷司徒」
以上のような相違が見られます。前もって特進(二品)を授けられている以上、
下位の尚書左僕射(三品)に任ぜられるのは何となく不自然なので、左光祿大夫のような気がします。
さらに、恵帝紀永寧(301)元年の条には、
「冬十二月、司空劭薨」とあります。
同年五月の条には、
「甲戌、以齊王冏爲大司馬都督中外諸軍事、成都王穎爲大將軍録尚書事、河間王颙爲太尉。
罷丞相、復置司徒官。己卯、以梁王肜爲太宰領司徒」とあります。
何曾傳には記述がありませんが、偽帝司馬倫が誅されたあとに任ぜられたのでしょうか。
最終位が司空であれば、司徒を追贈されても不思議はないように感じます。
資治通鑑注は、司空は太宰の誤りとしていますが、司馬肜が太宰領司徒として任ぜられているので、
これは不自然と思います。太宰に左右分置はありません。
しかし、三国志魏書第十二何キ傳注引晉諸公賛では、最終位は太宰となっています。
現在、武帝・恵帝時代の宰相表を作成しているのですが、
およそ西暦300年以降は、通鑑にも記載されていない、わかりにくい箇所が多いのです。
とくに、何劭・劉寔・司馬颙・司馬乂は厄介ですので、これらの伝を担当される方はご注意されますよう。
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