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[天国にいる]山田顕義先生と語るスレッド
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江戸讀本『「古老の話」 飯沼關彌翁談(下)』から抜粋
毛利家と會津家とは古く縁組をされて兩敬の間でありましたが、
元治甲子には御承知の通り、蛤御門で兵火を交へることになつた。
容大公の弟が山田顯義さんの跡を継がれたのは大分後のことです。
顯義さんの弟に繁榮といふ人があつて、
陸軍大佐位までいつたかと思ひますが、この人の息子が顯義さんの跡を相續したところ、
不幸にして早く死んだ。その跡を繁榮さんが相續したけれど、是亦間もなく死んでしまつた。
顯義さんから云へば三代經たあとで、早く相續人をきめなければ、
伯爵家が絶えるといふので、長州の仲間の人は氣を揉んでゐたらしい。
松平家へ話を持つて來たのは杉孫七郎さんですが、突然さういふ話が起こつたわけではありません。
松平英夫といふ人は日露戰爭當時、乃木將軍の副官をして居られたので、長州の人には乃木さんから、
會津松平にかういふ若者がある、といふ話はしてあつたのでせう。
杉さんを使によこしたのは井上馨さんで、杉さんは何度も來ました。
いづれ本人次第といふ返事をして歸したのですが、なか(くの字点)返事をしないものだから、
杉さんは心配して何遍も手紙をよこしました。
結局話がきまつて、奥さんになられた方は顯義さんの一人娘です。
その方は先年亡くなられて、只今は他から後を貰って居られます。
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