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映像学部について議論するスレ
165
:
名無しの立命生
:2007/06/17(日) 02:02:43 ID:S0Lklg8s
海と空が溶け合うコバルトブルーの水平線が広がる。
5月25日、立命館大衣笠キャンパス(北区)以学館2号ホール。沖縄を舞台にした映画「ナビィの恋」(1999年)に、スクリーンを見つめる学生らが反射光を頼りに、ノートにペンを走らせていく。
同大学映像学部の講義「映像文化研究」。客員教授の映画プロデューサー佐々木史朗さん(68)が教壇に立った。
「10%の人が拒否反応を持つほうが、映画はヒットする」「多様性がなければ、文化とはいえない。自分独自の視点を持ちなさい」。大森一樹監督や大林宣彦監督、井筒和幸監督らと組んで名作を放ってきたヒットメーカーは、上映した自作の現場体験も交えて、3時間半にわたって映画制作の持論を説いた。
映像学部は4月に開設。競争率12・7倍を勝ち抜いた1期生約160人が学ぶ。
1、2年生で映画理論や経営管理能力などを履修するとともに、映像制作を実習する。3年生では松竹などで就業体験、4年生で卒業研究に取り組む。客員教授には、山田洋次さん、陳凱歌さんら国内外の映画監督らが名を連ねる。理論と実践の二本柱が特色だ。
映画・映像産業での活躍を目指す“将来のライバルたち”が教室を埋める。佐々木さんは「撮影所が少なくなって、映画作りを学ぶ場が変わってきたということでしょう」と話す。
衣笠キャンパスから南西約3キロ。古ぼけた長屋や土蔵、奉行所、掘割に掛かった木の橋など、江戸時代のまちを再現したオープンセットが広がる。
松竹京都映画撮影所(右京区)。小林正樹監督の「切腹」(62年)や山田監督の「たそがれ清兵衛」(2002年)など数々の名作が生まれた。約2万4000平方メートルの敷地に、戦中に建設されたとされる建物を含めてスタジオ計6棟が並ぶ。前身のマキノ・トーキー時代から70年以上の歴史を持つ名門撮影所に、来秋、映像学部の実習兼用スタジオがオープンする。
「映画黎明(れいめい)期に活動屋たちが汗を流したこの地で、現代の学生が映画を学ぶんです」。撮影所の野村芳樹映像部長(58)が声を弾ませる。立命館大映像学部の冨田美香准教授(41)(映画史)も「数年前までは撮影所がなくなってしまうという危機感さえあった。復活に向けて動き出した太秦で学生が映画制作の現場を体験できるなんて、まるで夢のよう」と期待を膨らませた。
撮影所と松竹(東京)、学校法人立命館は昨年5月、映像産業の人材育成、映画技術の研究・開発について協力する合意書を締結した。新スタジオは、産学連携のシンボルになる。
「お地蔵さんの心を映せって言われて、最初はよく分からなかった」。山田紘太朗さん(18)(長岡京市)は高校1年のとき、太秦に事務所を構える「京都の文化を映像で記録する会」を訪れた。映画会社を引退した元演出家や録音技師たちに、郷土史をテーマにしたドキュメンタリーの撮影について、手ほどきをしてもらった。
由来、歴史、お供えをする住民。取材を重ねるうちに、地蔵の表情に温かみを感じるようになった。「ただ、カメラを回せばいいわけじゃない。ワンショットにこだわる心構え、情熱を学んだと思う」
今春、映像学部に入学した。スクリーンで見た監督たちが教壇から語りかけてくる。教室で思いもしないアイデアが飛び出す同級生がいる。毎日が楽しい。「中1で見た『宮本武蔵』に手に汗握った。いつか、ぼくもそんな映画を」
111年目の「キネマの都」で、映画の遺伝子が若者たちに受け継がれていく。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/kikaku/047/3.htm
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