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[天国にいる]山田顕義先生と語るスレッド
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【歴史ネタ】【長州】 三浦梧楼回顧録
メモがでてきた。多分木戸さんの本に出てた、三浦回顧話。「公」は木戸さん。
時に山田顕義と山県有朋とは、互に意思が疎通してゐない、
顕義は大村益次郎の遺志を継いで事を処するに周到で堅固であるが、
有朋は大袈裟であるから、公の意には合わない方である。
其の顕義が欧州から陸軍少将で帰朝したが、登庸の余地がないといって有朋が潔ぎよく之を斡旋しない。
公は甚だ之を心配せられるので、私は傍観しがたいから、
辞官して其の地位に顕義を置けばよろしいと思い、其の意を申したことがある。
そして、私は自分の地位を顕義に譲って一二段下の局長格になり、武器監督の件に当つてをつた。
が、職にあつても面白くないねで遂に東京を脱走し、帰国せんとして八十歳の父親をつれて横浜に赴いた。
同じメモにあったはしりがき。多分三浦の年表。
M3 10月上京
M4 12月14日陸軍少将 東京鎮台
M6 7月8日第三局長兼造兵司分課
最初回顧録みたとき、「また三浦の、「俺のおかげだZE☆」的な話が…」と思っていたのですが、年表をみたら確かに異動していて、しかも山田の鎮台入りも同じ時期で、ホントに話が合うんですな。というわけで個人的にかなり信憑性が高いと思っている。疑ってごめんね…三浦…。
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