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kaohigashi COPIPE

13名無しさん:2007/07/27(金) 07:11:04
 さて読書の感想。二年ほど前に、同著者編の『だから教授はやめられない 大学教授解体新書』(ジャパンタイムズ、1995)を読んだことがある。大学教員にまつわる惨憺たる現状を暴露した本。どんな業界でも内輪暴露的な本はあるもので、ことに例えば警察や大学など、本来ならば正義がまかり通るべき、聖職と世間から見なされている業界ほど、暴露の格好の対象となる。最近では男子小学生の、将来つきたい職業ベストスリーに、「学者」というのが入るらしい。大学教員は羨ましがられる職業の一つへと成り上がった。当然その内輪暴露も書かれる。

 しかし自分は、ここで描かれるような大学残酷物語を経験したことがない。自身悲惨な目に遭ったことがないだけでなく、また所属する大学院でも目にしたことがない。うちの大学の先生たちは、研究と教育と行政でまさに忙殺されている。実際研究室の主任は、昨年三月、過労死なさった。うちの大学で見ている限り、大学教員はのんきな商売、したいことをしている趣味人的な商売どころか、殺人的に労働量とストレスの大きい商売である。

 そもそもこの手の暴露本でよく書かれる、大学教員の横暴など、見たことがない。そんなどうしようもない人間ばかりが大学に巣食っているなら、いくらなんでも機能しなくなる。また、無能無能といっても、そもそもみんなが有能なはずない。本書では五年以上論文を一本も書かない数多くの大学教授が痛罵されているが、大学院もなく、週五六コマの授業をこなしさえすれば学生を指導する必要もない大学の教員の場合、研究しろといっても無理でしょ、モチベーションがまったくないんだから。そういうのははじめから批判の対象にしても無意味だ。本書で描かれるような、研究も教育もしない大学教員の無能、コップの中の嵐の権力闘争、セクハラやパワハラ、前近代的な大学組織などは、どこの世界でもあるんじゃないかしら。取り立てていうほどでもない。

 それよりも、身をもって経験した、大学教員の最も悲惨な事実は、その教員になれない、ということである。


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