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kaohigashi COPIPE
19
:
名無しさん
:2007/07/29(日) 05:41:52
わが読書「かれらは生きていて、かれらはぼくに語りかけた」(ヘンリー・ミラー『わが読書』)
2006-08-08 欧米 オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』
オスカー・ワイルド『ドリアン・グレイの肖像』(福田恆存訳、新潮文庫、1962)
いやあびっくりつまらなかったね。こんなに著名な小説が、こんな出来損ないだとは思わなかった。完全に素人の小説だ。
ワイルドって、曲がりなりにも十九世紀後半のイギリス文学の一方の雄という扱いだと思うのよね。唯美主義のチャンピオン、英国世紀末文学の代表者、みたいな。この作品だって、どんなイギリス文学史でも出てくる。しかし構成にせよ人物造形にせよまったく練れていない。それに、ほとんどどうでもいい駄弁の連続である。いやドリアンを罪悪の道へと誘う役割を果たすヘンリー卿の、逆説に富んだエピグラムだとかは、けっこう楽しいのよ。自分はチェスタトンも好きだからさ。でも、それ以外に読むところがない・・・。ヘンリー卿が出なくなってからは、退屈なもので、しかも何でも下手くそに説明してしまうものだから、読んでいて自然とああ納得とか、心を動かされるようなシーンが、ちっともない。
ワイルドというと、「存在すること(エグジステンス)と生きること(リブ)は全く別のことだ」なんていう台詞が思い浮かぶ。これをもじるなら、「書くこと(ライティング)と物語ること(テリング)は全く別のことだ」とでもなろうか。今即興で考えたんで通じるかどうか知らんが。
まだ戯曲の方がマシなのかしら。あるいは、昔習った先生が、小説も戯曲もつまらんが、評論はなかなかいけるんだ、とおっしゃってた。確かに、警句をつなげただけの、直に文章を連ねるジャンルの方が、向いてはいるかもしれない。座談に生命を燃焼させた人らしいので、人物は一流だったのかもしれんが、しかしそれでも、本書から判断する限り、作家としては二流だわなあ。文学は所詮は残されたものから判断するしかないわけだから。
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コメント Unknown (小谷野敦) 2006-12-16 01:58:56 ワイルドを面白いと思ったことは一度もない。
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