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聖イエス会尾道教会、主の十字架クリスチャンセンター
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:
名無しの伝道さん
:2018/03/04(日) 20:28:44
だったことでしょう。生きとし生けるものすべてが息をひそめて活動を停止しているかの心地がいたしました。田も畑も凍てついて、丹波や、高浜の農村風景とは全くイメージを異にしていました。青いものは何も見当たらず、雑草すらも枯れ切っていました。このあたりは冬の間、畑に野菜をおいておくことはできず、全部取り入れ、当座のものだけ少しだしておき、他は全部室に入れて貯蔵しておくのだということでございました。冬の長いこの地方では、春になると農家でも野菜が不足するとのことで、そう簡単に他人に分けることはいたしません。「もう一か月早く来れば何とかなったのに」と、言われました。農村で生活して野菜を入手できないとは大きな誤算でありました。
《有明黙想庵》
お借りした家は、屋根はトタン葺きでしたが、三百年も昔の家だとのことで、長年手を入れていない、荒れ放題の家でございました。家の前と裏に、きれいな小川が音を立てて流れていましたのは大きな喜びでございました。近所の家々の屋根は、へぎ板で葺いている家が多く、手ごろの石がいくつも載せてあるのに驚きました。
一人住まいの家主のおばあさんは、お体が弱く、冬の間は穂高の親戚の家にて過ごし、春になれば帰って来られるとのことでした。主人はこの家を「有明黙想庵」と名付け、細い木切れに書き入口の柱にかけました。道路に近い土蔵の壁にも「黙想庵」と記しました。
《わが助けは……》
土場は有明村の北のはずれで、北安曇郡との境のまことにさびしい寒村でございました。村役場も配給所もお店屋も、すべて村の中央にありまして往復二里(八キロ)ほどございました。
このような所で、この冬どうして暮らしていくのだろうかと、相談するいとまもなく、主人は一日おいて八日には再び関西方面の聖会に出かけて行きました。「行ってくるよ」と手をあげて出て行く後ろ姿を見送りながら涙もでませんでした。荒野にほうり出された感じがいたし、ただ唖然としておりました。
三人の子供は有明国民学校に転校いたしました。学校は信濃富士といわれている有明山の麓にございました(現在は移転して残っていません)。
北アルプスを背景にそびえ立つ有明山の容姿はまことに美しく創造者の御手の業をたたえずにはおられませんでした。
「われ山にむかいて目をあぐ。
わが助けは、いずこより来たるや。
わが助けは、天地(あめつち)を造りたまえる
エホバより来たる」
(詩篇121・1〜2、文語訳)
全能者に対する信仰が油然とわき上がり、喜びにみたされました。
「望みて喜び、患難(なやみ)にたえ、祈りをつねにせよ。」(ローマ12・12文語訳)このみ言葉は、私の信仰生活のモットーでございます。
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