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折伏・選挙・新聞等で仏界は涌現しない

34ぱるぱる:2004/05/17(月) 09:38
>>16 銀舌居士さん、こんにちは。

私は銀舌居士さんへという事で書き込みをしたのではないのですけど、丁寧なレスを頂きありがとうございます。
せっかくですので私なりにレスさせていただきたいと思います。
銀舌居士さんと私には考え方の違いや見てる世界の違いなどがあるので、お互いに理解できない事もあると思います。
なのでそれを前提として読んで頂ければ幸いです。
なお、私は外部なのですが子供の頃から学会のかたとなにかと縁があり、夫は学会三世の活動家から非活動家になった会員です。

まず私の「「仏界」っていうのは世間との共通言語での「仏界」なのでしょうか?」のこの問いは、私はモーリスさんにしたつもりでした。
そして、せっかく銀舌居士さんが答えてくださっていますが、私には銀舌居士さんの書いてくださってることが理解できません。
外部の私に説明しようと思ってくださるのならば、専門用語ではなく外部との共通の言葉で説明していただけませんでしょうか。
その説明のあとに出典として御書を紹介して頂く事は私も参考となりますので歓迎です。よろしくお願いいたします。

>キリスト教は予定説ですから本来の教義では、神への祈りに神を働かせるようなものはありません。
学会もそうだと思いますが、自分が信仰していない宗教の教義解釈というのはなかなかに表面的なものになると思います。
そういうものと「祈りの現場」との違いはどこの宗教にもあるものと思われます。
例えばキリスト教についてですが、ピオ神父というかたをご存じでしょうか?
1968年に亡くなり2002年6月に列聖された「20世紀最高の聖人」と呼ばれているかたです。
このかたの祈りの奇跡は驚くべきものがあります。
1974年、生まれつき眼球がなく盲目の少女ジェンマが藁にもすがる思いの祖母に連れられてピオ神父を訪ねました。
事情を聞いた神父は祈りを捧げて仰いました。「お孫さんの目は必ず見えるようになるでしょう」と。
それからおよそ3ヶ月経ったのち少女の瞼の裏で眼球が盛り上がり、通常の人と変わりないほどの視力を得ました。
それまでピオ神父の奇跡に懐疑的だった医師や科学者達も黙するしかありませんでした。

私はこれを「キリスト教だから」と言うつもりはありません。
祈りと信じる力がもたらした奇跡、仏教でいえば功徳でしょう。
それは一宗教団体、教義などを超えていると私は思っています。


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