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◆◆留学したい立命生の情報交換スレ◆◆
69
:
名無しの立命生
:2009/04/21(火) 00:54:58 ID:hUQk4GVI
人生を切り開くために
立命館アジア太平洋大学長
モンテ・カセムさん
http://mainichi.jp/life/edu/mori/news/20090411ddm090070116000c.html
◇立命館アジア太平洋大(APU)学長
日本に来たのは24歳。大学の留学です。母親から「若い時に世界を見て来なさい」と口酸っぱく言われていたので、留学先は米国か日本を考えていたのですが、奨学金が早く決まったのが日本でした。東京に来たのは東京五輪(1964年)の約10年後で、首都高速道路が街中を巡っているのに驚きました。それまで過ごしたスリランカの街には信号機が数えるほどしかなかったですから。
スリランカでは公立の小中高一貫校に通いました。15歳の時に高校のコース選択が決まる全国統一試験、17歳で大学入試がありますが、受験に特化した勉強は意図的にさせない学校でした。
塾に通う時は、あらかじめ学校の許可が必要なほど。大学の進学先が文系、理系に関係なく、すべての教科を勉強させられました。大学は建築学科を希望していたので、歴史や英文学のような科目は必要ないと先生に抗議したら「ここは君の人生を切り開くための学校だ」と一蹴(いっしゅう)されました。英文学の先生からは「君が面白い人間になるには、話す中身が面白くないといけない」と言われました。目先のことよりも俯瞰(ふかん)的に物事を見る大切さを教わったように思います。
科学の先生の言葉も印象に残っています。「君は教員にならない方がいい」と言われたことがあります。なぜなら「君は先生の質問に対し、聞いたことしか答えない」からだと。聞かれたことに端的に答えていたつもりだったのですが、それが逆に「持っている知識をけち臭く出している」と指摘されたのです。先生方からの言葉は、自分が大学の教員になってから、学生を指導する際にとても役立っています。
12歳から学校のクラブ活動でラグビーをやっていました。最初の留学先だった大阪外国語大の下宿の近くに花園ラグビー場があり、週末になるとよく見に行きました。初めて行った日、どこから入ればいいのか分からず近くにいた小学生に尋ねたら、教えてくれたのが外周のフェンスに穴が開いた場所。ここなら、試合がばっちり見えるよって。今は東京都の秩父宮ラグビー場にも時々足を運んでいます。
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■人物略歴
◇モンテ・カセムさん
1947年スリランカ生まれ。スリランカ大卒。94年に立命館大教授、04年から現職。環境科学専攻。APUは大分県、別府市、学校法人立命館の協力で00年創立。学生約6000人の半数が留学生。
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