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【自民】政治に興味がある日大生【民主】

31名無しさん:2006/07/01(土) 15:55:48
橋本龍太郎元内閣総理大臣(前衆議院議員)が1日午後2時、敗血症性ショックによる多臓器不全のため、入院先の東京都内の病院で死去。68歳だった。 
63年の衆院選に旧岡山2区から初当選した。当選は連続14回。05年衆院選は立候補せず、政界を引退した。
厚生、社会労働畑の族議員としての道を歩み、初入閣は第1次大平内閣の厚相。
第3次中曽根内閣で運輸相に就き、国鉄の分割民営化を主導。
89年の宇野内閣で党幹事長に就任したが、同年7月の参院選で惨敗、生中継しているテレビカメラの前で何度も小声で「チキショー」とつぶやいた。わずか2カ月の在任に終わった。
続く海部内閣では3期連続、蔵相を務めため、91年秋証券不祥事の責任を取って辞任。
自民党が野党に下野した93年に党政調会長に就任。
94年には村山内閣の通産相に就いた。
95年9月の自民党総裁選で、当時の河野総裁(現衆院議長)の総裁選不出馬により、小泉純一郎氏(現首相)と対決。小泉氏を破り総裁に。
96年1月、村山富市氏に代わり首相に就任した。省庁再編などの行政改革、財政構造改革の「6大改革」に取り組むが、98年7月の参院選で自民党が大敗、首相を辞任した。在任中の96年には当時のクリントン米大統領と、沖縄の米軍普天間飛行場の返還に合意。
00年7月、その年の5月に死去した小渕前首相(当時)の後を継ぎ、橋本派会長に就任。同年12月の第2次森改造内閣では、行革、沖縄・北方担当相として入閣した。
01年4月の総裁選に立候補したが、小泉首相に敗れた。
04年7月、日歯連事件の責任を取り派閥会長を辞任。翌年、衆院選を期に引退。
派閥は佐藤―田中―竹下―小渕―橋本派。竹下派時代には故小渕恵三元首相、小沢一郎民主党代表らとともに「7奉行」と呼ばれた。


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