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立命館大学大阪進出

629龍谷人@また〜り:2016/02/14(日) 19:13:30
/ 彼は淫賣買ひが最も適當な所置だと思つた。/ バイタはシネマトグラフであり,また世界
の口語詩形の抒情詩だ。
遠地輝武の詩集『夢と白骨との接吻』12)のなかの一篇「ケンタイなる―DADAIST―午睡」の
一部である。ここでは「ダダ」とは「淫賣買ひ」である。「ダダ」,「DADAIST」とは芸術上の表
現実践に先立ち「多様な生活體驗」そのもの(のポーズを取ること)であり,就中「淫賣買ひ」
なのである。「DADAIST」のセクシュアリティは「バイタ」との交渉によって「シネマトグラフ」
として可視化されるのだ。
吉行エイスケも『賣恥醜文』において自らダダイストを名乗った一人だが,その第六輯
(一九二四年一〇月)に次のような詩篇を残している。
今夜も月の下で毒液に腐敗したおまえの乳をすわぶる / なに! 俺が死姦病者だと / 俺が
鉛害だと! / うふ! 貴様はなんだって女郎なぞに売られやがったんだ! / 不具な鼻に粉
白粉をはたいて / 異国の砂に裸像を描く //(中略)// 俺は貴様の膚をベリベリと裂いて血
をすする / まだすさみきらない水マ


しいこの肉体 / だが! 死ぬにはまだものたらぬて //
俺は貴様を殺して さて死骸がいくらに売れるのか / では最後のものたらぬ口吻けだ!
この詩篇は「或る夜のオナニ」13)と名づけられている。「不具な鼻に粉白粉をはたい」た「女
郎」を買うことが「オナニ」であるというのだ。「淫賣婦」は「性的存在としての,私の写し身」,
つまり「シネマトグラフ」であり,「娼婦,彼女の身体は性的世界を生きる私の身体の延長であり,
それでしかない」のであるなら,まさに「女郎」「淫賣婦」を買うことは<自慰>の延長線上に
しかない。<尖端>に在ることを自己証明しようと<自慰>を声高に叫ぶのがいささか滑稽に
響くのは<自慰>そのものが内向的で孤独な「独身者」(= “ 童貞狂 ”)の所作にみえることに
よるのだが,無軌道で享楽的な「淫賣買ひ」とそれとは一見相反するように見えながら実は同
一なのだ。さらにこの「女郎」を介しての「オナニ」は,それが「オナニ」であるがゆえに「俺
は貴様を殺して」「貴様の膚をベリベリと裂いて血をすする」という娼婦殺しのモチーフ,快楽
殺人そのものへと,その意味の濃密さを増していく。ダダイストは「淫賣」を買い,そして殺す。
その「死骸」までをも「すわぶ」り,さらに売り払おうとしてまで。「オナニ」の過剰な暴力性
を確認しておきたい。
同様のモチーフは『マヴォ』第 2 号 14)に載る岡田龍夫「朦朧線撤回騒ぎ(一幕構成劇)」,萩
原恭次郎の詩集『死刑宣告』15)に収められた「カルタの札をかき廻してゐると」にも見られる。
十三人の男舞臺へはひ上る。赤布を上半身にまいた男は中央に立つて目をつむつてゐる男
をつき倒して巳ママ
れは反動で後ろに倒れる。他の十二人の男は倒れた十二人の淫賣婦の臀部
をナグリツケルと女達は急にハネ起きて足をヒロゲ,産前の苦悶の様子をする。男達はエ
リ首より左手を突き込んでタイ兒を引き出す。凡て動物。(犬,猫,ブタ,鶏,馬,牛,鹿
等のオモチヤ,實物ならなほよし)/ ボロキレが MATA からボタボタ落ちる。




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