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雑談スレ

55正樹 </b><font color=#FF0000>(k1z6gaws)</font><b>:2004/12/11(土) 21:12
 
12月9日 ◇◆ 首相の権力欲 ◆◇
 
よみうりウィークリー12月19日号に、ポスト三木首相の後継者を福田赳夫に
一本化するための福田派と大平派の密約の写しが掲載された。二年後に、大
平に総理・総裁の座を禅譲するという前提で先に福田が総理になるという「大
福密約」を、あっさり反故にして福田が再選に出馬した。その結果選挙が行
われ田中派の支持を得た大平が勝つ。その後結果大平派と福田派の怨念の抗
争が始まる。そのきっかけとなったこの密約の現物が公表されたのはこれが
始めてである。福田、大平の両名の署名の横にそれぞれの派閥を代表して園
田直と鈴木善幸が立会人として署名している。その園田直の息子である園田
博之衆議院議員が所有していたものを同氏が敢えて公表した。それにしても
この密約のコピーをしみじみ読むにつけても、約束を破ってまで総理の地位
にこだわる権力欲の凄さと醜悪さを感じざるを得ない。

これとおなじような事がその昔鳩山一郎と吉田茂との間でもやはりあったと
いうことを、8日付の産経新聞「吉田茂の遺産」という連載記事で知った。す
なわち昭和21年4月の総選挙で第一党となった自由党総裁の鳩山一郎は、組閣
しようとした時突然GHQから公職追放される。その時鳩山は外相の吉田を口説
いて身代わりの首相にすえた。吉田なら政治への執着がなさそうで、自分の
追放が解除されれば、政権を返してくれるとの読みだった。事実吉田は「回
想十年」の中で総裁就任を要請された時、「政党というものに気が進まなかっ
た」、「長くやろうという気分はなかった」と書いている。当時の吉田の正
直な気持ちであっただろう。

しかし昭和23年10月に二度目の政権に就いた吉田はすっかり政治好きの権力
者となっていた。昭和26年8月ようやく追放解除となった鳩山は吉田に政権を
返すように求めるが吉田はこれを拒否する。

福田赳夫首相の下で政局を学んだ小泉首相の権力欲もすさまじい。大平との
総裁選で大平を支持した田中派に対する怨念を晴らした小泉首相は、ニュー
ズウィーク12月15日号のインタビューの中で06年9月の総裁任期まで二期5年
半を務める決意を表明している。すべてを中途半端にしてほったらかした小
泉首相が、自らの権力欲のために後二年も首相の座に居座られると、日本は
本当に危険、強権的な国になる事を憂える。

天木直人HP(あまきなおと)
 http://homepage3.nifty.com/amaki/
  天木直人・マスメディアの裏を読む
   http://homepage3.nifty.com/amaki/pages/ns.htm


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