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疑問に思う事
116
:
ぱるぱる </b><font color=#FF0000>(PaRU2.Xo)</font><b>
:2005/05/17(火) 10:44:28
(続き)
かづみさんが「学会の広宣流布とは全世界法華経化ですよ」と思っていらっしゃったのは無理もないことだと思います。
実は私も最初はそうなのだと漠然と思っていたからです。
主人が三世で活動家であった以前から勤行要点にふれる機会のあった私は主人に「方便品」「壽量品」に書いてある意味を知りたいねと言ったとき
そういう思考回路にびっくりしたようで「そんなことは知らなくてもいいんだよ」と言いました。
それを言われた私の方がびっくりでした。
それからあれこれ見直していくと、そういえば学会は「御書根本」ではあっても「法華経根本」ではないとしか思えません。
そして今はどうなっているかというと、勤行が短くなって経典からはますます遠ざかり、Loveさんや他のかやの書き込みからも
勉強会といえば「先生の本」の勉強になり、それが「今の学会を知る事」と言う幹部がいる現状です。
そして学会の「広宣流布」の現状を顕著に表している短歌があります。
「広宣流布記念の日」40周年記念と書かれたポスロカードにあるのですが
「殉教の 決意で恩師を 護らむと 血潮は燃えたる 偉大な この日よ」
という短歌です。
かづみさんが「「学会の広宣流布とは全世界法華経化」というのを聞いたことがないのは
学会の精神とか広宣流布にかける使命ということのプライオリティーにおいて、あまりスポットが
あたってないからではないでしょうか。
しかも、今、観念文には亡くなった4代会長の回向はなくとも生きている池田氏については記されている現状があります。
これらは傍証だとは思いますが、私の結論に至ったいくつかの事象です。
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