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樋田氏との法論に関して
130
:
沖浦克治
:2007/07/02(月) 09:11:06
御書にも、興師の文にも、お二人が三宝だ。と、書かれてはいません。
民衆の機根のゆえです。
仏は衆生の機根に合わない法を説けません。
『仏法は摂受折伏時によるべし譬えば世間の文武二道の如しされば昔の大聖は時によりて法を行ず雪山童子薩・王子は身を布施とせば法を教へん菩薩の行となるべしと責しかば身をすつ、肉をほしがらざる時身を捨つ可きや紙なからん世には身の皮を紙とし筆なからん時は骨を筆とすべし、破戒無戒を毀り持戒正法を用ん世には諸戒を堅く持べし儒教道教を以て釈教を制止せん日には道安法師慧遠法師法道三蔵等の如く王と論じて命を軽うすべし、釈教の中に小乗大乗権経実経雑乱して明珠と瓦礫と牛驢の二乳を弁へざる時は天台大師伝教大師等の如く大小権実顕密を強盛に分別すべし、』
(佐渡御書)
御本仏様の仰せです。
信じる以外にないでしょう。
機根に無い事を、絶対に仏は言えないのです。
日蓮正宗が自らの、三宝を世の中に宣言したのは寛師以降です。
歴史的な事実ですね。
但し、可能性としては有師は知っていたかもわからないですね。
細かく調べる価値は日蓮正宗としてあるかも知れません。
私共は、日蓮正宗の法主にはあまり関心がありません。
で、一般論として話しております。
創価学会は蓮祖直結です。
仏法は遠くは、蓮祖〜興師。
近くは、戸田先生〜池田先生。
これ以外の系譜はありません。
御書に明確です。
但し読み取れればですが。
興師は唯受一人の方です。
創価学会は否定などしていませんし、私もそうです。
牧口先生が、数ある日蓮系の中から興師の系譜を選択された事が何よりの証拠です。
よく、法華講方が言う「日蓮正宗および三宝尊に対し奉る誹謗中傷」にあたる。ですがね。
日蓮正宗の三宝は、日蓮正宗の内部規定です。
私は創価学会員ですので、信仰の対象としては無関心ですよ。
ですから、日蓮正宗がどのような三宝を採用しようと、私が文句を言う筋合いのものではありません。
どうぞ。と言えるのみです。
同じく、創価学会が三宝をどのように内部で決定するか?
時期は何時ごろか?
これは、純粋に創価学会と創価学会員の問題です。
他宗の詮索は不要なのです。
三宝を何時誰がどのように決めるか?
少し私見を述べます。
創価学会はご存知のように十七年前まで日蓮正宗に所属をしておりました。
大折伏をし、一千万人を超え日本一の教団となった事はご存知でしょう。
創価学会が小さかった頃、宗門との教義的、化儀的なすり合わせは容易でした。
御受戒。
牧口先生が作られ、宗門が採用し定着したものです。
勤行の形式。
末寺でバラバラだったものを戸田先生が五座三座に統一なさいました。
登山会。
戸田先生がお作りになられました。
教学試験、青年部、鼓笛隊、合唱団、総登山、夏期講習会、その他。
創価学会が作り出し、現在も日蓮正宗が受け継いでいるものです。
然しながら、創価学会が拡大し、世界広布の機根が進むと、日蓮正宗の教条主義は機根からはずれ、創価学会は全く違う教団とならざるを得なくなったのです。
最終的に、破門。との形で創価学会は理想の独立を致しました。
然しながら、当然日蓮正宗の影響がある会員が大勢いたのです。
その最たる人々は破門前後、創価学会を捨てて宗門に走りました。
ですが、当時選択に迷う会員も大勢いましたから、急いで三宝を決めなかった理由はありませんね。
何しろ牧口先生、戸田先生、池田先生、御出現まで、七百年も待ったのです、後の数十年、どって事ないですからね。
では、何時決めるか?
後十年ほどすれば、
おじいちゃんの小さかった頃、創価学会は日蓮正宗だったんだよ。
エ〜〜〜〜!!
アリエナ〜〜イ〜〜〜!!!!
こう言う機根になるでしょう。
その時に、じっくり練って決めていただけたらいいですよ。
誰が決めるか?
創価学会として検討をするでしょう。
当然権威付けせねばなりませんしね。
どのように決めるか。
おそらく、戒壇様本懐論は採用しないでしょうね。
仏は大聖人様。
これは確実です。
あとの二つは霧の中です。
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