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立命館大学大阪進出

632龍谷人@また〜り:2016/02/14(日) 19:15:43
脱を図り,聖母マリアから誘惑者へと変貌していった」と述べる。『死の舞踏』と名づけられた
パフォーマンスにおいては村山が上方に位置し,ハイヒールを履いた脚をぶらつかせながらい
るのは興味深い。ダンスに関する村山のマニフェストというべき重要なテクスト,「ダンスの本
質に就て」19)において強調される「この上なく賢い不完全さ」,水沢勉も「変幻する身体の自由
―踊る村山知義から見えるもの」20)で引用する「關節がぐらぐら」「不平均に振れる」とはハ
イヒールという「地上三インチの快楽」をも表していなかったか。だが,それにしても,何故
村山はハイヒールの愉楽に身を任せながら,こともあろうに女装しなくてはならなかったのか。
「ダンスの本質に就て」の末尾近く,気になる一節がある。
さて最後に,踊り手の胸は觀念を以つて充たされてゐなければならない。何となれば,
これがなかつたならば一つ一つのダンスがみぐるしく離れ離れになる。たとへば一つのダ
ンスは「神に溺れたる聖フランシス」であるべきであり,他のダンスは「十二にして淫賣
に賣られたる少女の世に對する復讐」であるべきである。
「踊り手」としての村山は「觀念」の上では「淫賣に賣られたる少女」となっていた。村山にとっ
てダンスとは自らを「淫賣婦」へと変態(メタモルフォーゼ)させていく場であり,ハイヒー
ルはそれへの媒介,通路を象徴していたのではないか。
さらにこの時期の村山はじめマヴォイストたちのトレードマークとなった特有のヘアー。
「ブーベンコツプ」と呼ばれたその「奇妙なおかっぱ頭」は彼らにとって異性装への逸脱という
快楽を意味していたはずだ。勿論「夫婦同顔」(図 5,『日本のダダ 1920―1970』白川昌生編著,
水声社,二〇〇五年五月三〇日,より引用)とまではいかなくとも,確かにこの時期の村山は妻,
籌子と同形のヘアースタイルである。男性である村山がヘアーによって女性である妻の身体を
自身の身体に仮装していく。ハイヒールによる仮装と
重ねるなら村山の身体には「淫賣婦」にして「妻」と
いう自らにとって性的な対象となるべき「觀念」,イメー
ジが内在していたわけだ。
確かに香川檀が『ダダの性と身体―エルンスト・
グロス・ヘーヒ』21)の一節「ダダの〈ジェンダー・ト
ラブル〉」で述べるように「ドイツに限らず,ダダの作
家たちのセルフ・ポートレートには性別越境の意匠を
こらしたものがいくつも見受けられる」がそれらは「借
用してきた女性イメージのあまりの断片性ゆえに,自
身の〈男らしさ〉をパロディーにすることはできても〈女
らしさ〉をパロディーにすることはできな」かった。
村山のハイヒールにしても「ブーベンコツプ」にして
もその「断片性」においてダダの同時代性を共有して
いる。では村山の特異性は奈辺にあるのか。




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