[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
| |
kaohigashi COPIPE
26
:
レザーノフ『日本滞在日記 1804−1805』
:2007/08/15(水) 06:48:15
レザーノフ『日本滞在日記 1804−1805』(岩波文庫、2000)
レザーノフというと、日本を開国させようとして失敗、腹いせに襲撃事件を起こした、という印象の人。プチャーチンなんかより五十年ほど前に、シベリア開発とからんで、日本を開国させようと長崎までやってきた。半年ほど滞在して交渉したが、結局失敗した。行きがけの駄賃で帰りに部下のフヴォストフに命令して、樺太や択捉の番屋を焼き討ち。そもそもレザーノフはシベリアの毛皮商人の女婿で、露米会社の幹部、商売のために日本を開国させようとして失敗しその憤懣をぶつけたという、乱暴者である。
でも本書を読む限り、あんまり乱暴者のイメージは湧かない。どちらかというと、優柔不断で病弱(実際シベリアを経由しての帰途に四十代で亡くなる)、元軍人だが、艦長クルーゼンシュテルンらに睨まれていたせいか、ペリーなんかに比べてちっとも毅然としていない。気の毒なくらいである。だからといってレザーノフの評価が変わるわけでもなかろうが、この日記だけだと、特に憎めない人だけどなあ。
ところで本書で最も記憶に残るのは、レザーノフが頻繁に接することになる、日本のオランダ通詞だち。オランダ人との会話やオランダ語の書物を通して、鎖国下の日本で閉じ込められていた彼らは、世界が限りなく広いことを承知している。しかし、知っているだけ。彼らは、漂流でもしない限り、その世界を実際に目にすることはかなわない。その悲哀。解説でも引かれている、ある通詞が、長崎では自由がないと不満を唱えるレザーノフに向っていう、次の台詞。
「あなたが、自由を束縛されているのは、一時的なことだけですが、私たちは永遠それに堪えていかなくてはならないのです。私たちの父や祖父たちは、米を食べるだけを楽しみに生活を食っていたのです。そして私たちや私たちの子どもたちも同じようにこんな生活を送っていかねばならないのです。私たちは感情をもつことさえ禁じられているのです。」
江戸時代は確かに一つの安定し平穏なコスモスを作っていたかもしれない。しかしそのことによる犠牲は大きい。逆に、われわれは現在、完結した平穏なコスモスを持たない。その代わりに、野放図にしたいようにできる。やりたい放題である。どっちの方がいいのか。何もやりたくない人には、江戸時代の方がよかろうし、何かをしたい人には、当然近代以降の方がいい。私はどっちかというと後者で、江戸時代なんかに生まれなくてよかったと思う。だが、後者が必ずしも幸せではないことも、事実である。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板