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盗作、絶版、剽窃、plagiarism_____

28名無しさん:2007/06/23(土) 03:40:21
■2007年06月14日 週刊新潮・唐沢俊一盗作疑惑記事の謎

 この一件自体を全然知らなかったという人は、まずばるぼらさんのまとめページを参照してください。

 「漫棚通信ブログ版」はけっこうマメに読んでるので、騒動の最初からウォッチしてたわけですが、今日届いた週刊新潮6月21日号の記事、『朝日新聞“書評委員”に浮上した「ブログ盗用疑惑」』の書きっぷりはちょっとひどいんじゃないかと思った。

 唐沢氏の談話として引かれている一節、「通常は、内容紹介の文が過剰な引用にならないようチェックしていますが、私のミスでその作業を怠った。最後に参考文献や資料などの一覧を付けるのも忘れてしまいました。無断引用したということについては全面的に認めています」は、ぜんぜん説明になってない。
 ふつう、「内容紹介の文が過剰な引用に」と言ったら、ある作品の内容を詳しく紹介しすぎて引用部分がつい長くなることをを指す。たとえば、津本陽『八月の砲声』が辻政信『ノモンハン』から大量に引用しすぎていると遺族に怒られたようなケースですね。
 しかし今回の場合は、その「内容紹介の文」自体が、他人の文の無断転載(に若干の改変を加えたもの)だったわけで、それを指して「過剰な引用」と呼ぶのは悪い冗談。「無断引用したということについては全面的に認めています」というけど、そもそもこれ、引用じゃないでしょ。他人の文章に手を加えて自分の文章にすることは、ふつう引用とは言いません。改変している時点で「引用」ではない。さらに、もし改変がなかったとしても、引用の要件を満たしていない。少なくとも、「出所を明示すること」「本文と引用部分が明らかに区別できること」に関してはアウト。さらに、「資料は、ちゃんと手元にあります」と言うんだったら、漫棚通信から引用する必然性はないわけで、「引用する必然性」に関しても疑問が生じる。とか検討するまでもなく、こういうのをふつうは「盗用」と呼びます。

 ぶっちゃけ、「コピペした他人のテキストをちょこちょこいじってそのまま自分の本に使った」という話なんだから、全力で謝罪する以外の選択肢はないと思うんだけどなあ。むしろ、最初から過剰なくらい大げさに謝ってしまうと一瞬で鎮静化するのに。ただちに絶版・回収を宣言したほうが圧倒的にラクだったんじゃ……。まあ、そうもいかない事情があるんでしょうが、こういう凡ミスが生じた経緯についても、その後の対応についても謎が多いことである。

 にもかかわらず、週刊新潮の記事は、唐沢氏に「漫棚通信さんには、お目にかかって直接、お詫びしたいです。しかし、名前もわかりませんし、メールでのやりとりしか応じてもらえないのは残念です」と言わせたり、(ネット上で祭りになったおかげで)「先方もかなり強気で、話し合いがなかなか進まない」という唐沢氏の知人の言葉を紹介したりした挙げ句、「身から出たサビとは言え、これが、ネット社会の怖さでもある」と結んでいる。まるで、匿名クレーマーの地雷をうっかり踏んで大変な目に遭ってる被害者に同情するかのような論調。全然そういう性格の問題じゃないと思うんですが。  もうひとつ、週刊新潮の記事で謎なのは、唐沢氏が「書評委員をつとめる朝日に対しては、当分、原稿を自粛したいと申し入れた」という一節。「裏モノ日記」を読むと、出稿・出演を自粛しない媒体もたくさんあるようなので、なぜ朝日新聞だけ特別に自粛するのか意味がわからない。世間を騒がせると新聞の書評原稿は自粛するのが社会常識なんでしょうか?


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