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雑談スレ

739正樹 ◆6z10n91cnw:2007/10/18(木) 21:29:14
 
           『帝国海軍の誤算と欺瞞』(戦誌刊行会:佐藤晃)
           −50頁〜51頁−
           当時、もしも陸軍の指揮者たちにして、そのことに確たる
          認識があったのなら、支那と事を構える危険性に思い至った
          はずである。陸軍大臣杉山元が一撃派であったことは対ソ
          認識の上からも黙視し難い。石原の和平論は日に影を薄めて
          行った。彼には、自説を貫く人的基盤と背景が欠如していた。
           石原と一撃派との応酬は、概ね次のようなものであった。
           「日支和平のためには、現地日本軍の満洲への全面撤退も
          辞すべきではない」
           「在留邦人の生命・財産はどうするか」
           「在留法人も総引き揚げだ。喪った物は国家で補償する。
          戦争より遥かに安価だ」
           「北清事変以来、築いた我が国の地盤をも捨てるのか」
           「しかり、対ソ戦略は満洲を固めれば足りる。支那に
          対して必要な物は日支和平のみ」
           「支那が和平に応ずるか」
           「以上の我が方針を採れば百%応ずる。彼には、そうしなければ
          ならぬ国情がある」
           若し、蒋がこれに応じなかった場合、長城線に防衛線を
          設けて置けば、僅かな戦力で満洲は安泰であったのであろう。
          そして支那は間違いなく国共内戦で崩壊する。蒋には積極的に
          対日戦を続けることなどはできはしない。
           石原の日支和平の切り札は、近衛に対する次の献策であった。
           「北支の日本軍は、山海関の線迄撤退して、近衛首相自ら
          南京に飛び、蒋介石と日支提携の首脳会談を行う。石原自ら
          随伴する」
           しかし、近衛はこれに応じなかった。石原は激怒した。
           「二千年に及ぶ皇恩を辱うし、この時期の優柔不断、
          日本を滅ぼす者は近衛である」
           上海では、海軍陸戦隊が、中国軍と戦端を開いていた。
          海軍の爆撃隊は九州から海を越えて南京爆撃を続けた。
          戦火は既に支那中心部に拡がっていた。石原は例によって、
          毒舌を吐いた。
           「北支で事を構えようとしている奴が強盗なら、海軍は
          巾着切りだ」
           8月15日、日本政府は声明を発した。日支事変は、
          ここに本格的にスタートを切った。同日、上海派遣軍の
          編成下令した。
           石原は、参謀本部を逐われ、関東軍参謀副長として満洲に
          赴任した。参謀長は生涯仇敵の如き関係の東条英機であった。
          以来、再び、この逸材が陸軍の中枢に現れる事はなかった。


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