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雑談スレ

726正樹 ◆6z10n91cnw:2007/09/24(月) 22:14:03
 
          『大田洋子集 第三巻 夕凪の街と人と』(三一書房)
          解説 栗原貞子
          −413頁−
          洋子の戦争責任と原爆文学
          しかし、洋子が日本帝国主義の中国侵略の最中(さなか)に、
         北支(中国北部)に行き取材して書いた『桜の国』(朝日新聞
         懸賞小説当選、1940年1月)や『暁は美しく』など、
         戦争協力の小説やエッセイを書き、何冊もの単行本を出版した
         ことなど、苦い思いをさせられることは、私だけではないの
         だろう。彼女が被爆後に、自らの戦争責任に対しては口を
         瞑(つむ)ったまま、戦争の被害者として原爆の苦悩を書いた
         ことが、彼女の原爆文学に対する文壇の人たちの疎外となったの
         ではないのだろうか。
          そうしたことを踏まえて、『屍の街』を読むときに、随所に
         見られる軍部批判や日本人批判など、彼女の戦歴を知っている
         人たちは、鼻白む思いであったに違いない。彼女がしばしば
         表白している劣等感とは、被爆者であることのそれよりも、
         前歴の戦争協力の後ろめたさにあったのではないか。
 
 日本が負けた途端に、「全て、日本が悪い」と思うことは、ただ単に、より
強い者に縋(すが)り付こうとすることそのものではないのか?
 大日本帝国よりも米国・連合国の方が強そうだから、「何でも、日本が悪いんだ」と
言っているようにしか聞こえない。
 それは寝返りそのものではないのか?何の臆面もなしに、米国の威を借りて、
「日本が悪いんだ」と言うことは、卑屈そのものではないのか!?
 どう見ても、日本が負けたから「日本が悪いんだ」と言っているようにしか
思えない。日本が負けていなかったら「日本が悪いんだ」と言っているとは
思えない。
 
          『武谷三男著作集 第二巻 原子力と科学者』
          (武谷三男:頸草書房)
          −278頁−
          ビキニ事件や広島・長崎を、アメリカの国民に訴えると
         言う場合に、我々が痛切に感じ深く考えさせられることがある。
         そして、この点の反省から出発しなければ、今後の運動は
         成功しないし、根本において正しくないのであろう。それは
         例えば、今に振り返って考えてみよう。戦時中に中国の人が、
         日本兵による南京虐殺などの写真を持って日本にやって来て
         「日本の兵隊は、こんなに非人道なことをした」と日本人に
         訴えたと仮定して想像してみよう。その場合に、恐らく大部分の
         日本人は顔を背け、「これは、宣伝だ」とか、逆手を取って
         「通州事件は、どうだ」とか、「お前たちの方が、先に手を
         出したんじゃないか」とか言って、相手にしなかったのであろう。
         ただ一部少数のインテリだけが「それは、お気の毒だ。それは
         ひどい」と相槌を打ったに過ぎなかったのであろう。


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