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在日朝鮮人のための北朝鮮講座(41)
1
:
解法者
:2004/03/28(日) 19:31
>離散家族(33)<
朝鮮戦争のときに、北から逃れて来た人が多い。確かにそうですが、朝鮮戦争は1950年6月25日に始まり、独立した1945年8月15日からだいぶ日が経っておりましたから、富裕層、キリスト教徒などは、すでに韓国へ逃げてしまって、そのときに逃げられなかった人たち(1946年頃からは38度線では南への逃亡を防ごうと北の警察が警戒線を張っていた)と朝鮮戦争のときには、北でも軍隊への強制連行が行われましたので、これを嫌って、南下した者が多いのが特徴です。日本のテレビなどでは、朝鮮戦争のときの北からの避難民を写しますので、北から南に逃げて来た人たちはこのときであると誤解していますが、これは間違いです。
南から北へも逃げた人たちがおります。南で<共産主義者>への弾圧が行われましたから、いわゆる「主義者」と呼ばれた人たちが北へ多く逃げましたが、数は限られておりました。南から北へ逃げた人たちは、朝鮮戦争が始まり、北がソウルを占領し、治安と住民統制のために南の人たち(学生が多かった)を募集しましたが、これに同調してその任務に当たっていていた人たちがほとんどです。
これは、アメリカ軍の<仁川上陸>で、ソウルが南に奪還され、そのときに北の軍隊について北へ渡った者です。なお、北の軍隊はそのときに、知識人、技術者をおおぜい北へ拉致して行きました。この者たちのほとんどは北で粛清されて、現在、生きている者はとても少ないといいます。北の「金 日成」体制に同調し、信頼したのに、とても皮肉なことです。「金 日成」にとっては、南で自由な空気を吸った者は必要なかったためです。日本から北へ渡った人たちも同じ運命をたどりました。
拉致者は別として(拉致されたか、自らの意思で北へ渡ったかは不明のものがほとんどです)、北の協力者・義勇軍は、南の韓国にとっては<売国奴>ですから、最近までその家族は厳しい監視下にあり、公務員にはなることができませんでした。彼らが陽の目を見ることができるようになったのは「金 大中」大統領のころからでした。
現在行われている「離散家族再会事業」に、北から登場する者たちのほとんどが、<今まで不思議と生き延びて来られた>この北の協力者・義勇軍で北に渡った者たちです。
北に拉致された者、朝鮮戦争で捕虜になった者たちが登場することはまれです。むしろ、この者たちでも北に忠誠を誓った者といっても良いでしょう。
そうです、こういう者たちは北の<地上の楽園>の宣伝に使われている人たちです。
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