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創価大学職員
126
:
NWO 陰謀
:2008/08/28(木) 11:56:00 ID:HZfiFLxQ0
明治維新はカネのためだった
龍馬は亀山社中という日本初の商社を長崎に設立している。最初に買い付けたのが7800挺のライフル銃。さらに軍艦ユニオン号を仕入れて長州に売却している。これらの武器・軍艦を龍馬に扱わせたのが、グラバーなのだ。
「グラバーが後ろ盾にならない限り、龍馬は資金も武器も調達できるはずがない。龍馬が仲介して成立した薩長同盟の背後にもグラバーの影がある。グラバーがいかに深く維新の志士らとかかわっていたかを示すものに、志士の密航の手助けが挙げられます。長州の伊藤博文、井上馨などの5人を密かに欧州に渡航させたのは、このグラバーです(1863年)。また、その翌々年には薩摩の五代友厚、寺島宗則ら17人を密航させている。その後、実は龍馬も秘密裏に渡欧していた可能性がある。薩長同盟は龍馬の成果ということになっていますが、グラバーはその前に薩長の若者を揃えて密航させており、両藩に大きな影響力を持っていたんです。そのグラバーが龍馬を使って新政府設立のシナリオを描いた・・・」
グラバーの来日は1859年。2年後、長崎にグラバー商会を設立し、東アジア最大の貿易商社ジャーディン・マセソン商会の長崎代理店となった。当時、長崎に輸入された船の3割は、グラバーが扱ったと言われる。ところで、彼が来日したのはわずか21歳のときだ。そんな「若造」が、長崎でたちまち頭角を現し、23歳時点では、ジャーディン・マセソン商会という巨大商社と代理店契約を結んでいる。なぜそんなことが可能だったのか。
「グラバーのバックグランドに、フリーメーソンの存在があったからです。メーソンによる強力なサポートがなかったら、グラバーは成功できなかったでしょう」(加治氏) 大阪樟蔭女子大学教授の湯浅愼一氏も、グラバーはメーソン会員だったと断言する。
「長崎のグラバー邸から坂を下った所に廃墟があり、その入り口にメーソンのマークが表示されています。グラバーがメーソンの一員だったことを示すものです。当時のグラバー邸には、伊藤博文や坂本龍馬など、明治維新の重要人物が出入りしていた。彼らはそこで、当時としては革命思想にあたるイギリスの議会制民主主義思想を、グラバーから秘密裏に伝授されたのです。龍馬や伊藤博文の斬新な言動は、グラバーから伝授されたメーソン流の近代思想に負うところが大きい」
龍馬とグラバーの関係を、加治氏はこう説明する。「尊王攘夷論が高まっていた時代、幕府の目をごまかすためにもグラバーは表舞台に立てなかった。そんな中、薩長とは無関係に動ける龍馬は、グラバーにとって使うに好都合の人物でした。一方の龍馬も、カネは出してくれるし、プロデュースもしてくれるグラバーは、得難い人物だった。まさに、両者の利害が合致したのです」
では、グラバーの狙いは何だったのか。陰謀史観のノリでいえば「日本支配」ということになるが、加治氏はこう言い切る。「昔のフリーメーソンは、今よりもっとビジネスライクだった。いってみれば商工会議所のような存在です。だからグラバーも、日本へは開港ビジネス目的でやってきた」
討幕運動を側面から支援したグラバー。こうして明治維新が成ったあと、東京に居を移す。「晩年は麻布富士見町8番地に住むが、その邸宅は伊藤博文がグラバーに無償で与えたもの。後の三菱になる土佐商会は、グラバーの弟子である岩崎や太郎らが始めましたが、グラバーはその顧問でした。三菱に資本主義を手ほどきしたのも、三菱造船のドッグを造ったのもグラバーです。三菱は明治政府から丸の内の16万平米もの土地をタダ同然で払い下げてもらっていますが、これも伊藤とグラバーの存在があって実現したことです。明治維新は、まさにグラバーが陰で糸を引くことによって実現した」
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