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聖イエス会姫路教会、主の十字架アンテオケ教会
13
:
名無しの聖歌隊さん
:2018/02/22(木) 20:27:05
うことは「イエス様、イエス様」と呼び求めることではありません。「イエス」というの
は、神が人間になられた、その人間としての名であって、当時、ごく一般的な名でありま
した。
それでは、主の【御名】とは、どのような名なのでしょうか。
聖書はこう言っています。
「わたしは主である(【我は主なり】)、これがわたしの名である(神性を【啓示】する
【御名】である)。」
(イザヤ書42・8)
イザヤ42:8(文語訳)われはヱホバなり是わが名なり 我はわが榮光をほかの者にあたへ
ず わがほまれを【偶像】にあたへざるなり…聖イエス会資料集・プリント集には記載なし。
「【我は主なり】」こそは、イエスの神としての【御名】なのです。そして、神の本質を
【啓示】する【御名】は、聖書を見ると、全部で十二記されています。
《御名の福音は聖書的》
旧約聖書の冒頭、創世記第四章二十六節には「この時、人々は主の名を呼び始めた」
と記されておりますし、また、ユダヤ人の先祖、アブラハム、イサク、ヤコブも「主
の名を呼んだ」と創世記に記されています。また「主の【御名】を呼び求める者は、
すべて救われる」との言葉は、旧約のヨエル書の預言です。そして、新約の大使徒
ペテロが使徒行伝の説教の中で、また、パウロがローマ人への手紙の中で引用して
おり、聖書の中で、計三回も記されているお言葉なのです。さらに、使徒行伝を学ん
でいきますと、初代教会の人々は、他の人々から「【御名】を呼ぶ(唱える)人々」
と呼ばれていたことがわかるのです(使徒行伝9・14参照)。
この【御名】の【福音】は、あくまでも聖書の【啓示】に基づいたものであり聖書
がそのオリジナルなのです。しかし、長い歴史を通じ、キリスト教がヨーロッパ社会
に広がるにつれて、キリスト教は形式化し、儀式化し、いつしかクリスチャンは
「【御名】を呼ばない人々」になってしまったのです。
けれども神は、この【終末期】にもう一度、世々隠されていたこの【奥義】を【啓
示】されました。そして、神は【御名】によって人間の内にお宿りになる、というこ
とをあらわされました。
《生ける水が川となって》
それでは、私たちが主の【御名】を呼び求めるとき、どのような事が起こるのでし
ょうか。
聖書はこう言っています。
「祭の終りの大事な日に、イエスは立って、叫んで言われた、『だれでも(聖霊に、
永遠の命に)』かわく者は、わたしのところにきて飲むがよい。わたしを(真の神、
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