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折伏・選挙・新聞等で仏界は涌現しない
36
:
ぱるぱる
:2004/05/17(月) 10:10
>>18
>今回、論点となっている折伏や自行化他については他門流においても
>その重要性は疑がれておりません。御真筆に限っても立証されることであり、
>何ら心配するところのない教義です。
私の
>>15
は御書や御書根本と言われることについて書きました。
ので、それをもとに銀舌居士さんのレスを読ませて頂いたんですが、
結局御書には偽書と言われるものがあるという事ですよね。
学会は偽書とわかっていて編纂したのでしょうか?
学会のかたで全て本物であると信じているかたも多くいらしゃるんじゃないでしょうか?
私の見たところ、そういうかたにきちんとした説明はないようです。
私はそういうことがとても不誠実に感じられます。
もちろんそれは私がそう感じるのであって、そうでないかたもたくさんいらっしゃることと思います。
あくまで私の感想です。
>61年のご生涯です。
>寿命についてご自身が悟られていたことは御書で伺い知ることができます。
>御自身の寿命を悟られた上で仕上げられた、
>何ら迷うところのない思想と御生涯であられたと拝しております。
61歳で亡くなられたのですか。教えて頂きありがとうございます。
才能のあるかたと思いますのでもっと長く生きて頂きたかったですね。
銀舌居士さんはそう解釈されているという事ですね。
事実がわからないので、断言したり他人に同じように思えと仰らないのならば
それぞれがそれぞれに自分の為の解釈があっていいと思います。
>「依法不依人」はそのような意味ではありません。
>仏法の教相判釈などについて、経文に依るべきで、経文に依らない人師
>(つまり例えばあなた方のこと)の言葉を用いてはならないという意味です。
何で読んだか失念してしまって申し訳ありませんが、「日蓮に帰依するのでなく
法に依るように」と解釈していらっしゃるかたのご意見を読んだ事があります。
また私としては、経文に重きを置くのならその出自にも注目したいと思います。
法華経も涅槃経もその出自は仏陀でない可能性が高い事は、学問的に裏付けされている事ですよね。
我見というなら法華経も涅槃経もどこかの誰か(中国の高僧かもしれませんが)の我見なのだなと
私などには思えるのです。
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