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【研究】立命館大学 大学院 情報交換スレ【研究】
468
:
名無しの立命生
:2008/10/17(金) 22:07:12 ID:a7K7o16I0
政府の干渉受けず、流行に流されない名古屋大学(1)
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=106018&servcode=A00&sectcode=A00
原子爆弾が投下された日本九州長崎市の閑静な港町、佐世保。 昨年10月、ここで80歳を目前にした学者の講演があった。 彼は当時、1年後の自分の運命を予言するような発言をした。
「基礎科学研究は田舎の実験道具がそろっていないところでも可能です。 日本の大学の若者なら誰でも広い世界の舞台に行くことができます」。
彼は日本で16人目のノーベル賞受賞者となった下村脩氏(80)だ。 長崎は今でも日本敗亡直後の姿とそれほど変わらない。 海軍基地に使用されている港湾を除いて、大きな工場やビルも多くない。
下村氏は原子爆弾が投下された1945年8月9日、佐世保海岸に隣接した軍需工場に通っていた。 当時17歳だった。 命を取り留めた下村氏は長崎大薬学部を卒業した後、60年、米政府が支援するフルブライト奨学金を受けて米国に留学した。 50−60年代の日本は研究施設・装備が不足していたため、より発展した研究ができなかった。
名古屋大で博士学位を取得した下村氏は、米プリンストン大・ボストン大で研究活動を続け、名声を積んでいった。 しかしノーベル賞受賞の底力は日本人特有の探求精神と限りない挑戦精神から生まれた。 下村氏がノーベル化学賞を受賞したのは、62年にクラゲから緑色蛍光たんぱく質(GFP)を発見し、病気の治療に実用化したからだ。 この物質は紫外線を当てれば緑色の光を発する。 がん細胞に投入して病気を追跡し、治療方法を探す重要な道具となる。
このように日本人の基礎科学分野のノーベル賞受賞は、クラゲなど日常生活で接して考えることのできる平凡な実験材料とアイデアが原動力になっている。 今年の4人の受賞者の一人である下村氏は現在、日本沿岸に生息するホタルイカから新しい物質を発見することに挑戦している。 物理学賞の小林誠・日本学術振興会理事(64)、益川敏英・京都産業大教授(68)チームも日常で浮かんだアイデアが決定的な発見のきっかけになった。
益川氏は入浴中に脳裏をかすめた新しい素粒子構造理論でノーベル賞を受賞した。 益川氏は「普段から考えていた素粒子の構造を繰り返し考えていると、新しいアイデアが浮かんだ」とし「計算する必要もなく思考力だけで立証が可能だった」と話した。
同じく物理学賞の南部陽一郎教授(87)も同じだ。 物質が対称から非対称に転換するのは単純な現象だが、原理の立証は物理学界の難題だった。 南部氏はある日、テーブル上に置かれたナプキンを一人が右手で取ると、順に他の人も右側にあるナプキンを取るのを見て対称が非対称に転換する原理を見つけた。
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