したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

【丑】牡牛の表象とその周辺【Taurus】

1名無し竜:2004/12/20(月) 22:22 ID:dWepfAzw
ヒアデスからの飛来者? 西欧合理主義の源泉?
現代にいたるまで世界各地に色濃い影を落とす有角の「あいつ」。
ミトラスの秘儀に始まり東洋の鬼からメ○ルリ○チの巨影まで
それっぽい話をそれっぽく語るスレ。

2名無し竜:2004/12/20(月) 22:23 ID:dWepfAzw
タイトルは独断でスマソ。
侘びに盛り上げを祈願して一ネタ投下。

3名無し竜:2004/12/20(月) 22:24 ID:dWepfAzw
金の子牛とイスラエル

モーセが怒ってぶっ壊したという金の子牛像だが、
どうもユダヤ人自体が十戒以前に信仰していた神であるらしいことは
翻訳版の出エジプト記なんかでも多少臭いが残ってる。
出てきた先のエジプトのアピスその他の牛信仰とも合致する。
実際、シナイ山の麓で子牛を祀りだしたのは他ならぬアロンだった、
という読み方がかなり古くからあるし、
ユダヤの精神土壌に存在しないものを自由になった後に祀るわけもない。

4名無し竜:2004/12/20(月) 22:24 ID:dWepfAzw
おそらく「ユダヤ人」という枠でくくるのが不適切なほど
当時のユダヤ人がエジプト化していた、
もしくはエジプト人(の難民)そのものだったと考えた方が
近いニュアンスで状況を捉えられるんじゃないかと思う。

よく言われているように単純にエジプトが恋しくなって
作った神の像ではないことは
時代が下ってヤロブアム1世の代になっても
イスラエル王国でも信仰されていた点で証明できる。
列王記や申命記の記述ではカナーン人の悪臭に染まり
ユダヤの信仰を汚したと避難されているが。

5名無し竜:2004/12/20(月) 22:25 ID:dWepfAzw
イスラエル王国について多少書いておくと、
ソロモンの後継者レハブアム王が急進的な
南部のエルサレム中心主義を敷いたため
北部に独自の基盤を築きつつあった十氏族が
独立したという感じで建国された。

祭礼一致スタイルの集権国家を目指し、
統制された軍事力でヨルダン川の要衝を抑え通商に精を出す感じの
路線をとっていたらしい。で、勃興してきたアッシリアに滅ぼされた。
遊牧主体で国力が低く、族長の下でよそ者は排除する感じの
原始共産制みたいな路線をとっていた南のユダとは違った感じで
「サマリアっぽい」明るくて計算高い国民性だったらしい。
ある意味ではヤハウェの公正な裁きに基づいたシナイ山での
契約どおりの「約束の地」だったような気もする。

6名無し竜:2004/12/20(月) 22:25 ID:dWepfAzw
もちろんヤハウェを信仰していたが、先述したように
その神殿には金の子牛の像が置かれていた。
本来ユダヤ人がより大きな括りで属していた
カナーン地方の遊牧民共通の信仰だったともいわれているし、
モーセがエジプトの神官として教育を受けていた説を採るなら
エジプトから持ち帰った可能性もある。

当時牡牛信仰はかなり広い範囲で見られたので、
実際の教義がわからないと現状ではなんともいえないのが実情だと思う。
多分両方を習合しつつヤハウェを神の中の神という形で
纏め上げていたんだろうとは思うけど。

7名無し竜:2004/12/20(月) 22:26 ID:dWepfAzw
このイスラエル王国の方がオカネタ的に言う
「失われた十氏族」なんで、仮に失われた十氏族が
実際に何らかの形跡を残しているとすれば、モーセ≒ヤハウェ教とは
若干違った…牡牛祭祀の形跡を残していると考えた方が妥当じゃないだろうか。

日ユ同祖論、個人的には信じていないが、
仮に「牛側の天皇」の証拠がガッチリつかめれば
あるいは何らかの鍵がそこにあるかもしれない。

8名無し竜:2004/12/20(月) 22:28 ID:dWepfAzw
という感じで一応古代ユダヤにネタフリしてみた。
2以降のリンクはリンク集もあるし最初なんでとりあえず省略。
悪しからず。

9名無し竜:2004/12/20(月) 23:08 ID:yDDabh6M
>>1
独断でも文句なんざ言わんよ(w よくぞ建ててくれました。!(・ω・ノ)ノ!
ぼちぼちやって行こうぜ。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板