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折伏・選挙・新聞等で仏界は涌現しない

37ぱるぱる:2004/05/17(月) 10:39
>また、大聖人が言っているのではなく、これは涅槃経の文です。
>これに従うならば、先にあげた涅槃経の文、
>「若し善比丘あつて法を壊らん者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし
>是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せば是れ我が弟子真の声聞なり」
>にも従うべきであり、折伏すべきです。

涅槃教もいろいろな解釈があるのではないでしょうか。
経文をどこで切って意味をつけるかにもよるでしょうし。
それに日蓮さんは摂受についても書いていらしゃいますよね。
SGIの布教は摂受を旨とされていますよね。SGI憲章の文章では私にはそう思えます。
「折伏するべき」であるならば、SGI憲章は今のようなものでなく「折伏経典」のようなものに
するのが妥当なのではと思います。
私は日本でも「折伏」をクローズアップするのではなく、摂受本位にしてくれたらいいのにとずっと思っています。
日蓮さんが最終的に言っていることは「題目を信じること」「題目を上げること」「題目を広めること」なのだと
学会のかたに聞いたことがあります。
時や情勢によっては摂受もありと教えられているのですから、鎌倉時代ではない現代においては方向を転換してくれたらなと
思っています。

私としては仏陀も我見、日蓮も我見、親鸞も我見、キリスト教会や学会もみんな我見だと思います。
経文が日本にたどりつくにおいてはもっとたくさんの人の我見が入っていることでしょう。
「法華経」や「涅槃教」など、仏陀に言わせたら「わしゃしらん」となるかもしれません。
それでもきっといろんな人生においての大事なエッセンスがあるからこそ、経文は大事にされていると思います。
ただし、大事にすることと縛られることはまた別だと思います。

私はいろんな人のいろんな我見を聞かせていただいて自分で考えていきたいと思っています。
そして祈りは努力とセットで何を信じるかに限らず宇宙根本の意志に通じる物と思います。
もちろん他人に迷惑をかけない事が、一人では生きていけない人間として最低のルールであることは
申し上げるまでもないでしょうが。

信仰が違う人間の考え方はいろいろ理解に苦しむこともあるとは思いますが、
私の気持ちとしてはこういう事ですので、少しでもくみ取っていただければ幸いです。


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