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誤訳(mistranslation)を集めるスレッド・・
80
:
名無しさん
:2008/08/06(水) 03:13:40
かつて野崎にとって翻訳は「ある種利己主義的でもあるような喜びを感じている」ものだったのが、今では読者の声が聞こえない、しかも賛辞が聞こえないと言っているようです。その賛辞をかつての編集者にかけてもらい、感涙しています。
しかし、野崎も今年で48歳になります。48歳ともなれば、民間企業でいえば、中間管理職として部下を育成、指導していかなくてはならない世代です。ましてや、東大という、日本の最高学府のエリート教師としてどうか、と思います。むしろ、若き無名の若者に、『浴室』の翻訳の機会を与えてくれた先輩のように、「自分には合わないから」と後輩に機会を与える立場になってもいよいはず。ところがそうではなく、『英語のたくらみ、フランス語のたわむれ』を読む限り、自分の学生のできの悪さを書き、後輩の指導に情熱があるとは思えない。
かつて、翻訳というと男性が多く、そのほとんどが書生、弟子として師事していました。師匠は弟子のために仕事を授ける役割が、翻訳に限らず他の分野でもありました。それが今では、学校という、巨大組織に取って代わり、教師は学生のために仕事を渡す義理はなくなってきました。国公立、私立大学、専門学校が多くでき、マス的になっていく一方、ほとんどが(学生の)親の支払う学費さえ確保できれば、よほどのことがない限り教師稼業も悪くなくなってきました。要は、サラリーマン的になってきているのです。
そうかといって、「黒子」の翻訳家以上の、作家同然の賛辞を欲しがっています。それは虫がいい、といっても聴く耳はなさそうです。
「翻訳とはぜいたくな道楽なのだ」というのは、在野で勤しむ翻訳家の方に失礼です。この人たちは、大学教師のような安定した身分ではないのですが、独立独歩だというプライドがあるのです。
野崎が今後も、自分に与えられたような機会を若い人に与えず、それなりの原書の翻訳を分捕り、作家並みの賞賛を得たいのであれば、東大助教授の肩書きをかなぐり捨て、独立独歩で歩んでみてはどうかと、一ファンとして苦言を申し上げます。それがいやなら、フリーの作家、評論家ではないので、まずは教育者として、研究者としての実績をあげていただき、早く教授になられますよう願います。
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