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龍大生へ
262
:
最後の連合艦隊旗艦大淀
:2018/03/23(金) 10:44:40
みなさんは、連合艦隊「旗艦」と聞けば、大和や武蔵、場合によっては
三笠(日本海海戦の時の旗艦)を思い出す人もいるのではなんでしょうか。
その名の通り、連合艦隊司令長官が乗艦する艦のことを指すのですが、
太平洋戦争の最中において、この「連合艦隊旗艦」というのは、様々な変遷をたどっています。
最初は長門、そして大和、武蔵と日本海軍を代表する戦艦が連合艦隊旗艦とされていたのですが、
戦況の変化に伴い、次第に「連合艦隊旗艦=戦艦」という考え方は徐々に変わってきます。
もともと旗艦に戦艦が選ばれていたのは、その戦闘力が高いことと、司令長官自らが戦場に赴き、
率先して戦闘の指揮を執るという「陣頭指揮」の精神を発揮するために、
戦闘力の高い戦艦を旗艦とする考え方があったからです。
しかし、太平洋戦争において
日本海軍が編み出した「空母機動部隊」という戦い方は、戦艦の価値を著しく低下させたのです。
その結果、連合艦隊司令長官が自ら戦場に出向いて指揮をとるというのはなくなり、
むしろ通信環境や指揮命令系統が円滑に進む場所において指揮を執るということが
当然のようになりました。
つまり、戦場に赴くのではなく、後方で全体を見渡して、的確な命令を下せる状態であること、
それが連合艦隊旗艦に求められる使命となっていった結果、
それらの新たな条件を満たす軍艦として、
なんと巡洋艦が連合艦隊旗艦に命じられることになったのです。
そんな旗艦に選ばれてしまった巡洋艦「大淀」について紹介したいと思います。
大淀は、日本海軍の軽巡洋艦であり、
その艦名は宮崎県下の最大河川の大淀川にその名を由来する軍艦です。
昭和14年度に着手された第四次軍備充実計画により、阿賀野型軽巡洋艦と共に建造されたのです。
もともと、太平洋戦争開戦前に練られていた日本海軍の対米戦計画では、
まず潜水艦部隊が前線に出向き、向かってくるアメリカ主力艦隊の邀撃が予定されていました。
そこで、広大な太平洋上を潜水艦単独で敵艦隊と交戦するのは危険であると判断し、
潜水艦部隊専用の旗艦を建造することになったのです。
それが「大淀」が生まれた由来です。
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