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立命館大学大阪進出
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立命館言語文化研究 22巻 3 号
たら箸のやうなものでつまんで / お池のなかへはうりこまうよ。/ はじめ浮いてゐて / しま
ひに沈むよ。きつと!
「ちつぽけな ちつぽけな ちつぽけな」「ゆびの細さに於て比類のない幽靈」。「顔もちつちや」
く「箸のやうなものでつまんで お池のなかへはうりこま」れ「しまひに沈む」しかないそれ
とは,あるいは生殖,いや性交にすら到ることは決してなく「灰色の幽靈」となるしかない無
為な精子を比喩しているのだろうか。確かにタイトルの「オナニズム」を参照枠とした場合そ
のような詩篇への解釈も可能ではあるだろうが,だがこの詩篇が意味するはずの「オナニズム」
それ自体は「はじめ浮いてゐ」るかに見えて「しまひに沈む」かのように表象へと結実してい
るとはいえまい。そうだとすればむしろここでは無為の詩篇を「オナニズム」と名づけること,「オ
ナニズム」という内実の空虚化した活字の連なりを敢えて見せることこそが表現実践の意図と
して重要だったのではないか。マヴォイスト岡田龍夫が装丁を手がける,齋藤秀雄『蒼ざめた
童貞狂』6)にしても「性交を望んでゐ」ながらも「手淫」に狂うしかない「童貞狂」という男
を想起させるインパクトが,タイポグラフィを錯乱させる個々の詩篇の表現的充実に勝ってい
たはずだ。例証として「劇塲を狙う性猫と稻妻」と名づけられた詩篇の一部を引いておこう。
●▼貪慾 ~~~~~ ▽ / 六月は / 蒼ざめた手淫の音樂だ / どろんとして / 鋭い / ● ~~~~ 青
猫
の
目
玉~~~~ ● /・〈 オオオ
/ 性母ダ /((薔薇色の劇塲)))ダ / 肉慾で舞臺を / 塗潰せ〉〉〉■●▼
/ 觀衆も /― 長
椅
子
も―ゴリラも / るゐでん望を交性
/ 獸光に感電した ~~~~~~~~~ 陽
太
/ 稻妻が腦髓を射抜く / ぶつ倒れた・・・・・・!! / 不感症の盲窓 / !吐反 !吐反 !
吐反
赤川学『セクシュアリティの歴史社会学』7)は近代日本における「オナニー(マスターベーショ
ン,自慰,手淫,自瀆,せんずりなどともいう)に関する言説の分析」として優れた成果である。
それを参照すれば,一九二〇年代の「オナニスム言説」を一括しては意味付けられないと確認
できるが,「修養論としてのオナニー有害説」,通俗性欲学が盛んに提唱するオナニー=「万病
の基パラダイム」,ナショナリズムとしての「オナニー有害論」などいずれにしても有害論が優
勢のなかにあって,自らを<尖端>と名乗る芸術運動にとっては逆に<自慰>を振りかざすこ
とが(その内実を表象しえなくとも)そのままブルジュア的社会を逆撫で,それへの反抗の証
ともなっていたのは確かなようだ。つまり,<自慰>は自らの<尖端>性の強度を明かし立てる。
むしろここに禁止と反抗の共犯関係を見るべきだろう。やがて『マヴォ』にも参画する萩原恭
次郎が中心となった同人誌『赤と黒』は「詩とは爆彈である! 詩人とは牢獄の固き壁と扉と
に爆彈を投ずる黑き犯人である!」の「宣言」8)でよく知られているが,ここで注目したいの
はその第四輯に掲載された「赤と黑運動第一宣言」9)の一節である。
貴婦人と紳士の戀愛の下落を知れ!
三越呉服店の入口でちんこまんこしてゐた二匹の女犬と男犬の方がずつと近代的である。
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