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在日朝鮮人のための北朝鮮講座(47)
1
:
解法者
:2004/04/28(水) 00:42
>北朝鮮「鉄道」事情(2)<
北朝鮮では、先の「国際列車」の乗車客を除いては、外国人は駅構内に入れない。
出入り口が違うから平壌駅構内を見学できない。
平壌駅構内を時間をかけて見学したいと思って立ち入ろうとしたが、警備官に止められた。「ガイド」と一緒なら入れるという。こちらが抗議している間に同行者はその間隙を縫ってしっかりと平壌駅構内を見学した。悔しかったな〜。
構内もそうだが、線路の上に立って見たいというのが長い間の願望だった。
それが、1997年の秋に叶えられた。場所はあの工作船で有名な「清津」から南に20㎞
のぼった「鏡城(キョンソン)」の付近だったと思う。このときは、かって日本統治時代に
「鮮鉄(朝鮮鉄道)」、「満鉄(南満州鉄道)」の機関士、車掌の方が大勢同行されていた。この地域は「鮮鉄」の管轄区域だった。この鉄路を客車・貨物列車を運転していた方もたくさんいた。
皆さんと一緒に線路の上に立った。単線だった。枕木は「木」、コンクリート製は全くなかった。この枕木は大半が腐っていた。驚いたのはそれだけでない。レールはその両方側から鉄釘で止めることになっていたが、片方しか止められていないものがほとんどだった。
「鉄釘」さえ満足に供給できない経済状況が見て取れた。しっかり、ビデオと写真に収めた。
このときは、ここで列車が走っていることを目撃できなかったが、この鉄路を客車・貨物列車を運転していた「鮮鉄」の機関士、車掌の方のお話では、速度30㎞が精一杯で、10㎞もあるという。「平壌」であった<離散家族>の方が「清津」から「平壌」まで、3日半
かかったと言っていたのもの無べなるかなであった。
「羅津」から「鏡城」まで道路は線路沿いを走っている。この間、約100㎞の距離で、これを往復したが、列車が走っているのを見たのは1回だけだった。満員とは見えなかったが、近距離列車だったからだと思う。
ただ、駅などで止まっている列車は2,3見かけた。ただ、不思議なことに「清津駅」
のホームには列車は止まっておらず、駅から1㎞くらい離れた原っぱに列車が止まっており、そこで大勢の乗客が乗り降りしていたことだ。バスなどないから、全員歩きだ。
まだ、満鉄の貨車が走っているから、日本統治時代の偉業はすごいと感じるとともに、大丈夫か、貨車の製造はどうなっていると心配してしまう。
今度の「龍川駅」事故、<人災>か<謀略>かはわからない。どちらにせよ、「事故」など簡単に起きる・起こせると思う。鉄道保線の整備すらできていないから、こういう事故は後を絶たないと思う。
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