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2ちゃんねるからの転載

2あべる:2005/09/03(土) 22:06:12
法というものは、求めなければ、与えられません。
自分の問題として、自己の責任で、求めるべきです。
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A派、子供の自由は、責任を取らない自由です。
相対の自由であるがゆえに、不自由になります。

親の言うことを、聞いていれば良い。
確めようとしないで、隠されてしまう。
隠されているから、責任が負えなくなる。
責任が負えないから、違法に巻き込まれる。

M派、大人の自由とは、責任を取る自由です。
絶対の自由であるゆえに、不自由になりません。
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親の言うことも、鵜のみにはしない。
確めようとするから、明らかにされる。
明らかになり、責任が負えるようになる。
責任が負えるから、違法に巻き込まれない。

牢獄に入りたくなければ、自分で判断するしかありません。
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子が切り捨てたものを、親になり受け容れる。
これも、改革派による、改革の中のひとつです。
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>「私はA派」「僕はM派」と普通に受け入れて共存しているの?

大人は、子供を受け容れられますが、
子供は、大人を受け容れられません。

A派は、M派を、魔境の他人と、切り捨てますが、
M派は、A派を、過去の自分と、受け容れています。

ちなみに、M派は、消えた信者、捨てた家族も受け容れています。
わたしが、大人気ありませんでした、今度は、共に歩みましょうと。
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グルを、外に求めずに、内に求めること。
内なるグルとは、慈悲そのものであること。
これも、改革派による、改革の中の一つです。

384様
外に向けた念は、表と裏、二元に分かれます。
つまり、 強い信念ほど、強い疑念を生みます。

外なるグルを信じて、一万人が集まりましたが、
外なるグルを疑って、九千人が去って行きました。
実際、信じていた人ほど、裏切られたと、叫びます。

そこで、念を、外に向けずに、内に戻します。
内なる慈悲の実践だけは、絶対に裏切りません。
自我を捨て、他我を思いやると、苦楽は消えます。

これを、疑うなら、実践することです。
このグルは、信じても、意味がありません。
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依存を捨てることで、自立を選ぶこと。
これが、改革派による、改革の中の一つ。
さらに、その改革を、自分で選ばせること。
これが、改革派による、改革の中の本質です。

つまり、この改革は、上から強制できません。
下から決心しない限り、改革できない代物です。

386様
>正大師の説法を求めても、
>直前で切り捨てられる(中止される)

心から求めているなら、そこで、訴えるでしょう。
訴えないで、甘んじているならば、求めていません。

>「天意」というものを伝えられる機会は
>いつまでたってもこないのでは
もはや、マナは、天から降って来ません。
求めないものに、ダルマを与えてしまうと、
カルマになることが、既に示されたからです。

法(求めないと与えられない)は現われています。
業(求めないから与えられない)で見えないだけです。
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時代に背く業ではなく、時代に合う法を選ぶ。
これが、改革派による、改革の中のひとつです。

385様
>旧教団教祖の説法に対しては、どのような見解を持って、
>どのようなスタンス で接することになるのでしょうか?

絶対の法は、諸行が無常であること。
相対の法に囚われると、業に腐ります。
先の時代には、使えていた法であっても、
今の時代に、使える法と、支える業がある。


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