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[天国にいる]山田顕義先生と語るスレッド
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私は山田顕義と新島襄(同志社大学創立者)の接点を
今まで、どうしても見つけられず
頭痛の種?でしたが終に見つかりました。新島襄は
なんと驚いた事に山田顕義にドイツ兵制を採用するようにと
アドバイスしたと云うのです。
新島襄がドイツの兵制に熟知していたなんてなぁ
信じられない?
なんでも鑑定団 愛のエメラルド
帷を開いた二人の志士 ー107ー
一、岩倉英米親善使節団で果たした功績
森はこの時駐米公使の職にあったから、その根回し、通訳の斡旋などに
活躍、教育を担う文部大丞田中理事官に新島を推薦、その採用が田中の理
事功程15巻の報告書として提出され、明治前期学制制定や改革の基礎資料
になっている。つまり、新島という人物のところを得た選定の効果であ
る。8歳の津田梅子を留学生として帯同しているのも苦しい通訳事情が根
にあるようだ。新島はまさに群鶏の一鶴と称しても過言ではない。
他に使節団の受入れや視察について各国外務省との細かい打ち合わせな
ど森の肩にかかった責務は大変で、100人を越える一行を2年にわたり面
倒を見た功績は絶大なものがある。
次に新島であるが、田中理事官による復命書(理事功程)はその最も重
要な部分が新島の筆と苦心によるものと、田中自身が認めている。この限
りにおいて新島は日本の文部行政に正しい道筋を示し、正しい情報を提供
したことになる。
新島はさらに兵部省の山田顕義理事官にドイツ兵制を採用するようにア
ドバイスしたと信じている。それは日本が短期間で輝く一等国に駈け上
がった大きい要因となっている。アーモスト大学で親しく指導を受けた
シーリー教授はドイツで哲学を学んだ人である。愛弟子の新島はドイツ事
情にかなりの学識と多少の語学力があったと信じている。大江流「新島襄
とその兵学」『新島研究95号』132頁以降に詳述しているので、参照された
い。
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