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雑談スレ

728正樹 ◆6z10n91cnw:2007/09/26(水) 22:02:50
 
 やっぱり、第二次世界大戦で日本は負けて良かったか?
 
     『太平洋戦争の謎−戦後40年の検証』(佐治芳彦:日本文芸社)
     −192頁〜196頁−
     (正樹注:石原莞爾と言う名前の)昭和陸軍最高の戦略・戦術家は、
    この戦争の敗因の最大なものとして、日本軍が攻勢終末点を見失った
    ことを挙げている。
     ガダルカナル島が米軍に上陸(正樹注:昭和17年8月7日)され、
    ソロモン方面(南太平洋)の戦局が重大化したときに、高松宮(海軍
    大佐)に戦局挽回についての意見を求められた。そのとき、彼は、大要を
    次の如く述べている。
     「戦争の勝敗は、最初から分かっている。日本軍の作戦は既に攻勢
    終末点を越えている。戦力は根拠地と戦場との距離の二乗に反比例する。
    持久戦争では攻勢終末点が最初から確立されなければならない。東条
    (正樹注:英機)の戦争は、デタラメで決戦戦争の方法だ。攻勢終末点を
    越えれば叩かれることは当然で、負けると分かっている所(つまりガダル
    カナル)へ兵を送る馬鹿はいない」
     つまり彼は、日本軍の戦線が、戦術上の原則を無視して拡がり過ぎた
    ことに、まず敗北の理由を指摘した。これは東条個人と言うよりも海軍に
    対する批判でもある点に注目したい。
     物量戦のペースに嵌まり込んだ補給線の伸び過ぎ
     そこで、彼は高松宮に次のように述べる。
     「近時の戦争では、制空権のない所に制海権はない。制空権を奪われた
    以上は、即刻ガダルカナル島から撤退すべきだ。ソロモン、ビスマーク、
    ニューギニアの諸島を早急に放棄せよ。そして、日本の補給線確保上、
    攻勢終末線を、西はビルマからシンガポール、スマトラなどの戦略資源
    地帯を中心に防衛線を固く築き、中部太平洋はフィリピンまで退き、
    他方、本土周辺、サイパン、テニヤン、ガムなど南洋諸島を難攻不落の
    要塞化することだ」
     結局、日本軍がソロモン諸島に執着したこと、しかも執着しながら
    「兵力の逐次投入」と言う愚を犯したことがね日本の補給線を、それの
    キャパシティー以上に延長しただけでなく、多数の航空機や搭乗員、
    更には多くの輸送船舶や油槽船を消耗させることとなった。
     (石原莞爾の)構想は、終戦後の回顧や述懐ないし詠嘆ではなく、
    ガダルカナル攻防戦の最中(さなか)のものであることが、他の軍人の
    場合と違うのだ。
 
     『武谷三男著作集第3巻−戦争と科学』(武谷三男:頸草書房)
     −41頁〜42頁−
     (正樹注:日教組中央幹部教育のための講演、1950年代前半か?)
     宮崎(正樹注:県代表か?)「私は、戦時中に日本にも原爆ができかけて
               おったと言うことを聞いておったのでありますが、
               できなかった隘路などについてお伺い致します」
     講師(正樹注:武谷三男)「ウラニウム化合物をガスにして、それを
               熱拡散の方法で重いウラニウムと軽いウラニウムを
               分けようと言う計画でした。しかし、まだ目鼻が
               付く状態にはなっておりませんでした。そこを空襲で
               やられたのです。ただ試験的なことは、色々やり
               計算などもしました。隘路と致しましては、勿論、
               工業力が貧弱だと言う隘路もあります。科学陣の
               貧弱と言うこともあります」
     宮崎(正樹注:県代表か?)「その時から続けてやっておったら
               できましたか」
     講師(正樹注:武谷三男)「あの調子でやりましたら、何十年と
               続けても駄目でしょう」


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