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聖イエス会名古屋教会、主の十字架クリスチャンセンター

15名無しの神学さん:2018/03/04(日) 19:40:08
寄せてもらっていますが、大きな叫び声をあげて、鳶口を上手に使って必死で大木を引き寄せている光景は、それはまことに命がけの仕事でおそろしくさえ思いました。遠方から眺めている私共の近づける場所ではございませんでした。寒い国に住む人々の生きることのきびしさを目のあたり見ました。家主のおばあさんは「私の家は男手がないから私が大木に飛び乗ったものですよ」と言っておられました。ようやく洪水がおさまり、縄張りが解除されると、私共はその残りの落ちこぼれを拾いに行きました。
 長い間山中で切り倒されて埋もれていた木は皮が剥がれ堅い部分だけ残り白骨のようになっています。よく乾かして使いますと、火力が強くてよく燃えます。まことに貴重な燃料でございました。天気のよい日には子供達と共にリュックを背負って、大河の上流の松林の中の河原に拾いに行きました。
 さて主人の留守中、いろいろのことを経験し、主に守られて無事に過ごすことができましたが、十五日に帰宅いたしました主人の顔を見てほっといたしました。
 十二月二十五日、信州ではじめて迎えたクリスマス。非常時にふさわしく、二十五、二十六の二日間、黙想会をいたしました。近在の人々も泊まりがけで集まってこられ、きびしい昭和十九年の最後をしめくくるにふさわしい幸いな黙想会でございました。そして主人は年末まで近在のクリスマス集会に出かけて行きました。
《新年有名黙想会》
 いつ終結するかわからない戦争の泥沼の中で昭和二十年を迎えました。
 「今より、我は主なり」との標語を与えられ、一月一日から三日まで、新年黙想会が行われ、穂高の人々や、近在からの泊まり客もあり、戦時中のこととて真剣でございました。御名によって永遠の命を得しめるというこの福音の流れを、日本の屋根といわれる信州から日本全土に押し流していこうという意気込みで有明黙想庵がつくられたのですから、しばしば黙想会が行われましたが、格別夏は多数参加され霊的香り豊かな集会でございました。新年有明黙想会が終わるや、主人は五日からの平塚聖会に出かけて行きました。
《助け合いの日々》
 信州での最初の冬は、不用意だったために、野菜の不足で顔がむくんだり、きびしい寒さのため冷え込んで…は腰が立たなくなって、一週間ほど寝込んだり、またキリスト教に対する偏見から、迫害を受けたり、子供にとっては大きな試練がしばしばございましたが、わが家では主人は留守がちながら、みんなで助けあい楽しい日々を送りました。聖書物語や聖人伝が唯一の読み物で、聖人達のお話をしたり、讃美歌を歌い、お祈りし、遊戯や紙芝居をして遊んだり、時には臼ひきの手伝い、また遠い道を配給物を取りに行ったり、だれも不平を言わず、仲よく過ごすことができました。
「野に咲く百合は骨折らず
つむがずとても育つなり
空の小鳥は種まかず
倉はもたねど糧に飽く


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