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在日朝鮮人のための北朝鮮講座(126)
1
:
解法者
:2004/11/04(木) 21:48
>離散家族(6)<
「北朝鮮にいる娘から南朝鮮(韓国)にいる父」への手紙(4)
この家族は、朝鮮戦争が始まったときに、北の咸鏡南道の中都市に住んでいた父が北朝鮮軍の徴兵を逃れるために、身ごもっていた妻を置いて、山に逃げた。本人はほとぼりが冷めたらすぐにも戻って家族と一緒に暮らすつもりだったが、国連軍が北進し、侵攻のじゃまになるとして民間人は南下させられ、止む無く南朝鮮に渡った。その後は、南と北は軍事分断線で遮られ北には戻れないまま46年が経過した。
父は、最近になって北にいる家族の消息を尋ねたが、それもできないまま、ブローカに騙され多額の金をむしり取られることもあって、一時、北にいる家族の消息探しを断念していたが、韓国の銀行グループの幹部(理事―日本の取締役(北の出身者が多い))の方で、やはり、こちらの尽力で北にいる家族の消息を探せたことを聞いて、こちらに接触して来た。
彼の住んでいた北の咸鏡南道の中都市は朝鮮戦争の際に米軍の爆撃で灰塵に帰し、住民は他地域に移住した。そのため、消息を尋ねるのに大変な困難があった。北にいる協力者のお陰で何とか探し出せた。このように北にいる家族が故郷にそのまま住んでいれば、消息を尋ねるのは容易であるが、そういう例はほとんど無い。それは、家族が南朝鮮に逃亡した家族は、成分(身分)は最下層(監視対象階層)に落とされているため、片田舎に追いやられたためである。こういう家族は「平壌」はもちろんのこと、「開城」など38度線付近には住むことができない。
現在、ソウルに住んでいる父は南朝鮮の人と再婚したが、男の子に恵まれなかった。そこで、北で生まれたであろう(生まれたどうかも知らない)子が、男であることを期待していた。
他の離散家族に北にいる家族の消息を知らせるため、ソウルを訪れていた私の元を訪れて北にいるであろう娘の消息を尋ねて欲しいと懇願した。
こうして、家族の消息が知れた。期待していた子が<女>だった。失望したが、それでも娘だ。喜んでこちらに100万円をくれた。消息を探して、その相手からお金をもらったのは、これと在日の人から10万円をもらったきりだ。
そのもらった100万円は、平壌に行ってその娘に会って「お金」を渡して欲しいとのことだった。その「お金」は別にいただいた。会員3人とともに平壌に趣いてその娘に会った。これでその100万円は消えた。このときの返事の手紙は次に紹介する。
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