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在日朝鮮人のための北朝鮮講座(69)
1
:
解法者
:2004/06/11(金) 15:02
>映画「実尾島(シルミド)」に想う(4)<
彼らに与えられた命令は「金日成主席宮を爆破せよ」で、「金新朝事件」の124部隊に負けるな、が合言葉だった。
平壌の模型が作られ、進入ルートも決定された。
いよいよ北に浸透する日、(翌年)1969年10月6日が決定された。
浸透は気球で行われる手はずとなっていた。
ところが、命令が出なかった。原因は「金 炯旭」中央情報部長の更迭(1969年10月20日)であるとされる。韓国政府の方針も「北進統一」から「平和統一」へと変わりつつあった。1970年8月15日には「平和統一」を主張する「平和統一構想宣言(8・15宣言)」が「朴 正煕大統領」によって発表された。この背景には北の「南進統一」の方針再検討にあった。1968年10月30日から11月2日にかけて、韓国の日本海側に北の武装ゲリラ120名が相次いで上陸し、韓国の住民の宣撫工作を行い、それに従わない者を殺戮するという事件が発生した。北は上陸さえすれば直ちに韓国の住民が呼応すると安易に考えていたが、これとは逆で住民の通報で程なく鎮圧されてしまった。これをきっかけに北は「武装工作員」の韓国への浸透を差し控えるようになっていたのである。さらに米国のニクソン大統領が1969年1月に就任し「朴 正煕大統領」に対話による南北問題の解決を促した。「朴 正煕大統領」の宣言はこのような情勢のなかで行われたのである。
こうしたなかでも、「実尾島」での「訓練兵」の訓練は継続して行われていたが、いつになっても「金日成主席宮爆破命令」は下りない。
そのうちに、これまで良かった待遇が見る見るうちに落ちてきた。それはまず食事に現れた。米食は麦食となり、肉が出されることが少なくなった。
「訓練兵」の士気は落ち、ささいなことで「基幹要員」と争うようになった。このころになると「訓練兵」も過酷な訓練によって力を付け、「基幹要員」とは実力でも肩を並べるようになっていた。
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