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【研究】立命館大学 大学院 情報交換スレ【研究】
524
:
名無しの立命生
:2009/01/13(火) 00:03:25 ID:xsBc05OE0
大学教育の要諦とは「自分で考える力」の涵養
本質を忘れた改革を糺す
よしむら・さくじ
吉村作治 (サイバー大学学長)
http://www.bitway.ne.jp/bunshun/ronten/ocn/sample/ron/08/054/r08054BNA2.html
ピラミッドひとつにアプローチは無限
大学教育では教える側の持っている知識や経験、ノウハウ、見識をトランスファーすることが第一義のはずだ。その度合いを調べるのがテストであり、そのテストの結果は、学生と教員が共有していることを忘れてはいけない。それを無視しているのが現状だ。その最たるものが相対評価というものだ。すなわち成績を平均的に分けるというやつで、私たちは小学校のときやられたものだ。
それと、大学教育とそれ以前の教育の大きな違いは、○×で決められないこと、自分で考えるべきことを教えるところにある。大学教育は暗記させることではなく、基礎知識を使って、新しいテーマの答えを論理的に導き出す方法を教えることにある。そのことが、卒業後の社会活動に最も役に立つことだからだ。
例えば私が、「ピラミッドは王墓でない」と教えたとしよう。「ピラミッドは何の目的で建造されたものか」というテストを出したとする。その答えは「ピラミッドは王墓でない」というものでなくてもいいのだ。「あのような巨大な建造物を造るとすれば国家はどんなコトを考えるか」とか「墓って何なのか、その条件にピラミッドは合っているか」等、答えのアプローチはいくらでもある。そういうことを教えるのが大学教育なのである。
もちろん法律のように条文を暗記しなければならない分野もあると思うので一概に決めつけることはできない。しかし、基本は考える力を養うところに置かなければ、大学教育とそれまでの教育の差はでてこないし、必要性が失われる。私は常々人生で最も多感でエネルギーがあり活動的なハイティーンから二〇歳代の初めの時期を教室に閉じこめている今の大学の存在に疑問をもっていた。
例えば私のエジプトでの現地調査は気候の厳しい夏と冬しかできない。その理由は、調査に加わる学生が他の先生の授業を休めないし、私自身も授業を休講にできないからである。そのため、発掘調査は隊員の健康管理に多大な資金とエネルギー等の負担がかかる。欧米の調査隊はセメスター制を利用し、春か秋に授業を集中させ、一方を使うことでそれを克服している。が、日本はそこまでいっていない。二〇〇七年(平成一九年)四月から開校した完全インターネット制の大学で初めてそれを実現することができた。これでやっと気候のいい一〇月に発掘調査をすることができるので成果もよりよいものがでると期待している。
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