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在日朝鮮人のための北朝鮮講座(64)

1解法者:2004/06/01(火) 16:04
>離散家族(35)−元在日の状況(12)

 協力者にお願いし、仕事と家を紹介してもらった。良く働き評判も良かった。
 ところが、次男が近所の家に忍び込んで携帯電話を盗んで売り飛ばした。
 ここから、運命が暗転した。次男は逮捕され懲役10ヶ月の判決が下され、刑務所に服役した。家族も近所から非難され、そこにいられなくなって逃げ出した。
 その後、消息が途絶えたが、2002年の春に再び夫とともに事務所を訪ねて来た。その後の経過を聞いて見ると、残された1家は娘を除いて2000年の冬に中国の警察に逮捕されて、北に強制送還された。北の中国との国境沿いにある穏城郡の「労働鍛錬隊(収容所)」に収監された。彼女と夫は同じ「労働鍛錬隊(収容所)」、娘と長男はどこに収容されたかわからない。彼女と夫は10ヶ月収容された後に釈放され、再び、「図們江」を渡って中国に逃げて来たという。
 次男の消息を尋ねに来たのが目的という。次男はすでに釈放されて、これも北に強制送還されていた。
 その後、彼女の消息は途絶えた。それが今度の電話だ。真っ先に、子供はどうしたと聞いた。全部死んだと言い、電話口で泣いていた。次男は北に送還後、警察の留置所で暴行を受け死亡。長男は労働鍛錬隊(収容所)でこれまた死亡(死因不明)。娘も死んだという。
 ところが、娘から2002年の秋に中国から連絡をもらっていた。父母を始めとする家族の消息を知らないかということであった。娘は幸い別のところで働いていて難を逃れていたのだ。
 当時、彼女(母)と夫(父)は事務所を1度訪ねたきり行方不明になっていたから、そのことを伝えた。
 その娘も中国で警察に捕まって、北に再び送還され「労働鍛錬隊(収容所)」に収監されて、そこで病死したという。
 北では収容所などで死んでも家族には連絡など全くない。
 また、「労働鍛錬隊(収容所)」に収監されても刑期?などなく、裁判もなく、収容期間も定められていない。全ては係官の気分次第?だということのようだ。釈放されるその直前に収容の必要がなくなったから出す、と通告されるだけである。


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