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雑談スレ

695正樹 ◆6z10n91cnw:2007/07/31(火) 22:07:57
 
       −102頁〜104頁−
       フィリピンの不幸は、1521年にマゼランが来たことによって
      始まった。その後、スペイン人が宣教師と一緒に入って来て、この地は
      スペイン国王フィリップ2世の領土であると宣言し、軍事力と宗教力で
      支配をする。ところがフィリピン人は屈しないで、何度も何度も
      独立戦争をする。しかし、これは宗主国の歴史では、ゲリラの反乱を
      鎮圧したと書かれている。
       1898年、独立派勢力が、ある程度の形になってきたとき、
      これを支援しようと言って兵を派遣した者がアメリカだった。これが
      米西戦争であり、アメリカはフロリダ半島を戦争のドサクサにまぎれて
      取っている。
       独立軍とアメリカ軍の取り決めでは、両軍が共同してスペイン軍を
      追い出し、マニラを回復する手はずになっていた。ところが、アメリカの
      軍司令官は、これを裏切ってフィリピン独立軍の進軍を妨害し、
      単独でマニラを占領し、そのままフィリピンのアメリカ領化を推進した
      のだった。
       この件については、アメリカの国会でも、大変な議論となった。
      だが、結局、「フィリピン人は、独立を与えるほど成熟していない
      から、アメリカが善意の管理者になって友愛的同化のため、総督を
      派遣する」と言うことになった。
       善意の管理者と言う言い方は、中々うまい表現と言えよう。善意の
      管理者は、統治を行いながら、独立の未来を約束した。「いずれ
      国民議会だけは認めてやろう」「将来はフィリピン政府も認めて
      やろう」。
       確かに統治機構はできたが、それはアメリカの下の統治機構である。
      総督もアメリカ人でなければならなかった。フィリピンは、アメリカ領の
      中の半独立国と言うか、自治領のまま、その後をずっと過ごすことになる。
       その間、完全独立を望むフィリピン人とアメリカ人との間で、
      殺し合いが続く。アメリカ側の殺し方は残酷を極めていた。それを
      如実に表すことが、アメリカ人がよく使った「グウク」と言う言葉
      だった。
       人間と猿との中間種がグウクだ、フィリピン人はグウクだと言って、
      殺しまくる。この言葉は、ベトナム戦争でも復活しており、アメリカ兵は
      ベトナム人をそう呼んでいた。アメリカ人は、このような人種差別
      意識をかなり根強く持っている。
       フィリピン人は、その後も独立を目指して根強く抵抗し、ようやく
      昭和10年になると、10年後の昭和20年には独立させてやる、
      と言う約束をアメリカから獲得する。
 
       『「ゼロ戦」でわかる失敗しない学』(WAC:日下公人)


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