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樋田氏との法論に関して

248 沖浦克治:2007/07/21(土) 21:20:24
 日蓮正宗はデジタル思考です。
 余裕がないのですね。
 全員同じ方向を向けておくとマインドコントロールが容易です。
 で、信徒全員に統一見解のみ押し付けます。
 ですから、信徒は同じことを言いますね。

『此等の仏菩薩大聖等は法華経の行者として而も大難にあひ給へり、此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか如説修行の人を尋ねん、』
 (如説修行抄)

 この御文、法主や能化はね、デジタルですから、

 大聖人様はこの過去の行者たちより、もっと大きな大難にあわれておられます。
 その大聖人様から嫡々一人の日蓮正宗にこそ相伝があるわけでございまして。
 その他、スッペ、コッペ、ナンタラ、カンタラ。
 ヤッコシイので以下略。

 創価学会ではね。アナログなんですね。

 大聖人様は最初に、仏、菩薩、大聖、とお書きになられ、後段では、

 『此れ等の人人を如説修行の人と云わずんばいづくにか』

 と、同じ人間なんだと仰せです。
 仏法はね、人間が説き、人間が実践した、人間のための教えなんです。
 どこか遠いとことにある、不可思議な教えじゃ無いんです。

 ね、どっちが説得力ありますか??


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