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Dr Marks, jtm ファンクラブ

35名無しさん:2007/10/05(金) 05:33:27
Good job exposing Koyano's ignorance.

小谷野氏が「西洋でも十八世紀まで[中略]夫婦の間に精神的触れ合いと瑞々しい『愛』が必要だなどという考えは、一般的ではなかったのだ。」(100)というのはあまり聞いたことのない言い方だ。恋愛と愛欲の専門家が言うことだから、何か根拠があるのだろうから聞いてみたいものだ。もっとも、18世紀までとは中世のどこから数えてだとか、愛の定義をこうすればとか、そんな言い訳的なものではなく、もっと素朴な根拠だ。

jun-jun1965 『前者については、文学、歴史学の世界では常識に近いのですが、ご不審であればLawrence Stoneという人がたくさん書いているのでご覧ください。...
』 (2007/10/04 09:23)

ttp://en.wikipedia.org/wiki/Lawrence_Stone [Sex and Marriage in England, 1500-1800]
In the latter, Stone used the same quantitative methods to study family life. Stone's conclusion there was little love in English marriages before the 18th century left him open to devastating counter-attack from medievalists who pointed that Stone ignored the medieval period and there is ample evidence that there were many loving marriages before 1700. By the 1980s, Stone had abandoned his thesis.

jun-jun1965 『それは、西洋における愛の研究が遅れているのです。「愛のない夫婦が一緒にいる価値がない」というのは単純に近代のイデオロギーで、別に現代だって、そんな夫婦はたくさんいますよ。むろん愛の定義次第です
がね。なぜロレンス・ストーンが宗旨替えしたかといえば、私の本を読んでいなかったからです。『恋愛の超克』でもお読みください。』 (2007/10/04 16:22)

jun-jun1965 『ストーンが死んでいたとは知りませんでした。しかしそのウィキペディア
の記述は注がないですね。それでは学問的価値はないし、「愛のある夫婦
のサンプル」がいかに「豊富」であろうと、それは「ほとんどは愛などな
かった」ことを否定することはできません。なお『恋愛の超克』の中では、
「セックスなどする必要がない」とか、売春を悪とする考え方は私自身
既に抛棄しています。
「愛」というのは(loveでも同じ)博愛とか人類愛とかに限定して使われる
べきもので、それをexclusiveな「恋愛」などに用いたのが間違いというのが
私の説(『帰ってきたもてない男』に記述)で、これは西洋人が始めた間違い
です。夫婦間に愛がなければいけないというのは、エレン・ケイが言い出し、
日本では厨川白村が広め、実際に庶民間でも一般化したのは昭和30年代、こ
れは『恋愛の昭和史』に詳しいです。アメリカ人が、もっともこの種のイデオロギー
に捕らわれていることは、レスリー・フィードラーの『アメリカ小説における
愛と死』に詳しいです。まあ、中世の資料などというのは上層階級のものだけで
すし、日本中世でも『神道集』のように夫婦愛を讃えるものはありますがね、
「誰にでも恋愛はできる」というのが近代恋愛イデオロギーの中核にある嘘
だというのが、比較文学者としての私の主張の中心ですから、いずれ英文
にして刊行しますよ。こうまで西洋の恋愛研究が遅れていたんじゃあ、
しょうがないし。』 (2007/10/04 18:51)


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