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kaohigashi COPIPE
15
:
名無しさん
:2007/07/28(土) 09:00:56
わが読書
「かれらは生きていて、かれらはぼくに語りかけた」(ヘンリー・ミラー『わが読書』)
2007-01-10 その他
石原千秋『学生と読む『三四郎』』
石原千秋『学生と読む『三四郎』』(新潮選書、2006)
日本文学が専攻の大学教員が書いた、大学教員の仕事と日常。自分も大学教員で食べているので、他の人はどんな風に過ごしているのかなあと思うことがある。参考になるかと思って読んだ。
石原氏の論文は、もちろん同じような時代や作家を扱っているので、読んだことがある。特に感心はしない。本書でもくり返し書かれているが、石原氏の立場は「テクスト論」とかいうらしい。これは、「作者は死んだ」「テクストは間違わない」とかで、作者を無視し、テクストだけを論じるという立場。別にそんなものにこだわる必要はないと思うが、石原氏はこだわっていて、学生たちを指導する際に、『三四郎』を論じていても、「夏目漱石」の名前は一切出させないらしい。
へー。すごいな。どうしてそんなことをするのか、私にはさっぱり分からない。これが教育的立場? 言葉の意味はよく分からんが、本人はとにかくすごい自信である。本書を読んで驚くのは、この恐るべき自信である。著者は確固たる信念をもって、学生たちにびしびし教育を施している。文学部で二番目に厳しい先生とかいわれているらしいが、厳しくするには、それを裏打ちするだけの努力と自信が必要だ。
努力はしている。徹夜でレポートの添削をしたり。これはえらい。しかしこの自信がどこから来るのか、謎である。自分も文学を講じたりすることがある。いつも思うのは、こんなこと教えて何になるかな、というもの。自分の立場は、こんな本があります、読むとけっこう面白いです、みんなも試しに読んでみて、しばらく面白い思いができるよ、これで人生観がちょっと変わったりするといいね、一銭にもならないけど、人生が豊かになったらいいなあ、でも文学の読みすぎで性格がゆがむこともあるから気をつけて、それと文学は中毒性があるから、趣味程度にたしなむように。こんな感じのスタンスである。教えるものはないと思っている。単にサジェストするだけ。
だから文学を教えるのは難しいし、空しい。しょせんは教えてどうこういうものではない。教えられるのは、読み方のテクニックとか、研究する際のテクニックとかだが、これはあくまで補助的なものである。やはり外国語を教えているときの、実質がある手ごたえなどない。
そういう疑問を感じずに、
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