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[天国にいる]山田顕義先生と語るスレッド
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関西大学の創立にあたっては大阪控訴院の児島惟謙の名も忘れてはならない。明治十九年当時、裁判官が
私立法律学校に出講するのには司法大臣(山田顕義伯爵)の許可が必要だった。この認可に尽力したのが
井上らの上司であった児島である。
話はトントン拍子で進み、明治19年10月には大阪朝日新聞に生徒募集の広告を打ったところ
志願者が殺到、定員をはるかに上回る2百2、30名に入学を許可した。
いよいよ11月1日の開講に向かって進んでいく。
>明治中期、校舎も敷地も全くない資産ゼロ?の学校が認可に漕ぎ着けたのは
関係者の燃える熱気があったから。
司法官井上操、小倉久、堀田正忠らの熱気が上司の児島惟謙を巻き込み、児島がそのまた
上司の山田顕義を巻き込んだ図式かな。
資産の全くない3日でつぶれてもおかしくない
海の物とも山の物ともわからない新設校を
情熱を担保に開校を認可した山田顕義は偉い!。
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