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【研究】立命館大学 大学院 情報交換スレ【研究】
610
:
名無しの立命生
:2009/04/25(土) 08:27:30 ID:jVeS6Wa.0
【時代のリーダー】数納 幸子・医学生物学研究所社長
バイオベンチャー初の店頭公開をした
免疫に特化して粘り勝ち 優秀な研究者は外に出す
http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090421/192564/
1996年2月2日。店頭市場に株式公開した医学生物学研究所の人気ぶりに、証券市場は沸いた。公開価格2390円に買いが殺到。4000円の初値がついた。「入札時の落札価格も予想以上だったが、この初値には正直いって驚いた」(証券アナリスト)。
このとき数納幸子は認証式に出席するため、東京・茅場町の日本証券業協会にいた。相場の過熱ぶりを目の当たりにしたが、いたって冷静だった。
「本音を言えばうれしかった。だが、公開できた満足感の方が大きかった」
株式の公募によって会社が得た収入は約17億円。このうち7億円は、研究棟の新築や研究機器の購入にあてる。残りの使途は未定だが、「研究開発のスピードを上げる基盤技術を導入しよう」と数納は意気込む。
「基礎研究用の試薬を購入してくれるのは、世界レベルで競争する研究者。世界に先駆けた製品を開発しなければ買ってもらえない」
資金調達は苦労の連続だった。草創期のころ、低温室をつくるために名古屋市の保証協会の保証を取り付けて都市銀行に100万円の融資を申し込んだが、けんもほろろに断られた。担保を持たないため金融機関からの調達はあきらめ、中小企業金融公庫や国民金融公庫などの制度融資を調べ上げ、使える制度はすべて活用してきた。
10年ぐらい前に、名古屋の富士カントリーのオーナーや、臨床検査薬への参入を狙っていたクラレがスポンサーに名乗りを上げるまでは、資金が必要になると友人や知人に出資を頼み、その都度、増資を繰り返した。株主数は公開前で既に100人を超えた。
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